第04話 朗人、炎の記憶

「だから、何でハナはダメなんだよ! 俺はハナと一緒じゃない限り、塾の合宿なんて参加しないっ! 」

 アキは電話口に向かい声を荒げた。だが、祖父から返ってきた言葉はいつもの『言われた通りにしろ』。

 家族三人を住まわせてくれるばかりか、ハナと共に学費の高い私立の中学に入学させてくれた事には心から感謝していた。ハナが普通級で過ごせているのも祖父が学校へ何らかのアクションを起こした結果なのだろう。

 大地主で県会議員、その上に色んな団体の顧問までを努めている著名人。歩んできた経歴か、それとも年寄り特有の頑なさのかは分からないが、祖父は物言いが常に高圧的だった。


「ハナをみそっかす扱いすんなっ! クソジジイ」

 怒りに任せ捨て台詞と共に電話を切る。


「ハナを何だと思ってんだ。あいつが自閉症だからって何だって言うんだ! 」

 ――― 自閉症。今は自閉症スペクトラム障害と表現される事が多くなったが、いわゆる先天的な脳の機能障害で発達障害の1つ。

「どいつもこいつも、変な目で見やがって!」

 ――― その特徴としては社会性発達の質的障害・コミュニケーションの質的障害・興味や活動のかたよりなど。また、人と視線が合わなかったり、独言が多くみられるケースも多い。

 アキは何度も読んだ本の一説を思いだし、奥歯を鳴らした。


「ガキ臭いヤツやコミュ障のヤツなんて、日南大付属ウチ中学学校にだってゴロゴロいる。だいたい物事への関心が偏っていない人間なんて、この世の中に存在するのかよっ! 」

 吐き捨てる様なひとり言を洩らした次の瞬間、アキの首筋や耳の裏側が急激に熱を発した。今までに無いイヤな熱の籠り方。同時に聞こえて来たガオの咆哮。背筋に鳥肌が走った。


「ハナっ !!! 」

 何かがあった。それは間違いないだろう。朗人は考えるより先に駆け出しながら、スマホの画面でハナの名前をタップする。十回ほど鳴ったコールは留守番電話を告げる無機質な音声へと切り替わった。


「ハナ待ってろ、今直ぐに行くから」

 アキは祖父との電話を聞かれないようにハナの側を離れた自分の迂闊さに舌打ちをした。


 角を2つ曲がり、広く真っすぐな道へと出る。そして再びの聞こえたガオの咆哮。


 ――― めったに吠えないガオあいつが何度も…… 頼むガオ、ハナを護ってくれ!


 祈るような思いで、駆け抜けた住宅街。そして辿り着いたハナとガオが待っていた筈の川沿いの通り。


 だが、そこにはアキはおろかガオの姿さえも見当たらない。


「ハナっ!どこだ!? 返事をしろっ! ガオっ! どこにいる! 」


 その呼び掛けは虚しく響き目の前の川の流れに吸い込まれる。アキが震えながら見つめた道路にはガオが付けていた赤い首輪と散歩用のリード。それに一本の吸いかけの煙草が煙を燻らしながら落ちていた。それを見たアキの顔色が大きく変わる。


「 っっ!! 」

 地面を掘るかの勢いでアスファルトを蹴り出す朗人。足と大地の間には先程まで煙を出していた煙草。



 記憶。

 ―――大丈夫だよ。大丈夫だから

 炎に爆発音。恐怖、震え。そして煙の中から現れた大きな男の大きな手と白い歯。

 ――― 英子ハナコ朗人アキラもう大丈夫だぞ! よく頑張ったな。さすがはオレの子供たちだ。



―――――‼

 思いに捉われていた朗人の耳をつんざく音が響く。


「バカ野郎! 死にてえのか!」

 クラクションと共に浴びされた罵声。我に返ったアキが見つめた足元には粉々になった煙草の残骸。

「父さん…… 」

 アキは無意識にそう呟き、震える指先でスマホのボタンを110イチイチゼロと押した。



 ************************************



「…… で、キミは戻ったが、お姉さんが見当たらなかったから、直ぐに警察に電話をした。と言う訳だね」

「はい」

 自宅。正確に言えば、今現在のアキたちの住まいである祖父の家には幾人ものスーツ姿の警察官の姿があった。


 あの後 ――― ハナの姿が見当たらず、焦りを覚えたアキはすぐさま警察に電話を入れた。当初、お座成ざなりだった警察の対応も、アキが祖父の名『相良洋一郎さがらよういちろう』を持ち出すと、電話の声色が変わるどころか対応相手そのものが警察署長へと入れ替わると言う、丁寧且つ迅速な掌返しに会い今に至っている。



「なるほど…… 」

 話を一旦、区切ると言う意味なのだろう。スーツ姿の刑事は視線をアキから祖父に移すと軽く咳ばらいをした。


「事故と誘拐、どちらの可能性もあるので、まずは情報公開はせずに進ませてください」

 その言葉に祖父は黙って頷いていた。

相良さがら先生は議員というお立場、しかも長者番付の常連で資産家としても有名です。逆恨みや嫉妬も買いやすいと思うのですが、何か身に覚えは…… 」

「ありすぎて見当がつかん。恨みを買う事は政治家の仕事の一部だ。それによそ様より金がある事なんぞ、いちいち気に留めていたら生きていけん」

 遠慮がちに尋ねてくれている警察官にさえ、高圧的な祖父の物言い。屋敷の中では警察官が忙しく動き回り、その内の何人かは小型の機材を設置し、稼働するかどうかを丁寧に確認している。おそらくはTVなどで見る電話の逆探知装置のたぐいなのだろう。


「居なくなったお孫さんの特徴をもう少し伺いたいのですが、その…… お孫さんはご病気をお持ちとか…… 」

 病気。アキは思わず失笑する。だが同時に世間一般における自閉症の認識がそんなものである事は今までの経験で理解していた。そして、他者に自閉症を理解して貰うのが、ほぼ不可能である事も。


 失笑が耳に届いたのだろう。刑事のひとりが視線で言葉を発する事を促して来た。


「ハナは病気じゃありません」

 思ったより大きな声にアキは自分が予想以上に怒っている事を痛感する。

「警部、自閉症は脳の機能障害で、弟クンが言う通り病気ではありませんよ」

 目の前にいる四人の刑事のうち、一番若い男が柔らかめの注意を行った。


「失言だったようだね。申し訳ない。では、キミのお姉さんの特徴について詳しく教えて貰えないかな」

「…… 背は僕より少し低い165㎝。同年代の女の子と比べれば、頭一つ以上背が高いです。髪はボブ。クセっ毛ですので外側に跳ねてます。顔の作りそのものは双子ですから僕と似ていますが、表情が豊かなので幼い印象を受けると思います」

 聞かれることを予想していた朗人は、頭の中で纏めていた特徴を口にする。


「キミから見て、お姉さんはどんな子に見える? 」

 一番年長者らしき男からの質問。言葉を選びながらしてきたその意図は直ぐに察せた。


「ハナは時間や予定がズレる事を極端に嫌います。時にはそれが原因で大きな声で泣いたり、癇癪を起したりします。そして、顔に触れられる事も嫌がります。あと、何もせずじっとしている事が苦手で、そういう時には手を叩いたり、独り言を言ったりします」

「それが、自閉症の特徴と言う訳か…… 」

 年配の刑事が確認の意味で漏らした言葉がアキのカンに触った。

「今、言ったのはハナの特徴です」

 悪気はないのは分かっていた。だが、やり返さずにはいられない。

 

 自閉症の人間の特徴については、近年TVドラマなどが題材にする事もある為、多くの人がその外核を捉えている。だが、それに本人あるいは家系的の気質・性格が混じり合い百人百様の個性が派生している事はその逆に全く知られていない。

 更に言えば、経験や学習、社会生活を積む事により、ある意味へと単一化、言い換えれば標準化される健常者に対し、自閉症を持つ人間は経験や学習と言ったものを重ねても、標準化される傾向は皆無と言ってもいい。だが、それこそが個性であり特徴なのだ。


 アキはあらためて理解されない事の悔しさを知り、唇をかみしめた。


「そ、そうだったね…… あと親御さんにもお話しを聞きたいんだけど…… 」

 その言葉に今度は祖父が左眉だけで反応を示したのをアキは見逃さなかった


「その…… お父様はお亡くなりになっているのは存じているのですが、お母様…… 先生の娘様からお話を聞かせて頂く事は出来ないでしょうか? 」

 場の空気が重くなったのを察したのか、若い刑事がすかさずフォローをいれる。


「申し訳ないが、娘は話せる状態ではない。孫の詳しい事は私の家内かないに聞いてくれ」

「…… ショックを受けられているのですね。心中お察し致します」

「ああ」

 お互いが着地点を予測していた為だろう。祖父と若い刑事のやり取りは綺麗な収まりを見せる。

 確かに祖父の言う通り、アキたちの母は、親族以外とまともに話せる状態では無い。だが、それはではなく、もう二年程前からの事だった。


「では、その他の部分、今後の方針などを先生と詳しく決めていきたいのですが…… 」

 年配の刑事がそう告げた時、祖父が左手をあげ、その先に続く言葉を制した。


「朗人は部屋に戻れ。ここは子供がいて良い場所ではない」

 虚を突かれた朗人は顔を上げ祖父を見つめる。


「なぜですか? 僕ならあいつの今いる場所や状態がある程度分かります。今、ハナは今それほど離れていない所に無事にいます。怪我とかはしていませんが誰かに攫われて眠らされている状態なんです。目を覚ましたらパニックになり大変な事になります。だから、その前に見つけないといけないんです」

 まさかこの場を締め出されると思っていなかったアキは慌てて言葉を並べた。


「キミはなぜそんな事が分かるんだい? 」

 目の前に並ぶ刑事たちのうち、一番立場が上であろう人物がアキに尋ねてきた。


「双子だからとしか言えません。自分とハナは昔から強く怒ったり、悲しんだりすると多少距離が離れていても、互いにそれを感じる取れることが出来るんです。こう…… 首筋辺りが熱を持つと言うのか…… それは身体の痛みとかに関しても同じです。距離については上手く説明できないんですが、近くになるほど首筋に感じる感覚がリアルに…… 」


「いい加減にしろ! 」

 祖父の怒号。その言葉と視線の圧は凄まじく強面の警察官たちも肩を竦めている。アキは祖父が『神奈川県議会の雷帝』の異名を持つ事を思い出す。そして、元よりこの場の全権限は祖父が握っていたという事も。


「非科学的な事をグダグタと警察の前で語りおって! こちらは必要な事は聞いた。お前は部屋に戻れ! 」

 反論は許さない。祖父の視線はそう語っていた。

「分かりました…… 」


「それと朗人」

 自身の部屋のある二階に行こうと客間の扉に手を掛けた朗人を呼び止める祖父の声。

「何でしょうか」

「お前は明日からの連休は予定通り、学習塾の合宿に参加しろ」

「…… 分かりました」

 普段であれば絶対に首を縦に振らなかったその言葉にアキは素直に頷くと、『好都合だよ』と小さく呟き、とある決意を固め自身の部屋へと向かった。

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