第24話 アキ、敵地突入
スマホのナビゲーションで辿り着いた
自転車を停め、お寺で大男に買って貰ったお茶を口に含んでいると、ふいに誰かが肩を叩いた。
振り向くとそこにいたのはひとりの中年女性。上下ジャージで首にはタオル。いかにも近所の気の良いおばさんと言ったカンジだ。
「あんた、止めな! 今なら間に合うからさ」
いきなりの全否定。当然、意味は分からない。困り顔をしていたアキに女性は続けた。
「あんたも若いから色々と悩みはあるんだろうけど、現実から逃げだした先にあるのは結局はまやかしなんだよっ! 生まれ変わりだの来世だのあるかどうかも分からないものに
何となく含蓄のある言葉だが、やはり意味が分からない。だが女性の表情は真剣だ。
「あの、意味が分からないのですが‥‥‥ 」
アキは被っていたキャップを外しながら女性に尋ねた。
「何をとぼけてるんだよっ! この親不孝モンがっ! あんたも今が嫌になってあそこに逃げ込むつもりなんだろ? この大荷物を見れば一目瞭然じゃないか!」
女性は声を荒げながらアキの背負っていたリュックを叩く。
「このリュックは確かに大きいですけど、逃げ込むとかそんな為のものじゃありません。そもそもあそこって、どこなんですか? 」
苦笑いを浮かべつつ尋ねるアキ。だが、その言葉の行きつく先は見えていた。
「この山の上にある『ととと』に決まってるじゃないか! 『心と身体と健康と食事』さ! スピリチュアルとロベカルを組み合わせたとか、どうでもいいような事を吹聴して廻ってるけど、インチキ臭いったらありゃしないよ」
やはり。
女性の言葉から想像するに『ととと』こと『心と身体と健康と食事』には、その考えに共感を覚えた若い人間が何人も尋ねたのだろう。アキはハナを攫ったであろう、その相手に得体のしれない気持ち悪さを覚えた。同時にそんな場所から、一刻も早くハナを助け出さねばと。
アキは視線を上げ、女性の視線を正面から捉えた。
「おば様。自分は確かにこれから『ととと』に向かわなければなりません。ですが、それは現実から逃げ出したからでもなければ、今が嫌になったらから行くわけでもありません」
「はぁ? じゃあ何しに行くって言うのさ」
「日常に戻るためです」
アキはそう告げると頭を下げ、キャップを被り直すと自転車に跨り、山頂へと続く道を登りだした。
***************
九十九折の坂道を自転車で登り続けていると、後ろから乾いたエンジン音を響かせ一台の車が昇って来た。カラーは黄色。車体には『心と身体と健康と食事』の文字。
キャップの鍔の隙間から通り過ぎて行く車を覗き見る。乗っているのはドライバーも含め四人。みな女性だ。車はそのまま左に折れると、咳き込むようなエンジン音を立てながら、どこまでも続く坂道にその姿を消してしまった。
「さすがにハナが乗っているような偶然はないよな」
アキは自嘲的にそう呟き、先程の黄色い車に続くように右に折れる上り坂を進んで行く。
カーブを曲がり切り、勾配が若干緩やかになると、目の前に黄色い車が何台も止まった駐車場が見えて来た。そして、その五メートルくらい手前には先程の車と四人の女性の姿。
一瞬、逃げると言う選択肢が思い浮かんだが、アキはそのまま自転車のペダルに力を込め、自分を凝視している女性たちの方へと進んでゆく。
「ちょっと、キミ! 」
予想はしていたが自分を呼び止める声。アキはブレーキをやや大げさに掛けたうえ、自転車を停めた。
「はい」
こういう時に何と返答し、どのような表情をするれば良いのか。きっとそれに正解はないだろう。アキは帽子の鍔で表情を隠しつつ、自転車を降りた。
「あなたこんな所で何をしているの? 」
「何って、自転車に乗ってるだけです」
一番手前にいたリーダーらしき女性からの問いかけにアキは見たままの状態を答えた。
「この先にはウチの本部しかないわ。つまり、あなたは『心と身体と健康と食事』に向かっている」
こちらの行動を見抜いているとでも言いたげなその言葉にアキは思わず唾を飲み込んだ。だが不思議な事にリーダー以外の三人の女性は、何故か言葉の対象であるアキではなくリーダーに見惚れている。
「自分はただ‥‥‥ 」
言い訳にもならない言葉を並べようとアキが口を開くとリーダーの女性が右手でそれを制した。
「何も言わなくてもいいわ。私には、もう分かっているの。あなたが真の人生の迷い人である事も、そして、ポジュチュアルに定められた通り、私たちは本部で再び出会う事も!」
「おおっ! 」
「なるほど」
「さすがリーダーです」
有難い事にアキの存在を無視するかのように四人の会話は進んでいた。
「少年よ、あなたにはまだ迷いがあるようですが、怖がる事はありません。私たちの元を訪れれば、座主さまと美愛さまがきっとあなたを導いて下さります」
アキはそのリーダーらしき女性の言葉に、帽子の鍔に手を当て答えたフリをした。
「迷い人である少年よ、私は待ってますからね‥‥‥ では皆さん、本部に戻りましょう」
「はい」
リーダーである女性が何かに納得したように頷き車に戻ると、他の女性もそれに倣うように次々と車に乗り込んで行く。
――― 何なんだ、あれは?
走り去って行く黄色い車をアキは半ば呆然と見送りながら、心の中でそう呟く。
アキから見れば気色の悪い三文芝居。だが、あの四人の表情には恍惚さえ垣間見えた。おそらく麓で声を掛けてくれた中年女性が言っていたインチキ臭いとはこの事なのだろう。
「冗談じゃない! ハナはあんな連中に攫われたって言うのか‥‥‥ 」
アキが慌てて自転車に跨ると、ポケットの中に入れておいたスマホが震えだす。
「このクソ忙しい時に…… 」
苛つきながら取り出したスマホの画面には祖父の名前。アキは半ばヤケクソ気味に画面をタップした。
「朗人か! お前は今何処にいる! 」
「寄神社の北側です」
「「ととと」に乗り込むつもりだな、ダメだ! 直ぐに家に戻るんだ! お前が考えているより『心と身体と健康と食事』は恐ろしい団体なんだぞっ‼ 」
剣幕激しく、捲し立てる祖父。
「知ってますよ。生き方に悩んでいる人たちを神秘とか摂理みたいな言葉で誘導し、変な野菜やら茸やらを売らしたりしている団体ですよね」
先程遭遇し交わした言葉から得た結論。
「そんな表面上だけの問題なら、ワシやアイツがとっくに解決している! 」
電話口でがなり立てる祖父が“アイツ”と呼ぶ相手は唯ひとりしかいない。寿々の祖父・故・森山茂弁護士だ。
アキの背中にチリチリとした嫌な感触が走る。
「いいか、とにかく‥‥‥ 」
祖父がそこまで言葉を並べた時、アキは首筋に強烈な痛みを感じた。
―――― ハナの身に何かが起きた!
それには間違いがない。だが、不思議な事にその痛みは直ぐに治まりを見せた。明らかに何かがおかしい。
「お前は家に戻るんだ。いいかアイツらは四年前のオリ‥‥‥
上の空で聞いていた祖父の言葉。
そんな中、再び走る首の痛み。今度は収まりを見せる気配がない。
「申し訳ありません。切ります。自分とハナが戻るまで、母さんを頼みます」
ハナに何があった。そう結論付けたアキはスマホの電源を落とすと自転車と背負っていたリュックをその場に打ち捨てた。
――― 待ってろよ、ハナ! 今すぐ助けに行くからなっ!
駐車場の奥にあった階段を二段飛ばしで駆け上がるアキの視界に檜に囲まれた木造の3階建ての大きな建物が見えて来た。入口らしき場所にはふたりの門番。
――― 待ってられるか! 強行突破だ!
アキが門番に雄たけびを上げようとした時、建物の裏手からガラガラと何かが崩れる音が聞こえて来た。その音に反応し、裏手へと廻ってゆく門番のふたり。
「今だっ!」
無人となった入口から内部へ。アキはついにハナが捉われている「心と身体と健康と食事」へと突入した。
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