第5話 呪縛

 レストランの一番奥の席で弘志は真美を隣に座らせる。沙羅は向かいに座る真美の顔をまじまじと見る。母親と同じで色白だが、全く違う二重瞼で美人なタイプだと思った。父親はこの綺麗な真美に一目惚れしたのではないか。


「……沙羅ちゃん、残さず食べてくれたのね。嬉しいわ」真美は心から喜んでいる。沙羅は全て平らげた事に罪悪感を持った。腹八分目が理性ある人間の食べ方なの、大食は神が嫌うのよ、と久美子に言われ育ったからかもしれない。


「沙羅、美味しかっただろう。栄養をつけて丈夫な子供を生んでくれ」


 弘志の言葉で救われた。食べる行為が悪から善に変わっていく。沙羅は安心して水を飲む。真美は少しくらいならいいんじゃないとデザートを取りに行った。


「……優しい人だね」「そうだろ、お父さんが真美さんと会ったのは今から二十年前かな。同じ課に新入社員として入ってきた。お父さんとは上司と部下の関係だった。……誤解しないでくれよ。真美は二年で他の課の奴と結婚したんだ」


 弘志は沙羅に勘違いされないよう少しずつ説明していく。そして夫婦で結婚式に招待された時に問題が起こったと苦々しく言った。


「久美子は出席しないと頑なに断った。どうしても行きたくないって言うんだ。わがままを言うなと夫婦で話し合いもした。何て言ったと思う?驚いた事に神だの宗教の教えだのって言うんだ。双樹が三つで、沙羅がまだ生まれたばかりだったから、子育てが大変だという理由で欠席は出来たけど。久美子はあの頃からおかしい事を言うようになったんだ」


 沙羅は久美子の欠席した理由が分かる。沙羅も教団の教えでがんじがらめにされてきた。聖本の第一条にはこうある。


『我が神は一人だけの神。天にも地にもほかに神はいない。他の神を崇めるな!」この言葉が呪縛となっていたのだろう。誕生日やクリスマスを祝わない理由はこの言葉に基づいていた。個人を崇拝するのは、真の神を怒らせる事になるというのだ。


「……神前式もキリスト教式も他の神に頭を下げる事になるからと、久美子は取り憑かれたように真顔で言った。それまで良妻賢母の久美子がお父さんに逆らうようになったんだ。誕生日やクリスマスだけじゃない、冠婚葬祭全てを拒否し始めたんだ!」

 

 沙羅は弘志の話に寒気がした。沙羅自身、久美子と同じ理由で学校での行事に参加しなかった事がある。クラスの中で浮いた存在になり傷ついた事もある。


「まさか、お父さん、それだけの理由で離婚を決めたの?……信仰の自由を認めて、お母さんの活動を許していたんじゃないの?」


「違うんだよ、沙羅、聞いて欲しい。沙羅には辛い話かもしれないが、お母さんがどういう風におかしくなっていったか聞いて欲しいんだ」


 弘志は沙羅が二十歳になったらこの問題を話し合おうと決めていたと言った。それまでは出来るだけ久美子の生き方を容認し、家庭に波風を立てないよう自分も努力してきたと。


 沙羅は迷った。自分自身もまだマインドコントロールが解けていないのか、心の底では真の神がいると信じているのか、分からなくなった。父親を責めて、母親を擁護している自分に戸惑う。


 そこへ、真美がプリンアラモードを持ってくる。ホイップクリームがたくさんの、一人では食べ切れないほどのフルーツが乗っている。


 沙羅は母親からの呪縛を解くように口をつけた。




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