第22話 アナザーローグ ――  捜査本部にて ——

 鳴りやまぬ電話。あちらこちらから聞えて来る怒号混じりの話し声。捜査本部の置かれた小田原署は異様な程、殺気立っていた。


「所轄ッ! 弟の居所はまだ掴めないのか! 」

「掴めていません」

「犬の方はっ!」

「それもまだ‥‥‥ 」

「ここはあんたたちの庭だろ? ガキひとりと犬っコロ一匹の行方を掴めないとは普段、どういうけいらをしているんだ! 」

 から派遣された年下の捜査本部部長の詰問に小田原警察署署長は困ったように頭を掻いていた。


「阿部クン、は何? 」

 小声で声を掛けられた小田原警察署刑事課の阿部由太郎あべよしたろうは声の方向には顔を向けず、小さなため息をもらした。


「こんな所で総務部の人間がうろついてると、また課長にどやされるぞ」

「ヘーキ、へーキ。お茶くみを頼まれたとか、FAXの調子が悪いから見てくれって頼まれたとか適当なこと言っときゃ怒られはしないわ。だいたい、これだけバタついているのなら、ひとりやふたりの人間の出入りなんてバレやしないわよ」

 能天気にそう笑う同期の種市杏子たねいちあこの言う事はあながち間違ってはいなかったが、それを認めるのは刑事課のセキュリティが杜撰ずさんである事の肯定にも繋がるため、阿部刑事は敢えて首を縦に振らずにいた。


「アレは警視庁のお偉いさん。そんな遠くない将来の警察官僚の親玉で、今回の事件の最高責任者」

「そんな事は分かってるわよ。私が聞きたいのは、何でそんなのが今回の「代議士令孫失踪事件」に出張でばって来たのかって事よ」

じゃなくな。ついさっき捜査本部の名称も変わったんだよ。バタついているのは警視庁のお偉いさんの中に、立場がマズくなる人がいるからだよ。今頃、根回しにでも勤しんでいるんじゃないか」

 嫌味たっぷりの愚痴に後から種市が息を飲む声が聞こえた。


「それって、もしかして、本庁がやらかしちゃったって事? 」

「そうさ。前々から話は出ていたけど噂程度に捉えていたか、誤魔化していた事件があるって事だよ。まだ現地に人を出せないって事は、今頃本庁が手続きやら根回しをしている証拠さ。だからがこんな片田舎まで出張って焦りまくってるんだよ」

 つい先ほど説明を受けた警視庁が本腰を入れずにいた事件の概要。ある意味、今回の拉致事件の発端とも言える事件。きっと事が明るみになれば、マスコミは鬼の首でも取ったかのように正義感を振り翳し、SNSでもあちこちで大炎上が起きるであろう大きな事件。


「警視庁が現場に踏み込む前に関係者の子供に現場を荒らされたら、大事おおごとだからな ‥‥‥自業自得のクセに」

「えっ? それってどういう意味よ? 」

「言葉通りだよ」

 警察で働いているのだ、その組織の難しさはイヤと言うほど理解していた。面子、利権、法の縛り、差別、今回はその全てが複雑に絡み合っている。



「もう一度、あの子供と仲の良い人間に立ち寄りそうな所を聞いて周るんだ」

 再び警視の声が捜査本部に響く。

 ――― 無駄だ。彼は今どきの若い子には珍しく、群れる事を極端に嫌う。もっと言えば彼は特定の友人と呼べる人間さえ作っていない。少し足を使って聞きこみをすれば直ぐに分かるものを!

 阿部刑事は聞こえて来た警視の声に対し、心の中でそう叫ぶ。


「スマホの電波はまだ拾えないのか? 」

 ――― それも無駄だ。彼には何度かけても繋がらない。おそらく電話やネットが繋がらない事を不便にも不安にも感じてやしない。


「訪れた先々で痕跡は残すのに、なぜ足取りが掴めないんだ! 相手は子供だぞ! 」

 ――― それは彼に関わった人全員が何故か彼を擁護し、向かった先をはぐらかすからだよ。 

 旧道入口のコンビニ、紅みやこ通りの米屋、羽衣通りの飲食店、彼は確かに行く先々で人と関り何らかの痕跡を残していた。

 更につい先ほど捜査本部で広まった情報によれば、彼は大橋傍のマンションで大立ち回りを演じ、警察が違法薬物使用や賭博の容疑でマークしていた梶優雄を打ち倒してさえいた。



「警視、新たな少年の目撃情報です! 」

 捜査本部内で電話を取っていたひとりの男が叫ぶ。

「場所は⁉ 今度は何をしでかした? 」

「場所は小田原市内のお寺、剰願寺駐車場です。‥‥‥今度は人命救助のサポートをしています。なんでも子供のイタズラで洋服に燃え移った火を消すのを手伝ったとか‥‥‥ 」

「‥‥‥ 」

 捜査本部に響き渡るその声に警視が眉間に皺を寄せ困り顔を見せた。さすがに警察官として人命救助に関わった事を迷惑とは口が裂けても言えないだろう。


 続けて別の場所からも声があがった。


「警視、松田署から例の犬と思われる目撃報告です。本日、野犬の目撃情報が相次いだ為、保健局と共に現場に向かい、捕獲を試みたが失敗に終わった。その時の犬が北海道犬だったとの事です」

 あの犬も至る所に出没し、その痕跡を残している。そしてその足取りはまるで飼い主である少年の道標になるかの如く、前へ前へと進んでいた。


「場所は! 」

 警視の声に質問を受けた警官の顔が曇る。

「‥‥‥ 三寸屋敷前のようです」

 捜査本部の中から、どよめきがあがった。三寸とは縁日の出店、テキヤを意味する。そして、三寸屋敷と言えば、ひと昔前まで、東日本一帯にその名を轟かせていたその三寸の大元締めであり、同時に仁侠集団の大親分、故・箱崎仁助の住まいだ。


「あそこは今、民間だろうが! いちいち警察官が声をあげるなっ! 」

 警視の尤もらしい高説を何処か遠くで聞きながら、阿部刑事は部屋の出口に向かい歩き出す。



 ――― 朗人クンの行動原理は姉と母を護る事。人を護れる強さを身につける事にある。彼ならきっとお姉さんの元に辿り着く。だが、彼は相手の真の姿には気付いていない。警察も今だその相手に対して動く準備が整っていない。しかも、その相手が‥‥‥


「ちょっと阿部クン、勝手に抜け出して大丈夫なの? 」

 考え事をしていた中、不意にかかった声。

「事件解決の一環だよ。それにあれだけ人がいれば、ひとりやふたりが出入りしても分かりはしないんだろ? 」

 尚も後から尾いて来る種市に向かい阿部刑事は先程の言葉をやり返す。そしてポケットの中に忍ばせておいたパトカーのキーを確認するとこう呟いた。


「ボクが警察官になったのは、キミのお父さん同様、人を護りたいとの願いからなんだよ。朗人クン」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る