第10話 朗人、光明を摑む

 自転車のタイヤが蹴り上げる水しぶきの音が大きくなり始めた。

 合羽を着ているものの、既に下に着ているシャツは雨でびしょ濡れだ。それでもアキは人通りを少なくし、深夜に外出している中学生である自分の姿を隠してくれる雨を歓迎していた。

 フードから覗き込んでいた前方に煌々とした光を放つ建物が見えて来た。白と青のストライプがイメージカラーのコンビニだ。


 ――― ドーソンって、煙草売ってるのか?


 ハナを見つける為の手がかり、それは双子特有の感覚共鳴。そしてあの煙草『バハムート』だ。

 阿部刑事の話を要約すれば、独特の味で人気もそれなりにある煙草と言う事になる。しかし、アキにとって煙草は父を死に追いやった原因でしかない。アキはそんな憎しみの対象でしかない煙草を頼りしている自分に苛立ちを感じながら、ドーソンの駐車場の一番隅、濃紺のセレナの隣に自転車を止めた。


「いらっしゃいませぇ」

 合羽を脱ぎ、身体の水を払い入ったドーソンには店員の他はふたりの綺麗な女性客。


「ごめんなさいね、響ちゃん。送るなんて言いながら買い物に付き合わせて」

「お買い物なんて大袈裟ですよぉ。ワンちゃんのご飯買うだけじゃないですかぁ。私も家で摘まむお菓子とか欲しかったですし、丁度いいです」


 ふたりの会話を背中で聞きながら、アキはレジを横目で見た。髪を緑色に染めた店員の後ろには色とりどりの煙草。だが、どれが『バハムート』なのかはまるで分からない。

 アキはを画面に映す事に嫌悪を感じつつも、スマホに『バハムート』『煙草』と入力し、画像検索を掛けた。


 画面に出て来たのは色とりどりの沢山のパッケージ。


 ――― ライト、メンソール、カスタムにカスタムライト? それにジ・オリジンにワイルドって…… こんなに種類があるのかよ!

 元より憎しみの対象でしかない煙草など興味すらなかったアキは閉口しながらも、クーラーボックスから一番安い百円のジュースを取り出すとレジへと急ぐ。


「いらっしゃいませぇ。ただ今、からあげチャンがお買い得となってますが合わせていかがですかぁ」

 レジの横にジュースを置くと緑髪の店員からの感情の籠っていない声が返って来る。

「からあげはいりません。それより、このお店で『バハムート』って煙草売ってますか? 」

「アンタ、身体ガタイは良いけど、まだ厨坊くらいでしょ? 売る訳にはいかないわ」

 緑髪の店員が目だけを動かし、アキに睨みを利かせて来た。


「自分は煙草なんて大嫌いですので、吸ったりはしません」

「じゃあ、何でバハムートが必要なのよ」

「このあたりでバハムートを吸っている人を知りたいだけです」

「はぁっ!? なにそれっ」

 店員の疑問はもっともだった。一瞬、『バハムートを吸っている人物がハナの行方を知っている可能性があるので教えて欲しい』と口に出掛かる。


「他に用事が無いならどいてくれる? 後ろのお客さん待ってるから」

 その言葉にアキは自分の行動が周りに迷惑をかけている事を悟り、小銭受けに百円玉を置く。

「はい、ドーモね」

 面倒臭さ全開のその返答は、おそらくマニュアルから言えば外れたものだろう。だが、感情が籠っている分、先程とは違いどことなく心地よい。アキは店員に頭を深く下げた後、小走りでコンビニの外へと向かった。



 雨足は少しだけ弱まりを見せていた。

 それでも空を見上げる限り、星はおろか月さえも顔を出していない。雨はまた強くなるのだろう。アキは再び合羽を羽織ると自転車に向かい歩き出した。そして何気に動かした視線の先。


 そこには銀色をした金属製の筒。

 

 ――― 灰皿だ!


 水たまりを幾つも踏み抜き、アキは灰皿に駆け寄る。中を覗いたが雨に打たれた為だろう、灰皿の中はニコチンの黒に染まった液体とそこにプカプカと浮かぶ、原形を留めていない幾つものフィルター。当然、銘柄など判別できる訳もない。


「キミ、何をしてるの? 」

 ふいに背中から女性に声を掛けられ、アキは思わず身を竦めた。振り返った先には傘を差したふたりの女性。コンビニで買い物をしていた二人組だ。アキはフードを深く被り顔を隠した。


「別に何もしていません」

「別にって、この雨の中、灰皿を漁るなんて怪しさ満点よ。しかも今、フードで顔を隠したでしょ? 」

「あなた、さっきレジでも言われてたけど、まだ煙草の吸える年齢じゃないでしょ? その声の感じだとウチの上の息子と同じくらいだから、中学二、三年といった所かしら? 」

「ちょうどイキりたくなる年齢ですよねぇ。しかも『バハムート』なんて、生意気過ぎっ! 」

 やっかいな人物たちに見つかった。アキは自身の間の悪さに唇を噛みしめた。


「煙草に興味を持つのは分かるけど、身体には良くないし、やめておいた方がいいわ。それにポイ捨てや寝煙草は火事の原因にもなってるのよ。あの有名な『オリオンモール大火災』だって、煙草の不始末が……


 アキの脳裏にあの日の炎と煙が浮かぶ。そして父の姿が―――


「そんな事は誰よりも分かってるっ‼ 」

 思わず上げた怒声。

 驚きからだろう、若い女性の指からエコバックが零れ落ち、雨水の上で鈍い音を立てた。その音がアキを我に返させる。


「すいません怒鳴ったりして…… 脅かすつもりはありませんでした」

 落ちたエコバックを拾い上げ女性の手に渡すと、アキは合羽のフードを外して深く頭を下げた。

「別に気にしてないよ。少し驚いたケド…… 」

「申し訳ありません。中の物は大丈夫ですか? 」

「ポテチとジュースだし、別に落としたところで問題ないよ」

 服装や顔立ちの派手さと相反する柔らかく暖かな若い女性の声。

「本当に申し訳ありません」

 アキは再び頭を深く下げる。


「自分が悪いと思ったらしっかりと謝る。今時の子にしては、珍しいくらい礼儀正しいのね。ウチの子たちにも見習わせたいわ」

 静観していた女性の声がそう耳に届くと同時にアキの身体から雨の感触が消える。不思議に思い下げていた頭を戻すと、視界に入って来たのは雨に髪を濡らす年上の女性と自分の上に差されたワインレッドの傘。

 アキは即座に自身を雨に晒すと自分に差された傘の隅を静かに押し、女性の髪が濡れない位置へとそれを静かに戻した。


 ふたりの女性は一瞬、驚いた表情を見せ、そして顔を見合わせ微笑んだ。


「あなた、『べにみやこ通り』って分かる? 」

 小学生の頃、周りの大人たちから聞かされた『子供が行ってはいけない場所』のひとつ。このあたりの色街だ。アキは首を縦に振った。


「その通りの裏手門の入口に『杉山米店』って古いお店があるわ。そこへ行ってみなさい」

「小雪さん、今の時間だと銀座通り側から入った方が良いですよね、警察やチンピラもあっちには殆どいないし」

「そうね」

 突然の言葉にアキは思わずふたりを見つめる。


「そこのご主人に『ヴァイオレット・スノー』の小雪の知り合いと言えば、煙草を買うのは無理だとしても、力にはなって貰えるはずよ」

「小雪さん、それなら『ヴァイオレット・スノー』の小雪と響って、言ってくださいよぉ」

 見えた光明。アキはふたりに深く頭を下げると、フードを深く被り自転車に跨った。 


『煙草の事なのになぜ米屋? 』

 そんな疑問も残ったが、アキは今だにふたりが自分を見つめている事に気恥ずかしさを覚え、もう一度深くお辞儀をすると自転車のペダルを強く踏み込み『銀座通り』への最短ルートである国道を選び西へと向かい走り出した。



「いましたねぇ、小雪さん。凛々しい顔立ちに筋肉質で大きな身体の持ち主が…… 私、真剣に謝るあの子の表情かお見て『あっ、この男の子カッコいいかも! 』って思っちゃいました」

「いたわねぇ、響ちゃん。ストイックで武骨かつワイルドが…… 私もあの子が自分が濡れるのを構わず、黙って傘を私の頭の上まで戻してくれた時、年甲斐もなくキュンと来ちゃったわ。あの子、将来ものすごくイイ男になるわよ」

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