第13話 沙羅の過去

「沙羅、本当にすまない。お父さんが悪かった。久美子と真剣に向き合うべきだったんだ。それに子供たちを手放してしまった事、本当に後悔している」


 弘志は過ちを犯した事を久美子のせいにするのは卑怯だと感じた。自分が夫として、もっと久美子に寄り添っていれば良かったのだ。子供たちの人生を狂わせたのは自分にもあると言って沙羅に謝った。


「……沙羅、もう帰った方がいい。何かあったらいつでも電話しなさい。家に着いたら、沙羅の銀行の口座番号をメールで教えて欲しい。安心して子供を産めるようにお金を振り込むから。あと、双樹の連絡先も教えて欲しいんだ」


「お父さん、ありがとう。お兄ちゃんが今、何処にいるのか分からないんだ。でも時々メールのやり取りはするから、お父さんに連絡するように言っておくね」


 双樹が父親を恨んでいる事を知っている。沙羅はその場では双樹の携帯の番号も、メールアドレスも父親に教えなかった。弘志はそれが当然かのように、沙羅の言葉を受け止めた。離れていた五年の年月は残酷だ。


「……沙羅、タクシーを呼んでおいたから」弘志はもう一枚、一万円札を沙羅の手に握らせる。


「ありがとう。真美さんごちそうさまでした」丁寧に挨拶する沙羅に真美は満面の笑みで手を振った。お父さんが選びそうな優しい人だ。


 運転手は、泣いている沙羅を怪訝そうな顔で見、行き先だけを聞いて、黙っていてくれた。


(お母さん、怖いよ。助けてよ。不安だよ) 一人で出産する精神的な不安から、沙羅は心の中で呟く。子供にストレスを与えてしまう。沙羅はお腹を摩った。ぽこっと動いた気がする。胎動を感じた喜びと同時に、久美子もきっと母性愛があったはずだと思う。しかし、ブラウスの上からでも確認出来る昔のキズが、それを認めない。


 父親の話が呼び水となって、沙羅は母親に叩かれた日の事を思い出していた。


♦︎♢♦︎♦︎♢

「……沙羅、ちゃんとイスに座ってちょうだい。ほら早く」


久美子は沙羅を抱き上げ、双樹の隣のイスに座らせる。七歳になったばかりの双樹は机にノートを広げて鉛筆で何か書いている。


「沙羅、これは僕の机だぞ!あっちに行ってよ。お母さん、沙羅が邪魔する」


 沙羅は双樹から鉛筆を取り上げて、グチャグチャといたずら書きをした。あっちに行けと双樹が今度は沙羅を肘で突つく。沙羅は大きな声で泣いた。


「二人ともいい子にしなさい!」久美子は二人の頭をコチンとぶつけて、ケンカするならムチだと鬼のように怖い顔で怒った。まだ四歳になったばかりの沙羅にとって、このムチという言葉の響きは恐ろしかった。久美子がその言葉を言ったと同時に痛みが走ったからだ。


「痛いよ、お母さん、お母さんのばか!」沙羅は身をよじる。何を使って叩いたのか確認する間も無く、皮膚が腫れる。火がついたように泣くと、もう一発同じ場所を打たれる。沙羅は血が滲む腕を摩りながら、双樹に抱きついた。


「沙羅、馬鹿とかアホって言うな!ムチの回数が増えるぞ!」泣きじゃくる沙羅の恐怖が移ったのか双樹も泣きはじめる。久美子は二人を押し入れに閉じ込めて、今度はホウキの柄でバシバシ叩き始めた。双樹は沙羅の体を庇い、自分が叩かれるようにする。


「沙羅、大丈夫か、少しの我慢だ。泣くな!」

「……あなた達を立派な大人にするための懲らしめなの。体の中にある悪いものを追い出しなさい!追い出してから、浄めるの!」


久美子は泣き叫ぶ沙羅を容赦なく叩く。悪い言葉を吐く身体には鬼がいると言って、叩きまくる。


「……血が流れたわね。悪霊が出た証拠よ。さあ、今度は水晶玉に手をかざしましょうね。双樹もおいで」泣き疲れてぐったりしている沙羅を抱き上げ、和室に連れて行く。久美子は教団の教えを忠実に守っている自分にほくそ笑む。


「水晶は傷んだ身体と心を癒し、あなた達にいい霊を与えてくれるのよ。ほら気分が良くなってきたでしょう。沙羅も双樹もいい子になるのよ」


 双樹は体罰を受けない為に、久美子の言う事を黙って聞く賢さがあったが、沙羅はまだ幼く、嫌なことがあると反抗した。毎日一時間、教団が出している子供用テキストを学ぶ事が嫌で、本を投げ捨てた事がある。

 

 久美子は気が狂ったように怒り、喚き、沙羅の柔らかい二の腕に、タバコの火を押し当てた。


 ♢♦︎♦︎♦︎♢

「……お客さん、少し寒いですか?」運転手が沙羅の仕草を見て聞く。

「大丈夫です。このへんで降ろして下さい」家まであと五分くらいの距離だったが、沙羅は歩きたかった。泣き顔を見せたくない。


 双樹に会いたい。いつも母親から庇ってくれた優しい兄の声が聞きたい。

携帯に電話する。留守番電話にもならず、がっかりして、沙羅はベッドに倒れ込むようにして……眠った。

 


 

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