第08話 朗人、雨の街道で

 降り出した雨の中、アキは合羽を着たまま、ハナとガオが姿を消した川沿いの道に立っていた。時折通り過ぎて行く車は水しぶきをあげ、国道のある西側へと進んで行く。

 国道への抜け道でもあるこの通りは一方通行。自動車などの車輛であれば当然進める方向は限定される。更に言えば、朗人の首筋には纏わり着くような嫌な感覚は無い。つまり、ハナは無事だ。


 ――― 国道一号イチコク方面だな


 そう判断したアキが自転車のペダルを踏みしめた時、スマホが着信を告げた。もしかしてとの思いで、慌てて覗いたディスプレイには『森山寿々もりやますず』の文字。朗人は小さな息をもらし、足を自転車のペダルから外した。

 

 ハナとアキの祖父と森山寿々の祖母は兄妹の関係にあり、その孫である自分たちはいわゆる又従妹同士だった。同じ学区に住んでいて、尚且つ同じ歳の血縁者。しかも、オリオンモールの火災でアキはレスキュー隊員の父を、そして寿々は弁護士の祖父を亡くしていた。アキも詳しくは聞いたわけではないが、寿々の祖父は火元が近かった事もあり、遺品はおろか骨も碌に残らなかったらしい。

 お互いが受けた心の傷、そして痛み。そんな共有した多くの忘れえぬ時間は、いつしかアキの中でも信頼以上の想いへと変化していた。


「…… はい」

 些か間の抜けた対応だがアキは電話口に向かいそう告げる。

「こんばんわ、アキちゃん。寿々すずだけど、ハナちゃんは平気? 」

 開口一番の言葉にアキは思わず息を呑んだ。

「今日、学校であんな事があったから、少し気になって…… 」

 その言葉にアキは今日学校でハナがパニックを起こした事を思い出す。同時に寿々の優しさも。


「もう、落ち着いてるよ。ありがとう。毎度フォローして貰って悪いな」

「それは気にしないで。私、ハナちゃんの事好きだし」

 寿々の言葉の一部分が朗人の鼓動を少し早めた。

「そう言って貰えると助かるよ。ハナも上手くは言えて無いと思うけど、寿々にはメチャクチャ感謝してると思う」


 ――― 一年半前、ハナが初潮を迎え、本人のみならずアキまでもがパニックに陥った際、それを助けてくれたのが寿々だった。

 その後、多少のなし崩し感はあったが、寿々はハナの洋服や下着選びなど、年頃の女の子に関する問題のサポートを快く引き受け、行ってくれている。

 母が心を壊し、祖母にも頼みずらい状況下にある中、それは救いでもあったが、同時にアキを要らぬ妄想へと駆り立てていた。

 街へと出て、ハナと共に洋服や下着を選ぶ寿々のその姿。瞳の奥に追いやった筈のその光景にさもしい妄想を繰り返してしまう自分。そんな自分自身をアキは嫌悪すらしていた。


「ハナちゃん、最近クラスに馴染もうと頑張ってるよ。私以外の人たちにも『ありがとう』って、言ってるのよく見かけるし‥‥‥ 」

「『ありがとう』が棒読みっぽくなってないか? 」

「大丈夫。しっかり言えてるよ」


 ハナの『ありがとう』は世間一般における『ありがとう』とは大きく異なる。通常、人は助けられた時、心から嬉しい時、そこに感謝が生まれ『ありがとう』という言葉が自然と出てくる。それは言うなれば感情の条件反射だ。

 だが、人の気持ちも察する、所謂「他者の喜怒哀楽への対応」を苦手とするハナはそれらを反復練習により身に付けていた。言ってしまえばハナの喜怒哀楽に対する反応は芝居のセリフのようなものなのだ。


「前に遊びに行ったとき、アキちゃんがドラマやアニメを観ながら、ハナちゃんに何を解説しているのんだろうって思ったけど、そう言うのの成果がちゃんと出てるんだね」

「寿々にそう言ってもらえるとマジで嬉しいよ。俺としては『ありがとう』が言えて、人が怒っている時にその人に対し、笑顔を向けてしまうのを直さなきゃいけないって思っていただけなんだけどさ」

 元々は亡くなった父や心が病んでしまった母が懸命に取り組んでいたトレーニング。ハナとテレビでアニメやドラマを観る際には必ず、場面場面での登場人物の心情や表情を解説し、ハナと一緒に登場人物たちの顔真似をする。アキはそれを引き継いで行っていた。


「嬉しい時や悲しい時に、どんな表情をして、どんな言葉を返せばいいのかって、考えてみれば難しいもんね。相手との関係性や状況によっても変わってくる事でもあるし…… 」

 その言葉にアキは寿々がハナを理解しようとしているだけでなく、自閉症についても、かなり学んでくれているのだと察した。

「そうだよな。キライな言葉だけど『空気を読む』って難しいモンな」


 ――― この人がなぜ自分に親切にしてくれたのかが分からない。


 ハナが時折もらす言葉。アキはそれを聞くたびに胸が締め付けられる。

 アキも悩む人間関係。その整理立ては理性の外側、いわば個人の打算と感傷が作り上げた身勝手な構想図のようなものだ。

 視覚化、そして具体化出来ないものを自身の中で上手く組み立てる事の出来ないハナにとって、思春期に於ける人間関係はもはや魑魅魍魎とも言える存在だ。だからこそハナは親類以外のクラスメートは全員『友達』であり『みんな』と呼ぶ事を選択している。だが、逆に言えば、それは友達がほぼ存在しない事の証明にもなっていた。


「…… キちゃん? 」

「…… えっ! あぁ、ゴメン! 今、ちょっと電波の悪いトコにいるんだ」

 どうやらハナの事を思い浮かべていた為、寿々との会話のにズレが生まれてしまったらしい。


「もしかして外にいるの? 」

「え――…… っと、ガオの小屋の前だよ。雨が強いから様子を見に外に出てる」

 雨音で察したのだろう。心配そうに尋ねて来た寿々に嘘をつく。


「そうなんだ。雨、凄いもんね」

「ああ」

 雨音が沈黙を軽くしてくれなければ、おそらくアキの鼓動は電話口の向こうにまで伝わっただろう。そんな中、聞こえた寿々の小さな息を吐く音。


「それとね、アキちゃん…… あの事、考えてくれた? 」

 寿々の言葉にアキの鼓動は早くなる。

「もちろん考えてるよ。だけど、もう少しだけ待ってもらえないか? 」

「この前話した通り、ハナちゃんも一緒がいいから…… 良い返事もらえたら嬉しいナ」

 連休明けに隣の学区で行われる『笠焼き祭り』。アキは寿々からそれに一緒に行こうと誘われていた。

 二人の兄弟が唐傘を燃やして松明代わりとし、その灯りを頼りに父親の仇討ちを成し遂げた『曽我兄弟の仇討ち』。その兄弟の供養として始まった『笠焼き祭り』は近隣に住む小中学生にとっての一大イベントだ。なにせ、この祭りに男女で行くと周りから恋人同士と認識され、以後、余計な茶々が入らなくなる。

 ある意味『笠焼祭り』は恋人の披露の場なのだ。それ故、女の子から『笠焼き祭り』に誘われ、それを受けると言う事は、自分も好きだと告白したと同義となる。朗人も寿々には特別な思いを抱いていたが、それでも返事をしていないのには大きな理由があった。


 ―――『笠


 そのお祭りのクライマックスに行われる、沢山の唐笠を焼く野辺送りとその火を灯した提灯での山下り。それを想像するだけでアキの額からは汗が噴き出す。


「アキちゃん、私以外に誰かから誘われてる? 」

「いや、寿々からしか誘われていないよ」

 緊張からだろう、アキの返答はやけに早口なものとなっていた。


「良かったぁ」

「必ず返事するよ。だからもう少しだけ時間をくれないか? 」

「うん! 」

「じゃあ、連休明けに学校で」

「うん。じゃあ、アキちゃんおやすみ」

 寿々が電話を切るのを待ち、ホームボタンををしたアキは寿々への想いと共にスマホを胸ポケット奥に仕舞い込む。


「まずは旧道入口のコンビニまで行ってみるか」

 強さを増す雨の中、アキはそう声をあげると強く自転車のペダルを踏み込んだ。


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