第19話 子供の父親
何回かけても双樹に繋がらない。沙羅は留守番電話にメッセージを入れた。
『お兄ちゃん、沙羅です。連絡下さい。何時になってもいいから連絡して!』
二時間待っても電話はならなかった。その代わりにメールが届いた。
『どうした?何かあったのか?メールで教えて欲しい。今、風邪をひいて声が出ないんだ』沙羅はそういう事かと安心し、返信する。
『風邪をこじらせたの?お見舞いに行く。住所教えて下さい!』
結局その夜に返信はなかった。沙羅は携帯電話を握ったまま眠りに就く。
翌朝、電話が鳴る。声が出るようになった双樹からだと慌てて出ると、一番聞きたくない相手からだった。
「沙羅、久しぶり。やっと落ち着いたから会いたいなと思って。今日会えないかな?」三ヶ月ぶりに聞く
「……ごめん、今日は仕事なので無理」とっさに嘘をつく。
「あの店辞めたんだろ?」「だから違うお店、今日は仕事で会えない」
妊娠が分かってから、誰にも言わずにバイトを辞めた。店に行っても会えず、その事を聞いて電話してきたと言う。同じ年の拓海は大学に通っている。忙しいから会えないと言ったのは拓海の方だ。何を今さら、会いたいなんて言うのか。
「……沙羅、ごめん、勝手だけど会いたい」
「……拓海とは遊びだったの。もう会わない、ごめん、もう会わない」
一方的に電話を切る。拓海と出会ったのはバイト先だった。家を出たばかりの沙羅は時給のいい全国チェーンの居酒屋で働いた。集いやご奉仕だけをしてきた18年間は沙羅を、普通に暮らせない世捨て人のように形成してしまった。この先も宗教の為に生きるのだからと、社会で役に立つ資格など取らせてもらえなかった。
「タバコは悪、お酒も悪、徹底的に避けなさい!神が一番嫌うのは浮かれ騒ぎなの。絶対そんな所に行ってはいけません!」久美子は高校生になったばかりの双樹に口がすっぱくなるほど言った。双樹は反抗心からなのか、高校二年生でタバコを吸い久美子を怒らせた。
沙羅は吸えないタバコの代わりに、お酒を飲んで浮かれ騒げる場所で働く。久美子が知ったらきっと怒るだろうと、それだけの為に。
しかし、日頃の鬱憤を晴らすかのように、サラリーマンが騒ぎ、若気の至りだと学生が喧嘩を始める居酒屋は、沙羅が望んだ堕落の生活を与えてくれなかった。
拓海は大勢の客の一人で、たまたま生ビールを運んでいた時にぶつかっただけの客と店員の関係。何度か来店するうちに拓海が沙羅に声をかけた。
「この前はぶつかって、ごめん。怪我しなかった?」
「……大丈夫です。ありがとうございます」
「君、いつも一生懸命だね。名前は?」
沙羅はただ話しかけてきた拓海をバイ菌でも見るかのように避ける。教団では信者以外の男性とは馴れ馴れしくしない様に教える。その教えからほとんどの信者は女子校、男子校を選んで進学する。同年代の男性に声をかけられて、体が拒否反応を起こしてしまったらしい。
「……そんなに怖がらなくてもいいよ」拓海は優しかった。
『世の中の男性は危険です。二人だけにならないように!二人だけになれば、望まない妊娠という危険を犯します。誘惑となる状況を避けなさい!」
沙羅の耳に残っている教団の教えという鎖は、何回かのデートの後、拓海が断ち切った。沙羅は教団の警告通り、望まない妊娠をする。
父親になるにはまだ若すぎる拓海の人生まで奪おうとは思わない。沙羅は教えに逆らう事で、久美子の人生をめちゃくちゃにしたかった。
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