第25話 怪我
着信拒否しているのに、電話の相手は久美子だ。沙羅は慌てて切る。またすぐ着信音が鳴る。切る。また鳴る。乗客の目を気にして、沙羅はバスを降りたらかけ直すと答えた。いっそ無視し続けたかったが、久美子の口から双樹の名前が出たからだ。
バス停のベンチに腰掛け履歴番号を確認すると、どこかで見かけた番号だと思った。家を出た時、今まで関係ある人全てを削除したので誰かは分からない。不審に思いながらも、沙羅は久美子に電話した。
「……私だけど、お母さん、さっきお兄ちゃんの名前言ったでしょ?何?」
「……沙羅、電話ありがとう。実はね、双樹がね」やはり兄の名前を言った。
「お母さん、ごめん、ここじゃ聞こえにくいの。またかけ直す」
ベンチの隣に子供連れの親子が座り、兄弟喧嘩をしたのか幼児が大声で泣き出した。沙羅は席を譲るフリをしてその場を離れた。歩道橋を渡って反対側のベンチに行こう。そこには木陰もある。
沙羅は転ばないように、手すりを使った。昇りより、階段を下りる方が怖い。安定期に入ったとはいえ、慎重に一段ずつ、ゆっくり下りる。あと五段だ。
あと、四段、三段……その時背中を思い切り押される。
そのまま雪崩れるように足がもつれ下まで転んだ。咄嗟にお腹を庇った。お尻と肘を強く打った。
「大丈夫ですか?怪我は?」下校時間なのか、数人の女子校生が沙羅の周りを囲む。捻挫もしたようだ。立てなくて、その場に座り込むしかなかった。
沙羅は背中を押した人を見つけようと辺りを見回したが。心配して取り囲む人たちで分からない。
「誰か、私が背中を押されるところ見ていませんか?押した人知りませんか!」
沙羅は足の痛みを堪えて聞いたが、誰も見ていないと首を振った。
歩けない。痛い。どうしよう。幸いお腹の痛みはない。でも家まで帰れそうにもない。沙羅は仕方なく電話で久美子に助けを求めた。
「お母さん、ごめん。階段で転んで怪我したみたい」
「……じゃあ、今日は家に来られそうもないわね。双樹も、双樹もいるのに」
沙羅は一瞬耳を疑った。双樹が家にいるなんて事があるのか、沙羅以上に重い処分の双樹を母親が家に入れる事があるのか。
「お母さん、お兄ちゃんが来てるの?私もすぐ家に行く、行きたいんだけど、怪我して、お母さん、一人で歩けそうにないの。お願い迎えに来て」
「……沙羅が復帰するというのなら。復帰を考えのなら迎えに行くわ」
「えっ、そのつもりは……ない」交換条件を出す久美子に呆れ、沙羅はきっぱりと断った。
「そのつもりがない娘を車に乗せて、誰かに見られたらどうするの!そんな事したらお母さんまで戒めを受けるじゃない!双樹にも会えないわね。残念ね」
久美子はそう言って電話を切った。こんな人、母親じゃない。沙羅は心の底から悲しくなって泣きたかった。けど泣かない!自分はもう母親だ。強くならなきゃと気持ちを切り替え、バックの中のペットボトルの水でハンカチを濡らし、足を冷やす。幾分痛みが和らいだ。
けれど、双樹に会いたい。久美子と家にいるのだろう。すぐにでも会いたくて沙羅は父親弘志に電話をかけた。心配するから怪我のことを内緒にし、病院で貰った資料を見せたいとだけ言おう。
「……もしもし、お父さん、今日病院から資料を貰ったの。お父さんに目を通して欲しくて、今、霞ヶ丘のバス停のベンチにいるんだけど」
「……分かった。今、近くにいるからすぐ行くよ。ここからなら五分くらいで着くと思う」
五分後、弘志が来た。助手席に真美さんも乗っている。
「ちょうど良かった。真美からも迎えに来てと電話があったから。近くの喫茶店でもいいかな」弘志は優しく聞く。沙羅はいいよとベンチに座ったまま答える。
「沙羅ちゃん、こんにちは。捻挫したでしょ!他に怪我しなかった?」
何で知っているの?沙羅は真美の言葉に驚いた。
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