第16話 復帰の条件
久美子はいつもより早く家を出た。教団の幹部との話し合いがある日だからだ。久美子が所属する儚仏真理教では、定期的に幹部からの説法がある。信者一人一人に与えられるこの取り決めを久美子は朝から楽しみにしていた。
車で三十分ほど山道を登る。信者の寄付で建てられた宗教施設はとてもきらびやかで、久美子は誇らしげに見上げた。神が宿るにふさわしい光を放っている。
隣接する駐車場にはすでに高級車三台が止まっていた。この支部施設の幹部、竹富と岡村の車だ。その隣に東京ナンバーの車を認めると久美子は緊張した。
黒瀬教祖の側近、阿部の車である。運転手が黒いボディーのホコリを取っている。久美子は目が合うと、軽く一礼して腕時計を確認した。約束の時間までまだ十五分ある。もう到着したのか。慌てて髪を整えて、建物に入り、二階の談話室へ向かった。
「……遅くなってすいません。失礼致します」恐る恐る戸を開けて、中に入る。
「どうぞ、お待ちしていました」畳六畳の部屋の真ん中で胡座をかいている阿部が優しく久美子を迎え入れた。阿部の両隣には、竹富と岡村が正座をしている。
久美子は一礼し、阿部の正面に正座をする。
「久美子さん、半年ぶりですね。あなたの半年間の活動報告を今、確認していました。とても素晴らしい。先月からご奉仕時間がかなり増えていますね。とても良くされています。あなたに本部から預かっている銀色バッジをお持ちしました。この支部では五人目の快挙です。これからも教祖と神を喜ばせる活動に邁進して下さい。さあ、久美子さんに差し上げて」
阿部に言われた岡村が、久美子の前に桐の箱を置く。本部からの手紙とバッジが入っている。久美子はありがたいとその場で箱を開け、
「ありがとうございます。これからも精進して、救いを伝える為に自分の命を神に捧げていきたいと思います」と深々とお辞儀をした。
「久美子さん、良かったですね。うちの妻もあなたとのご奉仕を楽しみにしていますよ。妻は月100時間を励まし合いながら出来る仲間が増えたと大喜びです」
竹富が岡村への当て付けのように大きめの声で言う。岡村の妻はまだ月50時間ほどしかご奉仕していないのだ。幹部の妻としてふさわしくないと言わんばかりの嫌味である。
「……ところで、久美子さん、沙羅さんはお元気ですか?」話題を変えたっかったのか、岡村が久美子に沙羅の近況を聞く。
「……えっ、沙羅はすでに脱退しましたので、勘当し、言葉を交わしていません。あの、沙羅とは全く連絡を取っていません。本当です」
久美子は教団の教えを守っている事を強調した。信仰を捨てた信者は背教者だ。家族でも言葉を交わす事は罪である、その事を心得ていると、久美子は言った。岡村はうんと小さく頷いたあと、信じられない提案をした。
「……確かに。あなたは教えを守ってこの二年近く頑張ってきましたね。神が証人です。しかし、
「……本当ですか?排斥ではないのですね。沙羅が悔い改めていればまた戻れるのですね」久美子は飛び上がらんばかりに喜んだ。沙羅の事を諦めた日から、薬で眠りに就き、嫌な夢で起きる生活に疲れていた。
「ただし、ひとつ条件があります。沙羅さんは神の御心を深く傷つけたのです。赦しを頂く為に個人の水晶を持たねばなりません」
「……水晶ですか、私のではだめなんですか?」
儚仏真理教では、信者になる事を決意した者は家に水晶を置かなくてはならない。黒瀬教祖が一つ一つに祈りをし、神の精霊を吹き込んでいるからだ。信者はその水晶に祈りを捧げる。すると、病気が軽くなったり、問題解決の兆しが見えたと皆ありがたがる。久美子も手をかざすだけで、幾度、心を落ち着かせる事が出来ただろう。離婚問題もきれいに片付いた。水晶のおかげである事は分かっている。
「もう、ひとつですか?」久美子はもう一度、長に聞いた。一つ五百万円もするのだ。ここで即答する事をためらった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます