3話 足を踏み入れるべきか

 一度自宅へと戻り、スマホに何件も来ていた、両親からの心配するメッセージに返事をすると、彼は急いで京華の元へと向かう。


 電車を乗り継ぎ、いつもの景色と商店街の姿を見て、彼はやっと一息付いた。ここに来ると、なんだか安心してしまう。


 そのままアーケードを潜り、例の骨董品へと向かおうとすると、目の前から京華が息を切らしてやって来た。


「あぁ、なんだ。君……無事だったのか」


「京華さん。そんなに息を切らしていったい――」


「いや、なに。ちょっとね。それより、何かあったのだろう?」


 自分の身に起こった事を話す事なく、何が起きたのかを察してきた京華に、やっぱりこの人は自分の身に何か起こると分かって、この丸石を渡して来たのだと悟った。


「京華さん。ありがとうございます。この丸石のお陰で、助かりましたよ」


 彼は鞄から丸石を取り出し、京華にお礼を言った。すると、焦っていた彼女がその丸石を見た瞬間、いつも通りの雰囲気に戻っていく。


「んん、あぁ……良かった。その程度か――」


「えっ? 何ですって?」


「いや、君。自分の身に起きた事が信じられなさすぎて、丸石を良く見ていなかったろ?」


 そう言われ、彼は丸石を確認してみた。すると、今朝は大丈夫だったのだが、今は普通の石みたいに色を失っていたのだ。


「えっ? 何ですか、これは……」


「役目を全うしただけだ。つまり、それだけの怪異が君の身に降りかかったんだ。いや、これはもう……怪異どころじゃなく、妖異だね」


「京華さん……あなたはいったい……」


 彼女の意味深な言葉と、妖しげな雰囲気に、彼は一瞬たじろいだ。


「おや、怖かったかい? すまないねぇ。だけど、今のうちだよ。この前言っただろう? 知ると、戻れなくなるかも知れない。そんな世界に、君は、足を一歩踏み入れている」


「…………」


 それでも、彼の不安は今は1つ。


「……明日から、仕事どうしよう。食ってけなくなるんですけど?」


「へっ? え、いや……また仕事を探せば」


「この大不況の中、経験も実力もない奴が、普通の仕事なんか出来ませんよ。あ~まぁ、介護の経験はあるので、他の介護施設か……そうなると、ここに通えなくなるかもですよ」


「それは困るな」


「でしょう。って、え? なんで京華さんが」


「――――っ!! いや、折角の暇潰しの相手が、居なくなってしまうと思ってね」


 何だか慌てふためいてるが、それでも彼女はその程度なのかなと、彼はどこかガッカリしていた。それも何故ガッカリしたのかは、自分でも分からない。


「はぁ、やれやれ……どっちにしても、君自身にも何かありそうだし、変な奴等に引っ掛かっても困るね」


「あ~変な奴なら、居ましたね」


「ふむ、しょうがない。話だけでも聞くよ」


 そう言って、京華はクルリと振り向き、骨董品店の方へと歩いていく。

 その時ふと、彼女の腰のした辺りに、尻尾のようなものが見えたような気がした。目を擦って確認した時には、もう何も無かったが。


「ん? どうしたんだい?」


 彼の視線が気になったのか、京華が振り向いて言ってきた。あんまり見ていたものだから、変に思われたかもしれない。

 彼は慌てて視線を外し、見ていた理由を告げて、難を逃れようとした。


「いやっ、すみません。何か、尻尾みたいなものが……」


「…………急いでたからな」


「へっ?」


「……その尻尾みたいなもの、本当にボクに付いていたらどうする?」


 何故か突然、京華はおどけるようにして言ってくる。まるで、自分を試すかのように。ただ、答えは直ぐに決まった。


「それは嬉しいですけど」


「なんでだい!?」


「そりゃぁ、俺はお狐様とか、尻尾の付いた、ケモミミの娘も好きだったりしますからね~」


 そう言った彼の言葉に、何故か動揺している京華は、その足を速めている。当然、彼も速めるが――


「物好きな……ボクが、君を取って食うような奴だったらどうするんだい?」


「それも仕方ないですよねぇ。そんなの、居るかどうかも怪しいですけど」


「君は生に執着がないのか? さっきのも、冗談だと言うのに、なに真面目に――」


「あんまり無いですね。友達も居ないですし、いつ死んでも良いような、そんな気さえしますよ」


 すると、突然京華の足が止まり、不服そうな顔を向けてきた。


「ボクは、友達じゃないのかい?」


「……あ、あぁ。すいません、そうでした。ごめんなさい」


 命を助けられたばかりかも知れないのに、少し不適切な事を言ってしまった。そう思った彼は、直ぐに謝った。ついでに、彼自身の事も少し話した。


「本当に、俺は余計な事を言ってしまって、空気読めない所があるんですよ……しかも、正論だったら容赦なく言ってしまって、相手が言い返せないような状態になって、それでも何か気に触る事だったらしくて、そのまま『もったいない性格してるよな、お前』で終わりです」


「ふっ、それでその人とはそれっきり……かい。ボクとしては、確かに君は一言多い。悪気がないのは分かるがね。ただまぁ、それで気にくわなくなるのは、自尊心を傷つけられたからだろう。本当に人間は、ややこしい構造をしているよね」


 彼の言葉に、何故かちょっと機嫌が良くなった京華は、再び店へと向かって歩き出した。


 ―― ―― ――


「なるほどね……やはりか」


 店に着き、京華からお茶を出された彼は、それを飲みながら、昨日あった事、今日の朝にあった事を話した。


 そして話終えると、京華は思案顔になりながら呟いた。


「しかし、その出会った2人に関しては、ボクは知らないね。何か、特別な所が動いているのかも……ただ怪現象の方は、十中八九で、お百度参りの願いを託された、神様によるもの……だね」


「えぇ……そんな」


 京華の言葉に、彼はただ情けない声を上げるだけだった。


「仕方ないだろう。お百度参りなんかされて、それで少しくらいはと、願いを叶えようと動く神様も居るだろう。問題なのが、それが神様ではどうにも出来ない事や、病が呆気なく治ったりとかして、消化不良で終わった神様の、その鬱憤の払い場所だよ」


「あ~なるほど……」


「……割りとすんなりと聞き入れるね。普通なら、そんなバカなって思うだろう?」


 京華の言葉を、彼はなんの疑問もなく受け入れていたが、逆にそれを疑問に思った京華が聞いた。


「ん~昔から、両親と神社に行くと、親は神様が本当に居るような振る舞いをして、ちゃんと挨拶してからお参りしろって、そう言われ続けたからですかねぇ。別に居てもおかしくないなって、なんか自然にね」


「……そっか。ふ~ん」


 そんな彼の反応を、京華は品定めするような目付きで見ていた。


「逆にそういう所に付け入られたか?」


「なっ……!?」


「ふふ、大丈夫だよ。ボクのこの丸石のお陰か、今君は奴等から狙われていない」


「あ、そうですか……」


 彼女が驚きの発言をしたと思ったら、一転してそんな事を言ったものだから、彼の心臓は大忙しだった。


 ただ、1つ腑に落ちない事がある。


 あの2人……職場から離れる時、出会ったあの2人が言ったのは「ロックオンされている」という言葉だ。

 もう自分が狙われていないのなら、あの言葉はなんだったのだろうか。


「んん? まだ何か気になる事でもあるのかい?」


「あ、いえ……京華さんが大丈夫だと言うなら、多分大丈夫なんでしょう。俺は、このままこの事件を忘れた方が良いのでしょうか?」


「……それは、君が考えて答えを出すんだよ。ボクは一応、そう簡単にこっちには来ない方が良い……とだけ言っておくよ」


 一部だけでも……何か、自分の住む世界とは違う、新たな世界の扉が、目の前で開かれようとしていたが、その先がとんでもない地獄なのかもしれないと思うと、一般人である彼は、京華の言葉の前に、そう簡単に答えを出す事は出来なかった。


 ただ「今はそれで良い」と、京華にそう言われたら、今はそうするのがベストなのだろうと、彼はこれ以上の詮索はせず、用意されたお茶とお茶菓子を満喫した。

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