第8話 久美子の過去 3

「くみちゃん、頼む、許してくれ」光子の父親が畳に額をこすりつけている。

「そんな事をして貰うためにここへ来たんじゃありません。お母さん、お父さんがどんな風になっているか知っているの?謝ってよ!」


 母親は咳が止まらない男の背中をさすりながら、黙っている。父親はこの二人のせいでアルコール依存症になった。咳なんて大した事はない。


「……義雄には悪い事をしたと思っている」苦しそうに男が言った。けれど母親を連れ出した事は後悔していないと咳き込みながら言う。厚かましいにもほどがある。光子はこの事を知っているのだろうか?三つ年下の光子は今年中学校を卒業したばかりの多感な年頃だ。許すはずがないと思った。


「……光子も知っているよ。一緒に暮らしてもいいと言ってくれた。高校もここから通える所を選んでくれたんだ。くみちゃんさえよければ、隣に部屋を借りて、光子と一緒に住んでくれないか?」母は隣で静かに頷く。


「……馬鹿じゃないの、何言ってるの」光子にも裏切られたと思った。

「……もしかしてお母さん、みっちゃんのお母さんが亡くなった五年前から計画していたの?五年前からこのおじさんと、卑怯だよ!」

 

 思い当たる節があった。葬式の日、母親は光子の父親とこそこそ話をしていた。喪服なのに赤い派手な口紅をつけ、やけに明るく振る舞っていた。


「何もかも計画的だったんだ。お母さん、そのために家からお金を持ち出したでしょう。叔母さんたちが騒いでいるよ。今ならまだ間に合う、お父さんに謝って、謝ってよ!」久美子の責める声に、母は首を振る。


「……あんたには優しいお父さん、おじいちゃん、おばあちゃんだったかもしれないね。お母さんは結婚してから針のむしろだった。このお金は慰謝料にもらったの」母親が淡々と話始める。そして光子の父親の手を握る。


「……お母さんね、この人と結婚したかった。両親の反対で叶わなかった。無理やり、別れさせられてね。久美子、ここからよく聞いて。……この人があんたの本当のお父さんなんだよ」後頭部を殴られた衝撃が走る。嘘だ!


「……義雄さんは子供が出来ないの。それでも結婚前に身篭った久美子を自分の子として育てるって言ってくれて。感謝はしてるのよ。けど……」


 そこから先は久美子が耳を塞ぎたくなる内容だった。父親はお酒を飲むと母親を責めて、暴力を振るったという。久美子にはとても優しい父が、母の前では豹変していた事実を聞かされて、久美子は震えた。

「‥…お母さんのせいだよ。いつまでもみっちゃんのお父さんに未練たらたらだから、お父さんが怒ったんだよ!」

「……そうかもしれない。けど、」

「おじさんも何でお母さんと結婚しなかったの!ひどいよ」

 怒りは父親を鬼にした目の前の男に向かった。


「久美子、あんたを生みたかったからだよ。あんたのお爺ちゃんはね、部落差別をする人だった。この人と結婚するなら、子供を堕ろせって言われたの。どうしても久美子、あんただけは生みたかった」


 母親がが好きな人と結婚出来なかったのは、私のせいだ。私の命を守る為に、好きでもない男に嫁いだのか!久美子は頭が混乱した。


「……私は赤の他人だと知っていても大切に育ててくれたお父さんの所に帰るから。お母さんは、好きに生きれば!」語気を強める久美子の肩を、母親は優しく抱いてごめんねと言った。久美子は、母の手を振り解き、その足で、父親のいる生まれ故郷に戻った。


 義雄は何事も無かったかのように、久美子を受け入れて、大切にした。事実を知ったにもかかわらず、自分の元に戻った娘が可愛かったのだろう。


 本当の父親だと名乗った男は、半年後、癌で亡くなった。最期は愛するははと生活が出来た。久美子は複雑な気持ちで本当の父親の死を受け入れた。母親は、男と駆け落ちした女として噂になっている田舎町には戻れなかったのだろう。男を看取ってすぐ……自殺した。部屋の片隅で一人で死んだ。


「……お母さん、行かないで!お母さん!」この頃から久美子は悪夢にうなされるようになる。

 

 何の為に生まれてきたの、生まれてきて良かったの。誰か教えて! お母さん、ごめんなさい。

 

 母親を苦しめるために生まれてきた自分の存在を否定するようになった。


 


 







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