最終話 何のために稼ぐか

”青年”は、藤吉へわかりやすく期待値稼働を教えた。

収支を必ずつけることや、目押しの必要がない機種の狙い目、ヤメ時など。

解析を理解させようとはしなかった。

すごく単純に、できるだけシンプルに。

藤吉は長年雇われ続けた社会人としての力量を見せ、マニュアル遵守の精神で、言われたことをメモに取り、わからないことは質問した。

理解できないことは理解しようとせず、単純に指示を仰いだ。

いつしか、情報検索のスキルを身に着けた藤吉は、指示なしで打てる台を徐々に増やしていった。



それでもパチスロは勝てる。



どれだけ同じことができるかどうか。

どれだけルールを破らないかどうか。

ただ、それだけのこと。


60代で勝ち組になることは現実的に可能だし、事実、50代で家族を養っている専業も存在しているほどだ。


藤吉には膨大な時間があった。

人生において後期であることに違いはないが、労働による拘束が無ければ、人は大抵暇を持て余す。

退職後の余暇をどう過ごすか。

仕事が無ければ…独身だったら…金さえあれば…

人生において拘束されるストレスは金で軽減できる。

しかし、自由な時間を有意義に過ごせる人間はそう多くない。

藤吉は退職後も、パチスロ稼働という拘束を強いられていたが、実に充実した時間を過ごしていた。



なんの為に金を稼ぐのか。



藤吉には安定した老後の生活という目標ができた。

ただただ、金が欲しいとパチンコ店に通っていた日々とは違う。

明確な理由の元、パチスロで得た金を労働への対価とした。


皮肉にも

老後の余暇、自由を持て余しパチスロで散財していた日々が、

老後の労働、パチスロ稼働という拘束で充実した毎日を送る。


しかしながら、人は理由なき金が欲しい。

本当に大切なことは、どのように金を得るかではなく、どのように金を使うかなのかもしれない。


昼食の盛り蕎麦を食べた藤吉が、180Gの北斗天昇を確保した。

誰にも見えないように、台へ向かって手を合わせた。

前任者へか、”青年”へ、はたまた”若者”へ…なのか。


21時。

藤吉は帰り道で夕食を買った。

牛丼並盛と無料クーポンで唐揚げを2個頼んだ。

帰宅後、炊飯ジャーから白飯をつぎ、唐揚げ2個をおかずに、茶わん一杯の夕飯を食べた。

翌朝、妻と顔を合わせた藤吉は、挨拶もろくにせず、仏頂面でこう言った。




「ばあさん、牛丼買ってきたぞ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

60歳からパチスロ専業を目指した男の話 カレイ @pachislo_novel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ