第7話 久美子の過去 2

 母親が蒸発してから、父も親戚もみんなで心当たりを探した。久美子もチラシを作り駅前で配る。小さな田舎町だ。始めこそ近所の人も、事件に巻き込まれたのではないかと心配して協力してくれたが、男と駆け落ちしたに違いないと悪い噂が広まる。


 父親は裏切られたショックからなのか、昼間から酒を飲む。酒は穏やかで優しい父親を鬼に変え、久美子に罵声を浴びせる。

「クソが、あんなに贅沢させてやったのに!久美子、お前、あいつの行き場所を知ってるんだろう!なぜ黙ってる?お前の部屋からあいつの手紙が出て来たぞ!おい、久美子、なんとか言え!」


 父親はそう叫ぶと一升瓶を蹴飛ばし畳の上に倒れ込み、大の字をかく。いびきをかいて眠る父親の頬に涙の跡があり、母親への未練を感じとった。穏やかな父に何か悪い魔物が取り憑いたのではないか、父親を鬼に変える魔物の水は、畳一面にシミを作っていく。それまで久美子は汗と土の混じった匂いしか知らなかった。アルコールが加齢臭と混ざって久美子の鼻を曲げた。


 それでも久美子は父親を憎めず、母親に文句の一つでも言わなければ収まらない。同封されていたメモを財布にしまい、父親の寝ている間に家を出た。


 火のない所に煙は立たない……昔の人はうまく言ったものだ。電車の中で久美子は母親からの手紙を読み返す。噂の通り母親は、好きな人と暮らしていると書いてある。優しかった祖父母、父親を捨て、いい年して駆け落ちをするほど、その男に価値はあるのだろうか。良妻賢母だった母を狂わせた男にも一言言わなければ気が済まない。なんの不満があって今の暮らしを捨てたのか、幼い頃から聞かされた愚痴。母の女の部分を見させられて、久美子は手紙を破りたい衝動にかられる。必ず連れ戻して、父親に謝罪させる。久美子も自分自身の荒々しい気性に戸惑う。


 何度か電車を乗り継ぎ、母親の住むアパートに着く。戸を叩く。少しだけ開いた隙間から母の顔が覗く。すでに五十才になろうとしている母親は、まだ数ヶ月も経っていないのに、罪の意識からだろうか、かなり老け込んでいた。


「……お母さん、なんでこんな事!」「久美子、よく来てくれたね」

母は久美子に礼を言い、家に入るように促した。部屋の奥から物音がして、男がいるのだと思った。久美子は母の出したスリッパを蹴飛ばし男の顔を一目見る。


「……みっちゃんのお父さん、なんで?どうして」驚愕して声がうわずる。


 胡座をかいてタバコをふかしているその男は、幼馴染みの光子の父親だった。久美子は毎年夏休みになると、光子の家に泊まりに行った。農作業で忙しい久美子の両親の代わりに、海や山にも連れて行ってくれた。いま、その男が目の前にいる。久美子はあまりの驚きにその場に座り込む。


「……いつからなの、お母さん、いつから?」責め立てる久美子の声に、その男はタバコを灰皿でグリグリとし、火を消し力なくこう言った。


「……くみちゃん、ごめんね。ごめん」久しぶりに聞く男の声に、感情が流されそうになる。母親が男の隣に座って、聞いて欲しい事があると懇願する。


 母親の駆け落ちした事実を受け入れるのもやっとなのに、今更何を聞けというのか。しかも相手の男が、妹のように可愛がってきた光子の父親なのだ。

「何も聞きたくない!」「久美子、お願い!」母は自分のした事を正当化するために、いや、男を庇うように必死な声で懇願する。


「私、帰る」久美子の声を警報音がかき消した。近くに踏切があるのだろうか?逃れ者達が身を潜めて暮らす安アパートで、久美子は二人を一瞥した。


 

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