第14話 沙羅の過去 2

 どれくらい眠ってしまったのだろう。肌寒くて起きるとすっかり暗くなっている。頭痛がする。久しぶりに父親に会い、後妻を紹介されて緊張してしまったのかもしれない。


 携帯電話を確認すると、双樹からメールが入っていた。電話にはすぐ出られないので、用がある時はメールをして欲しいとある。もしかしたら、兄は同棲をしているのかもしれない。沙羅は少し寂しく感じたが、久美子の束縛から自由になった兄が羨ましかった。


 久美子は勉強が出来て、従順な双樹をとても可愛がった。兄妹でどうしてこんなに出来が違うのかと嘆く母親に、劣等感を植え付けられた記憶が甦る。


♢♦︎♢♦︎♦︎


「沙羅はどうしてお兄ちゃんみたいに出来ないの!もう一度言ってご覧なさい」

「……はい。『お父さん、お母さんの言う事をよく聞きます。友達には優しくし、仲良くします。ウソをつきません。悪いことをしたら謝ります。神様のいう事を聞いて生活します』……言えたよ」

 

 小学校に上がると、沙羅も集いで発表させられるようになった。家ではスラスラ言えるのに、大人の前では言葉に詰まる。久美子は上手に出来る双樹を褒め、沙羅をけなす。


「沙羅、今みたいに言ってね。失敗したら許さないからね。さあ行くわよ」


 宗教の集いは週三回ある。火曜、木曜の夜と、日曜日の午前中だ。

「週に三回も行く必要があるのか、夜遅くに帰って来て、子供たちは寝不足のまま学校に行くんだぞ!それに日曜日の度に行かれちゃ、家族旅行もできやしないじゃないか!」弘志は集いに行く事は渋々認めたものの、必ず久美子の背中に文句を言った。

 

「あなたも子供たちが勉強できる子の方がいいでしょ!集いはとてもいい影響を与えてくれるの。読み書きだけじゃなく、礼儀とか人前で自分の意見をしっかり言える勇気だとか。双樹はみんなに褒められているの。おかげで私も鼻が高いわ。今日は沙羅が頑張るのよ!」

 

 双樹は場の雰囲気を和ませる為、母親の顔色を窺い、父親の機嫌を取る。沙羅も、久美子の顔に泥を塗らないよう、車の中で何度も発表の練習をした。


 双樹も沙羅も母親に気に入られる為なら、何でもするようになった。と、同時に父親を怒らせないよう日曜日の夜は、一緒に過ごすよう努力した。


「双樹、一緒にゲームでもするか?沙羅も隣で見てるか?」弘志は久美子に腹を立てても子供たちには優しい父親だった。沙羅は機嫌を損ねるとすぐムチ打つ母親より、父親の方が好きだ。


 久美子に少し遠慮しながらゲームをする。オセロやトランプをした後、ボード版野球ゲームに興じる。集いでは笑ったり、声を出すだけでつねられる。弘志との時間で緊張やストレスを発散出来た。特に双樹は野球ゲームに目を輝かせた。


「……双樹、四年生になったんだから野球クラブに入るか?」運動神経がいい双樹に弘志は期待を込めて言った。双樹は足が速いから陸上もいいなと言う。


「……いいの?野球やってもいいの?」双樹の顔が明るくなった。

「あー、お兄ちゃんだけズルい!沙羅もやる、沙羅も野球やる」沙羅が騒ぐ。

「……お母さんが許さないと思う」騒ぐ沙羅の口を押さえて、双樹は俯き、小さく首を振った。


 案の定、沙羅の声を聞いた久美子がキッチンから血相を変えてやって来た。

「双樹、運動部に入ったらダメですからね。あなた、唆すのはやめて下さい。集いに行けなくなったらどうするの!それにご奉仕する時間がなくなるでしょ!」


 駄目だと念を押されて、双樹は諦めるしかなかった。学校から早く帰宅出来る水曜日の午後と、休みの土曜日は、ご奉仕という活動があるのだ。教団の教えを伝えるその活動は、資格を与えられなければ出来ない。双樹は三年生の冬休みにその資格を与えられた。


「双樹、あなたは期待されているの。こんなに早く資格を与えられる小学生なんていないのよ!黒瀬教祖様からの手紙に書いてあったでしょう」


 黒瀬鉄斎が亡くなると、息子の虚空こくう儚仏真理教ぼうぶつしんりきょうの教祖となった。東京に本部があり、全国の有能な小学生には、教祖直々に手紙が届いた。同封されている赤色バッジをつけて伝道活動を行う。


「この地区では、双樹の他に数人しか赤バッジを着けている子はいないのよ。双樹、これは特権なの!沙羅、あなたもお兄ちゃんを見習って、早く赤バッジを貰えるように勉強しなさい。ゲームばかりやっているあなた達を見て、神様はどう思われるでしょうね?」


 双樹のその時の顔を、沙羅は今でも忘れる事が出来ない。重く沈んだ表情が、特権という一言で輝き、双樹は神様を悲しませるからとゲームをやめた。


「……お母さん、沙羅も頑張る。赤色バッジもらう為に勉強する!」


たどたどしく、自分の決意を口にする沙羅を、久美子は思い切り抱きしめておでこにキスをした。沙羅も双樹も、母親を喜ばせる為に、漫画やゲームをゴミ箱に捨てた。


 お母さんに優しくされたい。母親に愛されたい。ただそれだけの為に。


 沙羅は双樹に返信をする。弘志と会ったこと、真美を紹介されたこと、そして最後に連絡先を父親に教えてもいいのか確認した。

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