第13話 朗人、夜のバーにて

 磯の香りが強くなって来た。浜風と波の音が強いのは低気圧が通過している関係で海が時化しけているからだろう。

 アキは相変わらず降り続く雨の中、羽衣通りへ向かい自転車を西へと走らせ続けていた。首筋の感覚に違和感はなかったが、微妙に感じるチクチクとした具合がハナとの距離が少しづつ近づいている事を教えてくれていた。


 ――― 待ってろよ! ハナ。必ず俺がお前を助けに行くからな


 国道を左に折れ、羽衣通りに差し掛かる交差点での信号待ち。目の前をやたらに派手な車が爆音を立てながら三台ほどの列を作って通り過ぎて行く。おそらくは仲間なのだろう。

『相手は何事をするにもしゅうに頼り、たむろしとしてる連中』杉山老人の言葉を実感したアキは自身の頬を両手で一度強く叩き、気合を入れ直す。


 信号が赤から青に。右折をする為、自動車の流れが無い事を確認しようしたアキのポケットが大きく振るえた。スマホの着信だ。机の上のメモに気がつき、屋敷を出た事が祖父に知られ、そろそろ連絡が入るのとは思っていた。

 どう憎まれ口を叩いてやろう。そう考え、頬に捻た笑いを浮かべていたアキだったがディスプレイを見た瞬間、その笑みは消え失せた。映し出されていた名前は『伊多すみれ』。発信相手はハナとアキの母親だった。


「母さん? 」

 震える指で画面をタップしたアキは電話口でそれだけを告げた。

「うん」

 声のトーンで今日が比較的調子のよい日である事はすぐに分かった。だが、どの道今日から母は暫く不眠と拒食がさらに進んでしまうのは間違いがない。アキの胸の奥がギリギリと鈍い音を立て、次の言葉を出させてくれない。


「ハナを探しているのね」

「うん。ごめん。心配かけて」

 電話の向こうで、母が震えているのが分かった。


「ハナの居場所は俺が誰より早く突き止められる。母さんなら分かるだろ? 」

 父が生きており、母がまだ明るく元気だった頃、ハナとふたりで披露した感覚共鳴の不思議。父がアキの身体の一部分をくすぐり、別室にいる母とハナがどのタイミングでくすぐっているかを当てるゲーム。家にいる限りその正解率はほぼ100%だった。


「ごめんなさい。情けない母親で、本当は私がハナを探す為に頑張らなきゃいけないのに」

『頑張る』。母がよく使う言葉だ。だがアキはその言葉が嫌いだった。父を亡くしても明るく穏やかに振舞い続け、アキがケガをすれば手当をし、ハナが学校で嫌がらせを受ければ校長に抗議を行い、自閉症への偏見を無くすため西へ東へと講演や会合に飛び回っていた母は父が亡くなってからの二年間、母であり続け、父であり続け、頑張り続けた。その結果、心と身体を壊した。頑張るが母を壊したのだ。


「警察の人もジジイの名前にビビっているみたいだったし、死に物狂いでハナを探してくれてるよ。俺も無理はしないし、大丈夫だよ」

 アキは敢えて明るい声のトーンで返す。

「本当にごめんなさい。私、どうしたら良いか分からないの」


『金持ちで甘やかされて育ったから、心が弱くて、あんな病気になるのよ』

『父親は火事で死んで、娘と母親は病気。きっと守銭奴だった先祖の業が廻って来たのね』

『私なら、いくら富と名声あっても、あんな環境はイヤだわ』

 母親と親交があった人たちが、そう立ち話している姿をアキは忘れた事が無かった。


 ――― 俺がもっと父さんみたいに強い男だったら、母さんも壊れずに済んだ。

 その想いがアキを鍛錬に走らせ、今の身体を造った。


「俺こそ、こんな時に心配かけてゴメンね。でもすぐにハナと一緒に帰るから安心して」

「私、あなたたちまでいなくなったら…… 」

「いなくなったりはしないよ」

 母の言葉の先が分かったアキは出来るだけ優しくそう告げた。


「…… とにかく無理をしないでね。お母さんも病き―――

『すみれ、何をコソコソと電話している? まさか、その電話の相手は朗人か? 寄こせっ! 朗人! 貴様、今どこにいる! こんな夜中に勝手に屋敷を抜け出しおって!』

 母が何か決意を持った言葉を述べようとした横から割り込んで来た祖父の声。母の電話が取り上げられたのは直ぐに分かった。


「こんな状況下で出かけるとは貴様は何を考えている! 」

「俺が考えているのは、ハナと母さんの事だけだ」

 アキはそれだけを告げるとスマホをタップし、会話を強引に終わせ電源を落とした。


「ハナと母さんはオレが護るんだ」

 アキはそう呟くと再び自転車を漕ぎだし、杉山老人が『灯台の胴元から首先まで』と呼んでいた地域、羽衣通りへと足を踏み入れた。



 ************************************


 小さいながらも漁港を持つこの街には古びた白い灯台がひとつある。無論、今は使われる事はなく、ほぼお飾りだ。県はその灯台のある港から市境までの道を羽衣通りと名付け、明るく商業の盛んな地域エリアにしようと目論んだらしいのだが、元々のガラの悪さと海からの風ですぐに錆びが浮き出る建物がその名前を拒絶し、殆どの人がこの通りを旧名の『おろし通り』、もしくは隠語である『灯台の胴元から首先まで』と呼んでいた。


 小さく、どこか草臥くたびれた店舗が建ち並ぶ通りをアキはゆっくりと進んでいく。首筋に感じる感覚はハナがかなり近くにいる事を教えてくれていた。


「この近くにいるのは間違いないな」

 アキは自転車を降りると首筋に手を当てながら、一番感触を強く感じる店の前に立つ。

「ノアール・パートⅡ」古びた店の看板にはそう記されている。アキは頬を両手で挟む様にして叩くとその店のドアを潜った。


「いら…… しゃい? 」

 明らかに場違い感がある為だろう、髪を後ろで結い上げた男性店員の言葉が不自然に止まる。

 見回した縦長の店内は意外に広く、壁にはドミーガンを抱えた男たちのポスターやR66と記されたアメリカの道路標識のレプリカが飾られている。店の中央にはルーレット台。それを囲む様に七人ほど男女がグラス片手に談笑をしていた。


「……でね、だから私、美愛みあに言ったのよ。『あんな男とは早く別れた方が良いって』」

「無理だろ? アイツが美愛みあチャンを簡単に手放すとは思えねーよ」

「梶なんて、すぐにキレるし、金にだらしがネーし、嘘つきで…… 見た目以外にイイとこないじゃん」

「その辺でやめておいた方がイイぞ。そろそろ奴が戻って来る時間だ」

 店員と客との間で交わされる生々しい会話がアキの緊張を高める。


「そこに突っ立ている坊やに言っとくがな、ウチじゃ、ミルクやココアは売ってねーぞ」

 店員の言葉に店内にいた他の人物たちの視線がアキに集中する。


「ガキは家に帰って、マスでも搔いて寝てな」

「ネタが欲しいなら、ウラ本を安く売っている店、紹介するぜぇ」

「ウラ本って、昭和かよ。令和の今はネットがあるからズリネタには困んねーよなぁ、坊主ぅ」

 自分の青さを揶揄われているのは分かっていた。20代の人間から見れば中学生が『おろし通り』をうろついているなど、イキがった背伸び以外には見えないだろう。


「あ~ら、よく見ると、結構イイ線いってる坊やね。もし望むんだったら私が貰ってあげてもいいわよ。キミのは・じ・め・て」

 わざと胸をせり出し、唇を尖らせ扇情的なポーズをする女性の言葉に周りの男たちが一斉に笑い声をあげた。


「自分はバハムート・ワイルドを吸っている人を探しています」

 単刀直入なアキの言葉に男性幾人かの表情が素に戻った。


「バハムートの赤なら、か…… 」

悠香子ゆかこ! 」

 先程、アキを揶揄ってきた女性の言葉をカウンターにいた店員が遮った。知っている。それは間違いないだろう。


「ウチに来る連中の中にもバハムートの赤を吸っている奴は何人かいる。だが、それは客の個人情報だ。教える訳にはいかねえよ」

 グラスを拭きながら店員がもっともな理由を述べた時、アキの首筋が急激に熱を持ち筋肉痛のような痛みを起こした。


 ――― ハナがパニックになっている

 それは直ぐに分かった。


「ハナっ! 」

 首筋を押さえつつ、辺りを見回すがハナの姿は見当たらない。

 ――― どこにいる? このカンジはかなり近いハズだ。

 そう思い再度店内を見回すと、不意に入り口のドアが開いた。


「ったく、あのガキ。目が覚めた途端、赤ん坊みたいにギャーギャー泣きやがって、金蔓じゃなきゃ殺してるぜ。まぁ、後はアイツに任せておけば、何とかなるだろ」

 そうぼやきながら、店にひとりの男が入って来た。長身痩身に金に染め上げた長髪。耳には幾つものピアス。両手の指には幾つもの指輪を付けていた。


 目が合った男は驚きの表情を浮かべた。『なぜココにいる?』と。

 アキは迷うことなく、男に向かい突進した。


「ハナを返せ! 」

「やっぱ、あのガキの片割れか! 」

 男に掴みかかった瞬間、アキの腹部に重い衝撃が走る。膝だ。それが鳩尾にめり込んでいた。崩れ落ちそうになるのを何とか踏ん張るが、目の前がチカチカと揺れる。肺が酸素を求め、喉はカラカラと乾いた音を立てていた。

 すぐに男からの二撃目が飛んできた。回し蹴り。それが咄嗟に出した左腕を巻き込み左脇腹にめり込んだ。胃の中から何かがこみ上げ、それが鼻腔と目に酸性の刺激を与え涙を誘う。ぼやける視界に膝が笑い、腰は砕けそうになる。


「ちっ、意外にタフだな」


 三撃目は頭部を狙ったもの。モーションが大きかった為、身体を逸らす事は出来たが、その行為が逆に拳を擦り上げる形となり、アキの額にキレイな切り傷を作った。


「躱しやがった。チッ、めんどくせぇ野郎だ」

 なおも掴みかかろうとしたアキに対し、男は舌打ちをするとポケットから何かを取り出し、それをアキの首筋に当てた。


「じゃあーねぇー、

 "バチっ”と何かが弾けるような音をアキが耳で捉えた瞬間、爪先から脳天までを突き抜けるような痺れが走る。咄嗟に伸ばした手が男のまだら色をしたシャツに掛かりポケットから何かが零れ落ちる。


 ――― 赤い煙草『バハムート・ワイルド』


 身体が崩れ落ち、意識が黒く染まりきる直前にアキが見たモノ。それは男が舌を出しながら手を振る姿。

「ハ…… ナをか……え……」

 左頬に何か重いものが当たる感触を感じたのを最後にアキの意識は完全に闇に沈んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る