第23話 ガオ、強敵強襲
広葉樹の緑の匂いが増え始め、駆け上がる道は勾配が急になり始めた。走り続けて来た事と幾つもの傷で身体は悲鳴を上げている。
だが、それでもガオは前に進み続けた。
主人・英子は助けようとした自分に「来ちゃダメ」と言っていた。「ダメ」はガオが明確に理解している主人の言葉のひとつ。本来であればその指示に従わなければならない。だが、英子はその言葉の前に「危ない」と言っていた。「悪い人」とも。そのふたつの言葉もガオは何を意味するかを知っていた。全ての言葉を組み合わせれば、英子は助けに向かった自分を助けようとしてくれた。己の身が窮地にある事を知った上で。
そして、もうひとりの主人である朗人。年端もいかない彼も己で考え、己で行動し、英子を助けようと行動していた。
そんなふたりの主人の顔を思い浮かべたガオは自身の血が熱くなる事を自覚しながら、大地を蹴る足にさらに力を込めた。
赤い門を持つ古めかしい木造の建物の前を過ぎ、道がアスファルトから土交じりの舗装路へと姿を変えると、上り坂はその角度を更に増し、道幅は樹々に押し込められたように狭いモノへと姿を変えた。
目は樹々の葉ひとつひとつを正確に捉え、耳には風に擦れ合う葉の音や鳥の囀りが明確に届いて来る。そして、鼻腔に届く主・英子の僅かな匂い。ガオはそれら捉える五感全てが街にいる時より遥かに鋭敏になっている事に驚きながらも、今いる山間部は自身の得意とする
その鋭敏になり始めたガオの五感が人間の気配を捉えた。
複数。しかもその身体からは、あの車から漂って来ていた植物と同じ臭い纏わせている。
ガオは気配と足音を殺し、樹々の中を分け入る様にその気配の方向へと進んで行く。視界には古びた倒木の上に腰かけて談話する三人の男女。手にはなにやら飲み物も持っている。
「こんな所で話していて大丈夫? 誰かに見つからない? 」
「大丈夫だよ。オレたちは何度もここでサボってるけど見つかった事ないし。なっ? タカアキ」
「ああ。ヨシキの言う通り、オレたちはココには十回以上来てるけど、見つかった事は無いな。そもそも本部から結構離れてるだろ? 」
「でも‥‥‥ 」
女性は不安なのか辺りを何度も見まわしている。ガオは更に身を屈め、桑の木の根元に身を隠した。
「本部にはロクな休憩スペースすらないんだから、ココがオレたちの休憩所と考えるのが『ポジチュアル』なんだよ」
「そう考えればいいのね」
「そうそう」
引き続き聞こえて来る人間たちの会話。ガオは桑の根の影から覗き見るように三人を見据えた。
「でも最近、なんだか忙しくなってね? 」
「うん。この前なんてサプリの梱包が三千を超えたのよ。しかもすべて手作業だから、腰は痛くなるし手は荒れるしで、途中でイヤになっちゃったわ」
女性はため息交じりに自分の指先を見ていた。
「オレの方も同じようなモンだ‥‥‥ これじゃあ社畜してた頃と変わんねーなってカンジ」
「私も何のために親の反対を押し切ってまで、大学辞めたのか分からなくなる時があるわ」
話しをている内容は分からなかったが、ガオから見ると三人は疲弊しているように思えた。
「なんだか最近のウチの在り方、『ポジチュアルに従い心と身体を豊かにする』って定義からずれている気がするんだよ」
男のうちの一人の言葉に残る男女の方がピクリと動く。
「バカっ! そんな事言って、誰かに密告でもされたら大変だぞ!」
「そうよ。ポジチュアル、それに座主さまと陽菜子さまの行方について、疑いを持っているなんて知られたら
「こんな林の中で、聞いているヤツなんて誰もいねーよ。それに見ただろ? 美愛様が連れてきた新しい仲間。美愛様が連れて来たって事は、先々の幹部って事だろ? あんなのがゆくゆくはオレたちのリーダーになるかも知れないんだぜ」
そう呟いた男の目と口元は歪んでおり、声には明らかな嘲笑がある。ガオはそれら全てに覚えがあった。
「私も見たわ。でも、アレって、最近見かけないけど、美愛様のお子様、陽菜子様と同じでしょ? 」
女性は手に持っていたペットボトルに口を付けた。ガオにはその仕草が動揺を隠すというより、下種な興奮の現れのように見えた。
「へっ? オレも見かけたけど、背が高くて可愛い普通の女の子じゃなかったか? 」
「うわぁ、タカアキって、ひょとしてロリかよ。それに、だいたいあの子のどこが普通なんだよ。ずっとニコニコしてるうえ、ひとり言いっ放しだったじゃん」
「そうだったかぁ? 」
「ああいう子がポジチュアルの導き手であるって、美愛様のお考えも分からなくもないけど、私たちからすると複雑よね。だって単なる‥‥‥ 」
女性はそこで口元に手を当て、「いけない」とばかりに言葉を終わらせた。
「ダメダメ、止めようぜ疑問を持ったり考えたりすんの!「ととと」にさえ居れれば、三食、寝床に小遣い、それに気持ち良い事まで付いて来るんだから」
「タカアキの言う通りだな」
「だろ? 」
タカアキと呼ばれた男のわざとらしい欠伸。それが合図だったように三人はゆっくり腰を上げた。
「そろそろ戻るか。陽が沈み始める前には戻らないと怪しまれるしな。それにこの辺り近頃、熊が出るらしいし」
「マジで? 」
「この前、配送部のリーダーがウチのゴミ置き場で残飯漁っているのを見たって言ってたよ」
「なにそれ、怖っ! 」
「まぁ、出会う確率なんて、宝くじを当てるより低いさ」
歩き始めた三人はまだ何か雑談を続けているようだったが、ガオにはその内容など関心は無い。ただ確実に言えるのはこの三人が英子を知っているという事。
なぜならば、途中で男の一人が見せた表情。あれは英子を見下した人間に共通する朗人が最も嫌う表情だった。
ガオは三人の気配が消えるとゆっくりと立ち上がり、その臭いを辿りつつ、斜面を登ってゆく。時間が経っていない事もあり、その臭いは鮮明で土砂の上には足跡もクッキリと残っている。
それらを辿り更に奥へと進んで行くと、人間の手が加えられた砂利道が現れた。轍が残るその道には、あの三人加え例の植物の臭い。立ち止まり、臭いを再確認するガオの耳に車の音。山の斜面に身体を寄せ身を隠すと、ガオの前を英子を連れ去った車と同じ色をした車輛が通り過ぎて行った。
――― この道の向こうに英子がいる
それを確信したガオは、その車を追うように再び走り出した。
その階段をガオが見上げた時、一陣の風が吹き抜けた。そしてその風が運んだ匂い。
――― 英子
まだ真新しいその匂いを捉えたガオは、両脚に力を込めると階段を駆け上がる。
徐々に視界に入ってくる木造の大きな建物。そして、その外周を囲むように茂る檜と入口にいる門番らしき人間たちの姿。
ガオはその門番たちの視線を掻い潜るように檜の後ろを駈けぬけ、裏手を目指した。鼻腔に届く英子の匂いはますます強さを増していたが、それに加え何かが腐敗した臭いが鼻を突き、同時に低い唸りを立てる機械の音が耳に届く様になった。
辿り着いた裏庭はかなりの広さがある。中央には桜の木。西側には野ざらしで積み上げられた薪。そして南側には野菜を栽培している畑が広がっている。更に北側には大きな建物と隣接するように小さな屋根だけが付いた小屋が二つあり、例の臭いと音はそこから出ていた。
臭いの正体はゴミ置き場に捨てられた残飯。音の正体は大きな機械。それは大きさこそ違えど、少し前に自分が噛み砕いだあの男の武器に似ているとガオは感じていた。
『そのお部屋はイヤっ! 』
ふいに届いた英子の叫び。ガオの全身の毛が逆立つ。
ガオが二階の窓を目指す為、四肢に力を入れ、小屋の屋根に飛び移ろうと姿勢を整えた。
その時、背後から聞えた轟音と唸り声。そして、殺気。
敵!
本能がそれを告げ時、ガオの全身に重い衝撃が走り身体が宙を舞った。
咄嗟に身を引いたため、直撃は避けることが出来たが、跳ね飛んだ身体は積み上げられた薪にぶつかるまで止めることが出来なかった。薪置き場を背に立ち上がったガオの前には蠢く殺気の塊。
赤い舌、鋭い眼光、腹に底に響く咆哮、そして黒く巨大な体躯。
――― ツキノワグマ。本州最大最強の陸上動物。それがガオの前に立ちはだかった。
ガオは思わず息を飲む。肩には三本の筋が走り、そこからは血が流れ始めている。
『やめて、そのお部屋には入りたくない !! 』
英子の叫びが再び耳に届く。ガオの全身に滾る熱く赤い血潮。
――― どけっ! 邪魔をするなら殺す!
ガオは目の前の黒き獣を睨み、生まれてはじめて殺意を籠めた唸りをあげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます