誰がいけない、何がいけないと端的に言い切ることのできない幾つもの問題が、久美子の人生の短期間に、しかも大人になる前の思春期に集中して生じたことを痛々しく感じました。
受け止めきれない出来事を何かのせいにできないとき、持って行き場の無い自分の感情の受け皿となる存在が、その人の人生を決めてしまうのでしょうね。
半分ノンフィクションとのコメントを頂きましたが、それゆえの文章の迫力に引き込まれています。
作者からの返信
空いた心の隙間に入ってくるものが宗教でなければ、久美子はまた違う人生だったかもしれませんね。
宗教一世の経験を読むと、親子関係に傷を持っている人が多いなって思いました。
親の愛に飢えていると、それを神様に求めるんだと思います。これは実体験です。笑
太陽や海、山など自然が神ならば、畏怖と感謝の念を持ち、穏やかに暮らせたのかもしれません。
コメントありがとうございます😊
コメント失礼します( ;∀;)
DVに部落差別、義父親……。
色々ありすぎて久美子さんに(´;ω;`)ウゥゥ
宗教に走る人ってわたしの知ってる人は
真面目で不器用で一生懸命なんです。
ああ、やっぱり久美子さんだけが悪いんじゃない、宗教と環境だ。
差し伸べる手が違うものだったらと……思いますね。
作者からの返信
青木さま。
おっしゃる通り、宗教にはまってしまう人の多くは真面目で純粋、そして疑うことを知らない人だと思います。
正直で謙遜、信仰がある人って聖書にも書いてあるんです。が、これが別の意味で罠なんですね。
人間が組織のトップなら気がつくのですが、目に見えない存在を崇めるからややこしいって思います。
コメントありがとうございます😊