第12話 ガオ、夜の米屋にて

「で、どうなんだ忠正ただまさ。このワン公は」

「酷いもんです。背中に首筋、そして脇腹の打撲、千切れ掛かった耳に右脚の切り傷、右のお尻には火傷みたいな痕まである。一部は明らかに人間の仕業ですよ」

「ひでぇ真似しやがる」

「特に脇腹、あばらの部分は折れちゃあいないみたいですが、ひびくらいは入ってるでしょね」

 鼻をつく薬剤の臭いが漂う中、ガオは薄ぼんやりと意識のまま、人間たちの会話を聞いていた。身体には何かが巻かれているのか、締め付けられるような感触があった。


「このワン公の傷は治るのかい?  」

「全治二週間って所です。タフでケガにも強い猟犬ですから、二日もすれば、少しは動けるようになると思います」

「コイツ、猟犬なのか? 」

「ええ、それも北海道犬です。鹿や猪どころか羆にすら立ち向かう事で知られている、いわゆるマタギ犬ですよ」

 男のうちのひとりが自分の脚に何かを刺しているのが分かった。不思議な事にその部分に籠っていた熱が瞬く間に引いていく。


「抗生剤の注射に止血に縫合、出来る事はしました。生命力のある犬種ですから、これで大丈夫だと思いますよ」

「悪ぃな、忠正ただまさ。真夜中に呼び出しちまって」

「杉山さんにはいつもお世話になってますから」

 適度な室温と身体痛みが引いてゆく心地よさにガオの意識は再び沈もうとしていた。そんな中、鼻腔に届いた匂いと臭い。それがガオの全身に血を廻らせる。

 

 ガオは身体を無理矢理起こし、のある方向へと歩き出した。


「どうしたんだコイツ⁉ 急に起き上がりやがって」

「コラ! 待ちなさい。まだ動いちゃいけないよ。あぁ、言わんこっちゃない、フラフラじゃないか」

 男二人が自分を静止させようと言葉を掛けているのは分かっていた。だが、それでもガオはフラつく身体を引きずりようにして、畳の部屋を出る。そして、辿り着いたのは様々な品物が並んだ場所。ガオは視界に臭いと匂いの元である赤い小箱と一枚の座布団を捉えた。


「あらやだ、この犬、煙草に興味があるのかしら? 」

「そういや、あの坊主が尋ねて来てから、出しっぱなしにしたままだったな」

「あんたがさっき話していた『気骨のある子』の事かい? 」

「ああ」

 別の場所にいた女性からの声に老人は頷いている様子だった。ガオは煙草の臭いの確認を終えると、次に古びた座布団の匂いを嗅ぐ。


「今度はあんたの座布団の匂いを嗅いでるよ! 少し変わった犬だねぇ」

 ガオは混乱していた。むろん、自分が目の前にいる人間たちに助けられたのは理解していた。だが、あの男の臭いの元となっている物がここにあり、そして、朗人がここに座った形跡がある。それが重なった意味が分からなかった。


「もしかしたら飼い主が煙草好きの方なのかも知れませんね」

「厚木さん、この犬、野良じゃないんですか? 」

「奥さん、このは飼い犬ですよ。首輪の跡もありますし、毛もしっかり手入れを受けている。そして、飼い主さんの性格なんでしょうね。しっかりとした教育を受けてますよ。この北海道犬は」

 自分の事を話しているであろう老人たちの声を背で聞きながらガオは朗人の匂いを辿り、店の中を歩き出す。匂いの跡は入口から座布団の所まで一直線を描いている。


「教育? 」

「しつけの事です。気づきませんか? さっきからこのは一度も吠えていないんです」

「そう言われればそうだな」

「”吠えない”というのは犬にとって非常に忍耐力が求められる事なんです」

 ガオは朗人の匂いの跡がまだ新しい事から、少し前にココに来た事を悟った。そして、それは英子を探す為の行動だという事も。


 ――― 自分も向かわなければ…… 

 ガオは、ふらつく身体を扉に当てる。形状から横に動かせば開く事は分かっていた。


「アンタ、それに厚木さん、この犬、外に出ようとしているよっ! 」

「キミキミ! ダメだよ。 そんな傷で外に出ては! 熱だってまだ引いてないんだよ」

「ったく、見た目通りの無鉄砲なワン公だ。おとなしくしてろってんだ」

 自分を押さえつける三人の人間。振りほどけない訳では無かったが、悪意の無いその手の感触が身体に入れるべき力を弱めさせた。持ち上がる自身の身体。どうやら自分を手当てしてくれた男に抱き上げられたらしい。


「また熱が上がって来たみたいです。薬が直に効いて来るので、寝てしまうとは思うんですが、念のため薬を少し置いていきますよ」

「すいませんね。厚木さん」

「ワン公は…… その座布団の上に寝せといてくれ」

 座布団の上。三人の視線が眠りに落ちる寸前の自分に注がれているのは分かっていた。


「驚きましたよ。あのケガで歩いたうえ、外に出ようとするなんて…… 」

「いい根性をしたワン公だ」

 朗人の匂い、そして三人の視線に包まれつつ、ガオは再びの眠りに落ちようとしていた。


「寝ちまったみたいだな」

「ええ。杉山さんの座布団が気に入ったのか、あっという間でしたね」

「古いうえに薄くて、ウチの人のお尻の匂いが染みついているだけの座布団なのにねぇ」

 ガオの意識の外側で三人の声が聞こえて来る。



「根性見せた犬も尻の匂いでグッスリか ……――― ‼‼ いや、まさか…… 」

「どうかしたんですか? 杉山さん。驚いたような顔をして 」

「いや、何でもねえよ。多分、儂の思い過ごしだ」

 その会話がされた時、ガオの意識と身体は完全に深い休息を取り始めていた。

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