第24話 無輸血
母親から電話があってから二週間が過ぎた。またかかって来ないように、着信拒否した。久美子のせいで、あまり携帯電話を見ない生活になっていた。双樹からの連絡も一切ないだろう。双樹との繋がりも諦めるしかない。
今日は検診日だ。母子手帳と、お薬手帳を確認しバッグに入れる。悪阻もおさまり、安定期に入る。まだ、貧血の薬は朝と晩飲まなくてはいけない。
今日は、赤ちゃんの成長をエコーで確認し、自分の貧血検査がある。沙羅はカレンダーの印を確認して、家を出る。
バスに乗る。もう誰の目にも妊婦だと分かるのか、席を譲られた。今日は父親弘志の付き添いはない。真美が付き添うと声をかけてくれたが、やんわり断った。沙羅は財布の中のお金と、あるものを確認した。
最悪の場合、これに頼る事になるのだろうか、それとも……。
儚仏真理教の教えの中に、『血は全て地面に注ぎ出せ』というものがある。神の目に血は神聖であり、人間はそれを神に返せという。死んだ体は地面の土となり、血は染みこんで地の肥やしとなる。
教団から離れた沙羅にとって、一つだけ破る事に躊躇するのが輸血だった。他の人の血を体内に取り入れる事は、本能的に無理だ。幼い頃から、輸血に伴うリスク、病気、後遺症などを教えられてきた。輸血は怖いものだと、何度も話されるうち頭に叩き込まれた。
故に、信者はみな輸血拒否のためのカードを肌身離さず身体につけている。交通事故で意識が無い場合、緊急手術になってもそのカードを見た医者は輸血が出来ない。勝手に輸血医療を施せば、裁判で負け、多額の慰謝料を払うことにもなりかねない。
沙羅は中途半端に、財布に入れている。信者でなくなれば、必要に応じて輸血がされる。しかし家を出た日、拒否カードを捨てる事が出来なかった。沙羅自身、これが信仰なのか、マインドコントロールなのか分からず、財布に保管するしかなかった。心の奥底で輸血拒否を願う自分がいる。
名前を呼ばれ、診察を受けると、順調ですと医者は言った。そのあと、顔色が曇り、では大切な話をしましょうとイスに座り直す。
沙羅も緊張する。ブラウスのボタンを止める手が震えている。信仰を異にする弘志や真美の付き添いを断ったのもこの話し合いの為だ。
「……決まりましたか?」医者はゆっくりと落ち着いて沙羅に問う。沙羅と同じ信仰ゆえの輸血拒否患者を扱った事があると言って、説明し始めた。
「皆さん、無輸血を固く決意されて病院に来ますよ。あなたは迷っていますね。けれど、もしもの場合を考えてこの病院を選んだのではありませんか?」
医者の言う通りだった。無事に子供を生みたい、けれど輸血が必要になった時、受け入れる事が出来るのか、断って子供が死んだりしたら、沙羅は必死に考えて無輸血を受け入れてくれるこの病院を選んだはずだった。
今でこそ、輸血の代替医療を行える病院は増えたものの、理解を示されない頃は、多くの信者が心痛を味わった。亡くなる人、子供を死なせ、人殺しと教団に電話がかかってきた事もある。
「お母さんになるんですよ、強くならなきゃ、安心出来るよう説明に入ります」
煮え切らない沙羅に医者は微笑んで資料を渡した。
「まず、フェモグロビンの値が良くなってきています。ですので、自己血貯血を始めましょう。ご自分の血なら抵抗がないでしょう。もし、まに合わなければ、代替医療のひとつ、輸液を用います」
「輸液ですか?」聞いた事はあるが、いざ自分の事になると頭が真っ白になる。
「はい、乳酸加リンゲル液の事です。デキストラン、ヒドロキシエチル澱粉を用いて血液量を維持し、酸素を運搬させます。酸素さえ循環させれば、胎児もなんとか持ちこたえるでしょう」
この後も難しい用語で説明されたが、沙羅は真剣にメモした。今、母親として出来ることは赤血球を増やす事、その為に栄養を摂るんだと結論して、病院を後にした。
バスに乗っている時、電話がなった。病院からかもしれないと、不用意に出ると、久美子からだった。
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