この懊悩を青春と飾るのならば

べいっち

第1話

 ――雨が降ったあとの夕日というものは、どうしてこんなにも綺麗で儚いのだろう。


 昼の雨がつくった水たまりに夕焼けが映り、涼しい秋風が髪の間を抜けていく。


「今日提出だった進路希望調査さ、いっちーはどこ志望で出した?」


 いっちーこと「浅葱あさぎ はじめ」は俺のことだ。

 今日は久しぶりに幼なじみで親友の「中田なかだ みつる」と帰ることになった。


 ――夕日はなぜ、今日が終わる寂しさと、明日になってしまう焦燥感を運んでくるのだろう。


 俺は自転車を押し、隣を歩いて答える。


「俺は⋯⋯適当に近くの大学書いといた。特にやりたいこともないし決められないし、かと言って就職は無理かなって。みつるは?」


 将来のこととか、正直よくわからないし考えたくない。


 高校二年生の秋には進路を決めなさいなんて先生に言われてたけど、結局やりたいことが見つからないまま今日になってしまった。


 みつるは傘をゆらゆらと振り、時より地面を突いて答える。


「俺はね、第一志望に〇〇国立大学。第二志望は〇〇大学にした」


 流石学年トップ。国立か。


「あれ、でも音大に行くって言ってなかったか? その二つってどっちも普通の四大じゃ?」


 みつるは困ったような顔で頷く。


「本当は音大に行きたいんだけどね。親は俺を国立大学に入学させるのが夢だからなかなか言えないんだ」


 なるほど。確かにみつるの両親ちょっと怖いし、言っちゃ悪いが毒親感あるよな⋯⋯。


「それで、みつるは俺に背中を押してほしいってことか?」


 恐らく本題であろうことを切り出すと、みつるは再び頷いた。


 親に言えなかった理由は察しがつく。周りに流されやすい性格が出てしまったのだろう。


 どうやって背中を押せばいいのか、なにを言えばいいのか。

 言葉を選んでいたら間が空いた。


 なんとなく気まずくて自転車のベルを鳴らす。

 静かな住宅街に音が響いて反響する。なんだかシュールで余計気まずくなった。


 するとみつるが咳払いをして、「俺さ」と喋り出す。


へんかもしれないけど、音楽聞きながら勉強できないんだ」


 よかった、この空気はどうも苦手なんだ。って、どういうことだ? ⋯⋯あー、


「音楽聞きながらやると頭に入らないとか言うもんな」


 音楽を聞きながら勉強するといつもより進む気がするってやつ。

 あれ、本当は逆で進まないらしい。ネット記事で見たことがある。


「いや、俺の場合は⋯⋯その、音楽聞きながらやってると無性に音楽がしたくなるから」


 ゆるゆると首を振って否定。

 なるほど、音楽が好きすぎて勉強が進まないってことなのか。


 俺は「なんだそんなことか」と、軽く考えていた。


 でもみつるはどんどん神妙な表情になって――、


「⋯⋯ホント、冗談抜きで、『こんな勉強より音楽がしたい』って、叫びたくなる」


 それから震えた声で「おかしいよな」って、とても苦しそうに笑った。


「――」


 そんなみつるを見て、俺は心が締め付けられるように揺れた。


 俺は真剣に相談されていたのに軽々しく考えていた。


 すぐに、「おかしくない」と言えなかった。


 そのあとも言葉が浮かぶ。


 音楽がしたい気持ちをそのまま親にぶつければいいじゃないかとか、そんなにしたいと思えることがあるのが羨ましいよだとか。


 それさえも言えなかった。ただ言葉が詰まっただけじゃない。


 俺より将来を考えていて、頭もいいみつるに、すごくない俺が言っていいものなのか。俺はみつるになにか言える立場なのか。


 ――親友とは、そういうことを無視して言える関係なんだろうか。


 冷や汗がたらりと首を伝う。

 俺は今、どんな表情をして歩いているんだろう。


 無言のまま歩き続け、いつの間にか住宅街を抜けて橋を渡っていた。


 川に映った夕日は水たまりより綺麗で、みつるもその風景を見ている。


 俺は意を決して口を開く。どうせ馬鹿が考えても解決しない。


「俺は⋯⋯みつるが羨ましいと思うよ。そんなにやりたいと思えることがあるのが、心底羨ましい」


 俺はみつるがどんな曲を作曲しているのか知らないし、聞かせてくれない。


 でも、保育園の頃からピアノを習っていて、ピアノの伴奏を任されていたことは知っている。


 ピアノを弾いているときのみつるは生き生きとしていて、とても楽しそうだったこと。ピアノがうまいのは勿論のことで、その姿を見て女子が惚れるのも知っている。


「音大のこと、両親のことを思って言えないでいるんだろ。その性格も羨ましいし、すごいと思う。俺以外の人だって思ってるはずだ。まぁ優しすぎるのは改善の余地ありだけどな」


 橋を渡り終えるとどこからか金木犀の匂いがする。すっかり秋の装いで、夏はもう過ぎ去ったらしい。


「大丈夫。みつるの気持ち、親御さんに言えば通じるよ。大丈夫だ」


 軽々しい言葉だと思われないように、みつるの目を見て念を押す。今言ったことは嘘偽りない本音だ。


 べた褒めされて背中も押されたみつるは「ありがと」と、照れくさそうにしている。

 顔が整ったやつが照れると絵になるなと思った。


「はーっ、そうか。いっちーが言う通り、俺すごいって思われてるのかな⋯⋯実際、そうでもないのにね」


 沈みかけになった夕日を、みつるは目を細めて眺める。


 保育園の頃には見えなかった喉仏に、ずっとある目尻のホクロ。上にあがった長いまつ毛に茶色い瞳が夕日に照らされている。


 親友の俺が、よく見る景色。


 でもみつるに彼女ができてから、しばらく見ていなかった。なぜか懐かしい気持ちになる。


「親友の俺からしても相当すごく見えるし、みつるは頑張り屋だって思うよ」


「頑張り屋、か」とみつるは呟き、下を向く。髪が重力に従い、みつるの顔を隠した。


 その行動がなにを示すのか、俺は知っている。


「⋯⋯よしよし。みつるは頑張り屋だって俺は知ってるから。尊敬してるし応援してる。だから気ぃ張りすぎたり、頑張りすぎたりすんなよ」


 そう言って背中を撫でると、みつるのすすり泣く声が聞こえた。


 いつも泣き顔を見せようとせず、自分の弱いところは見せない。

 下を向いて腕で涙を拭い、作り笑いでその場を誤魔化すのがみつるの悪い癖だ。


「⋯⋯いっちー、二人乗りしたい」


 なにを血迷ったか、みつるは荷台に乗りたいと言いだす。


 ⋯⋯はぁ、その顔で、この状況で言わないでくれ。断れないだろ。


「しょうがないな」


 俺は危ないのを承知で二人乗りをすることにした。このまま駅まで送ってやるとしよう。

 普段より重いペダルを踏み、バランスを崩さないように進んで行く。


 ⋯⋯待てよ、知ってるやつにこの状況を見られたら恥ずかしいな。それに先生に見られたらみつるの成績が落ちてしまうのでは?


 それはまずい。

 誰にも見つかるなと願いながら、早くペダルを漕ぐ。


 いつの間にか泣き止んだみつるが、俺にだけ聞こえるような声量で「うん」と言って、


「いっちーのおかげで決心ついた。俺、ちゃんと親に話してみる。今度は折れない」


 と、泣いていたとは思えないような声で喋った。


 それから「期限前に相談しとけばよかった」って笑って、「もっと早く漕いでよ」とか無茶ぶりを言い始める。これ以上は無理だ。


 普段優等生で通っているみつるのこういう一面が見られるのは俺だけだろう。あ、彼女にも見せてたりするんだろうか。


 みつるは駅に着くまで「Gメジャーの曲はハズレがない」とか、「転調は最高」だとか、曲の話ばかりする。

 楽器も作曲もしていない俺は話についていけなかったが、俺の好きな曲もGメジャーだというので少し理解できた。頭がよくなった気分だ。


 よし、今日はこのまま楽しい思い出を残して終わろう。明日のことは考えたくない。ましてや将来なんて、頭が痛くなる。


 空を見ると、夕日はいつの間にか沈んでいた。さっきまで夕日がいたことを示すよう、空に色を残して。


 ――俺は、置いてけぼりだな。


 ⋯⋯なぁ、みつる。彼女なんてつくるなよ。俺よりずっと前に進むなよ。もっと二人で馬鹿やってはしゃいでいよう。大人になんて、ならないでくれ。


 この感情はきっと、思春期特有のどうしようもない、どうにもならない気持ちだ。俺も大人になったら懐かしく今を笑うんだろう。


 それでも今は、胸の奥が焼けて揺さぶってくる。目が熱くなって鼻の奥が苦しい。


 涙を零さないように上を向く。涼しい風と共に、涙を乾かしていく。


 軒並みに植えてある楓は色づき始めていた。


 ⋯⋯あぁ、みつるが後ろに乗ってくれてよかった。こんな顔、みつるには見せられない。


 早く漕いだおかげか涙は乾き、あっという間に駅に着く。


「送ってくれてありがとな」


 みつるは礼を言い、駅のホームへ消えていった。


 俺は軽くなったペダルを漕ぎ、速攻で家に帰る。

 誰もいない家に「ただいま」を言い、すぐ風呂に入った。


 そして熱めのシャワーを頭から浴び、自分の嫌な性格が流れてくれと願う。


 ――みつると自分を比べるのはやめろ。醜い嫉妬は消えてくれ。あいつだって悩んでいたじゃないか。みつるとずっと仲良くしていたいのは本心だろ。


 だが風呂から出ても当たり前のように嫉妬心がある。本当に当たり前だった。


 冷凍庫からアイスをとって食べる。

 こんなところに夏要素が、なんて思ったが、うちは年中アイスを買っている。夏の落し物じゃない。


 アイスをかじり、深いため息をつく。


 スマホを開くとみつるからメッセージが入っていた。


「今日の夜言ってみるよ。もしダメだったらまた背中押してくれ」と。


 そのメッセージを見てまた心がもやつく。

 アイスをかじる。今度は歯がキーンとした。


「⋯⋯親友って、なんだ」


 ――この懊悩おうのうを『青春』と飾るのならば。俺は青春なんて、知りたくなかった。

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