第21話 トラブル

「もう連絡してこないで!」


 久美子は沙羅の言葉に苦い笑いをする。自分も何度この言葉を家族に言っただろう。駆け落ちした母親に、母親を失ってアルコール中毒になった父親に、離婚した弘志にも、反抗した子供たちにも言い放った。


 家族を作ってただ幸せになりたかった。今、家族はバラバラになって崩壊している。どこから間違ったのか。久美子は気が滅入ったが、過去に囚われないように自分を奮いおこした。今日はご奉仕の日だ。近所の主婦、山田の家で勉強会がある。


 勉強会とは、儚仏真理教の教えに関心を示した人を訪問し、教団の聖本とテキストを使って信仰を築く事である。山田は聖本を読むと涙を流し、これこそ真理だと感嘆の声を上げた。純粋な心の持ち主山田を必ず信者にし、救いに至らせたい。双樹と沙羅を失ってから、山田の存在は今の久美子の希望となった。


 沙羅の事は少しずつ説得していこう、それより今は新しい信者を増やさなくてはいけない。おさからの銀色バッジを胸に付けると、神と共に働く者という実感が湧いた。胸に輝くバッジは何よりも久美子の自尊心を高め、承認欲求を満たした。


 壁の時計を見ると、仲間の北村と約束した時間を五分も過ぎていた。今日は同居している義母を病院に送り、その足で久美子の家に来ると言っていたはずだ。遅刻したことのない北村を心配して、携帯に電話する。


「……もしもし、北村さん、どうかしたの?」

「……あっ、久美子さん、体調が悪くて、今日は一人で行ってくれるかしら」


 そんな事だろうと思ったが、真面目な北村が連絡をしてこないことを不審に思った。なんだか声もよそよそしい。元々山田さんは、北村が教えていた人だ。忙しいという理由で三ヶ月前に代わって欲しいと頼んだくせに、具合が悪いなら仕方がないと、久美子は一人で、山田の家に行った。


 一時間余り、勉強会をすると、気持ちが爽やかになる。山田は訪問の度、「神様はいると思う」とか「私も信者になりたい」と目を輝かせて自分の信仰を表明する。そしてそのあと、赤面するほど久美子を褒めた。


「北村さんより教え方が上手でわかりやすいです。久美子さんに代わってもらってよかった!」「いえいえ、誰が教えても同じですから……」


 謙遜しながら、久美子は悪い気はしなかった。自分が価値ある人間だと認められたようで嬉しくなった。ご奉仕時間を増やした努力を、神が祝福してくれたに違いない。「また来週もお願いいたします」山田が深々と頭を下げる。

 

 山田に手を振り、時計を見ると、もうお昼だった。満たされた気分でスーパーに寄る。野菜をカゴに入れ、肉のコーナーでばったり北村に会った。


「……北村さん、大丈夫なの?今、山田さんの所からの帰りなの。山田さんね、北村さんに宜しくって……」話の途中で北村の視線が遠くを見たあと、下に落ちる。北村が見ていた方向を確認すると、竹富の妻房枝がこちらに向かって来る。


「あら、久美子さん、こんにちは。ご奉仕お疲れ様でした。今月のご奉仕時間は順調?無理そうならいつでも言ってね、協力するから」


 先に銀色バッジをつけた房枝は、上から目線で久美子に言った。誓約した100時間を久美子が達成出来るのか楽しんでいる様子だ。一ヶ月で100時間、週に25時間、単純計算で一日四時間ご奉仕すればいい。専業主婦の久美子は、無理な要求ではないと笑って答えた。


「あら、ごめんなさい。ただ久美子さん勉強会が少ないでしょ、一件一件家を回るご奉仕は大変だと思って。フフ、疲れが出たらいつでも言ってね」


 房枝は鼻で笑う。確かに房枝は勉強会が多い。十人ほど教えている。一度房枝の勉強会に参加させてもらったが、一時間おしゃべりをしていただけだ。聖本を開く事のない勉強会に何の意味があるのか、神の言葉を蔑ろにしていると素直に伝えた事がある。房枝は顔を真っ赤にして怒った。その事を思い出したのか、房枝はチッと舌打ちしてから久美子に言った。


「……私たちこれから岡村さんの所で食事会なの。あなたも来る?……あっ、ごめんなさい、沙羅ちゃんの事で大変だったわね。悪阻つわりはどう?」


 北村の視線が房枝にパッと移った。

「北村さんは知らなかったわよね、沙羅ちゃん妊娠したらしいの。排斥中に不道徳を犯したのよ、残念ね、復帰の道はなくなると思うわ」


 沙羅が家を出て行ってから、久美子をずっと励ましてくれていた北村は、房枝の言葉に驚いて、本当かと久美子に確認した。


「そうなの?久美子さん、何で教えてくれなかったの!」責めるように言う。

「……私も最近知ったの。けど、長の配慮で、沙羅が悔い改めているなら教団に戻っていいってお許しが出たの」久美子は言い訳がましく答える。


「けど、それって不公平だわ!沙羅ちゃんだけ特別扱いなんてずるい!神の掟に反すると思う」北村は冷たく言い放った。自分の娘も不道徳の罪で排斥され、悔い改めた今でも、復帰の話はないと言う。


「そうよね、不公平よね、北村さんの気持ち分かるわ」房枝が同情の声をあげ、北村の背中をさすった。


「……長の提案ですから。その場に竹富さんも岡村さんもいたんです。私これから確認してきます。失礼します」


 久美子はいてもたってもいられず、二人に背を向け丸山に会いに行く事にした。水晶さえ手に入れば必ず沙羅の魂は浄化されて、救われる。必ず復帰させる、そう決意して施設まで車を走らせた。









 


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