第18話 復帰の条件 3

 事務所の戸をノックする。帯付きの札束を何度丸山に渡しただろう。十年前の施設建設の時は、一千万の寄付をした。遺産相続した現金は、ほとんど宗教活動に使った。黒瀬教祖が直々に支部訪問した時など、久美子は食事代、お車代といっては100万円を丸山に渡してきた。


「地上ではなく、天に宝を!儚い今の命の為に地上の宝など何の役に立つでしょう!儚仏真理教のため、天におられる神のため、生きたお金の使い方をしましょう!寛大な心を神は喜び、救いにあずかる事が出来るのです。近い将来、あなた方はこの救われた日本の地で、楽園となったこの地で永遠に生きる事が出来るのです。さあ、神の心を喜ばせるためのお布施を!」


 耳にこびりついた教団の教えは、理性を欠いた行動へと久美子を導く。神を喜ばせ、亡くなった母親に会いたい、それだけで、通帳残高が減っていく。


「どうぞ!……あら、久美子さん、どうしたの?何かご用?」

「今日は丸山さんはいないんですか?」


 丸山の代わりに竹富の妻、房枝がイスに座っていた。幹部の妻が施設内にいる事は珍しくないが、事務所にいるのは稀だ。房枝は丸山は外出していると言った。

「……出直してきます。失礼しました」久美子は大金の入ったバッグを持ち直し、一礼する。房枝はお金が入っている事を察して、

「もしかして、お布施かしら?いつもありがとうございます。よかったら私が預かっておきましょうか?」と両手を差し出す。


 房枝の厚かましい仕草に久美子は嫌悪し、出直してくるとだけ言う。沙羅の水晶のお布施だとは言えない。房枝はこの支部の中でも噂好きのお喋りだ。沙羅の復帰の条件など耳に入れたら、翌日には大変な事になる。


 房枝とはあまり関わらない方が賢明だ。慌てて戸を閉める。

「あっ、ちょっと待って、あなたに聞きたいことがあるの」房枝は戸が閉まる寸前大声で久美子を呼び止めた。嫌な予感がする。無視する事も一瞬頭をよぎったが、後々面倒な事になる。久美子は閉めかけた戸をもう一度開けた。


「……悪口じゃないのよ、ここだけの話なんだけど、北村さん、最近集いに来ないでしょ?あなた何か聞いてる?」「……私は何も聞いていません」


 房枝がここだけの話と前置きする話にろくな事はない。久美子は同い年の専業主婦、北村から相談された事を隠した。同居する義母の介護が忙しく、集いになかなか出られない、どうしたらいいかというものだった。


「ダメよね、あの人、神に自分で仕えるって決めたくせに、集いをサボるなんて許せないわ。久美子さん、あなたもそう思わない?」

「……ええ、まあ、でも人それぞれ状況が違いますし、北村さん、体調が良くないんじゃないかしら」久美子はなるだけ同調せず、それでいて北村を庇うように答えた。房枝は久美子の答えに眉を上げ、口元を曲げた。気に入らない時の房枝の癖だ。陰口が聞けなくて面白くないのだろう。房枝は鼻でフンと笑い、


「……それより沙羅ちゃんも大変ね、妊娠しているんですって。戒めを受けて悔い改めるどころか、淫行を犯すなんて、罪が大きいわ」


「何で知っているんですか!」久美子は絶句した。房枝は勝ち誇ったかのように、憐むように言葉を続ける。


「今村さんが沙羅ちゃんを見たっていうのよ。近くにあなたのご主人がいたそうよ。あっ、ごめんなさい。離婚されたから元ご主人ね」


 久美子は房枝の嫌味に苛ついた。それより、今村が沙羅を見ただけでなぜ妊娠と決めつけたのか、その事が気になる。


「どうして?って顔ね。今村さんこの支部で一番長いでしょ。神に献身した者として独身を保っている信仰心の厚い人よ。沙羅ちゃんの顔色が青白くてピンときたらしいわの。何科にかかるか見届けたそうよ。待合室のお父さんとの会話も聞いて、妊娠と確認したらしいわ」「そうですか」久美子は力なく答える。


 今村は独身を保っている事を誇りに思う60代の女性だ。沙羅と同年代の若者が性の不道徳を行わないよう目を光らせている。淫行が一番の汚れだと言い、嫌っている。信仰心が厚いのではなく、監視しているのだ。久美子は沙羅の顔色を心配して近づいたのではなく、盗み見、盗み聞きした今村に失望した。


「今村さんね、沙羅ちゃんに話しかけたかったんだけど、ほら、今、排斥されてるでしょ。声をかけずに本人が孤独を味わえば、また戻って来ようと思うのよ。愛ある取り決めだと思わない?今村さんの信仰と教団への従順は立派だわ。あなたもそう思わない?」


「……私もそう思います」房枝の問いを否定すれば、信仰を否認した者として裁かれる、久美子はそう判断して答えたが、母親としては正直今村に腹が立って仕方ない。今村はなぜ直接竹富に話したのだろう。私に先に教えてくれたら、弘志の電話に動揺する事もなかったのに。


「でも良かったじゃない、長から復帰の条件が与えられて。半年はかかると思うけど、久美子さんも頑張ってね、フフフ。沙羅ちゃんも取られたくないでしょ!ほんと、長って親切よね」房枝はそう言って手を口に当てて笑い続ける。


 双樹が脱退した時も散々嫌味を言われた。久美子は房枝の底意地の悪さに呆れ、戸を強く閉める。絶対に沙羅を復帰させると決意した。


 

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