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今日で、入院開始から三日たって四日目になる。

もう昼過ぎだというのに病室のベッドの上で寝っ転がりながら壁にかけられた時計を眺めている。

入院生活は暇との戦いだと聞いたことがあるが、本当にその通りだと入院して思い知らされた。

初日こそは、部屋に漂う消毒液の匂いに顔をゆがめることがあったが、今となっては気にすることも無くなった。

高校生になる前に大きな怪我をしたことがなかったため、病院に行くことが少なく、入院生活の辛さが想像できなかったが、結構辛いんだということがわかった。

足に着けていたギプスは、いつの間にか包帯に変わっていて、痛みも感じなくなったので痛み止めの薬を飲むのもなくなり、かなりのストックができてしまった。

折り返し地点になったが、今でも慣れることができていないのは、入院食だろう。

毎日薄味の食事をしているせいで、身体の力が無くなっているのではないかと錯覚するほどだ。

先程とった昼食も、ほとんど味のしない味噌汁で味のしない焼き魚や、野菜の和え物、白米を流し込み、消毒液の匂いのする水を飲んで無事に終えることができた。

あと少しで気が狂ってしまいそうだが、病院だからか知らないが、量が少ないことによってなんとか耐えることができている。

時計の針がカチカチと音を立てて進んでいくのを目で見ていると、時間がきたのでベッドの下にあったスリッパを履いて病室を出た。

スマホの電源をつけると、誰かからの連絡の通知もなかったが、現在の日時が映し出されていた。

今日は六月八日日曜日、あの人は部活が休みのため、外のベンチに来るらしい。

昨日よりも軽くなった足で外のベンチに向かっていると、スマホから通知音がなった。

確認すると、あの人からの連絡で、もうすぐ着くということが書いてあった。

さらに足が軽くなり、また一歩足を前に動かそうとしたが、先に返信を送ることにしよう。

廊下の隅に寄って立ち止まり、口に出しながら返信を送ることにした。

「了解」

返信を送ると、すぐに既読のマークがつき、それとほぼ同時にスタンプが送られた。

自分も同じスタンプを送ってから、あの人と最初に会ったベンチへと足を進めた。


今日で茜と会うのは三日目になる。入院初日の昼と、その次の日の昼に会った。

その日は、木曜日と日曜日だったが、茜のいる霞ヶ丘の吹奏楽部は、入院している人達を笑顔にさせるために演奏会を開いていたらしい。

初日こそは演奏会に参加する程のメンタルを持っていなかった俺だったが、二日目の昼にはこのベンチに座って、少し先にある広場で開かれていた演奏会を見ていた。

演奏会が終わると、茜が俺の傍に来て、学校に帰るまでの少しの時間を使ってお互いのことについて話した。

どちらも音楽が好きであるという共通点があったおかげですぐに打ち解けることができた。

土曜日は部活があったため会うことは出来なかったが、今日は部活が休みらしく、わざわざ会いに来てくれるらしい。

数日前のことを思い出しながらベンチで座っていると、少し先から歩いてくる彼女の姿が目に入った。

ファッションに疎いため夏らしい服装がどんなものを指すのかは知らないが、白のワンピースを着た彼女の姿を見ると、夏がやってきたことが実感できた。

「おまたせ」

「うん」

彼女の挨拶に対して素っ気ない返事しかできないのは、俺に恋愛経験がないからなのであろう。

「寝すぎて頭が回らないの?」

笑みを浮かべながらそう尋ねてくる彼女は、小悪魔属性の高い人なのだと思う。

「朝五時起きで、昼前まで読書してたんだ」

「本読んだりするんだね」

相変わらず俺の事を馬鹿にするような態度で話してくるが、別に嫌ではなかった。むしろこの感じが心地いい。

「隣座りなよ」

そう言ってベンチの隅によると、ありがとうと言ってから君が隣に座ってきた。

隣にいるのに白のワンピースの君と病院の服を着た俺とでは、凄く距離が離れているように感じて君の方を見ることすらできなかった。

「家族とかは見舞いに来てくれたの?」

なかなか話せ出せないでいる俺を気遣ってか、君から話を切り出してくれた。

「来てくれたよ」

「そっか」

また素っ気なく返してしまった。だが、俺に後悔する時間はない。せっかく来てくれたのに俺から話を切り出さなくては失礼だからだ。

「無理に話そうとしなくてもいいよ」

「えっ?」

訳も分からず、咄嗟に君の方を見てしまった。

君はただ前を向いたままの状態で話を続ける。

「私が来たかったから来ただけだし、君が気を遣って話す必要はないよ」

さっきまでの小悪魔のような笑みとは違った、まるで母親が子供に笑いかけるような笑顔を俺に対して向けてくる。

メデューサにでも睨まらてしまったかのように身体の自由が効かなくなり、君のことを凝視してしまう。

ハッとして前を向くと君は大笑いしていた。

こんな時間がずっと続けばいいとすら思ってしまう。

俺の怪我が治らずにずっと入院したままで、たまに君が隣に座って一緒にいられる、そんな時間が続けばいいと思った。

俺の怪我は大した怪我ではない。ギプスをつけていたのは、俺が走るのを止めるようするためだと今日見舞いに来た母親が言っていた。

こんな時間が長くは続かないのだと頭ではわかっていても、そう願うことをやめることができなかった。

俺自身、三日前に会ったばかりの人に対してこのような感情を抱くなんて思ってもいなかった。

彼女の言葉、行動全てにドキドキしてしまう。

本当に好きになってしまったのだと再認識して、深呼吸をした。

今すぐこの気持ちを伝えるのは、きっと間違っている。恋愛経験のない俺でもそんなことは分かる。少しづつ、少しづつでいいから君の元に歩み寄れたいいと今はそう思った。

「そういえば兄弟とかいるの?」

「いないよ。茜は?」

長い時間考え事をしていたせいで、返事が少し遅れてしまった。

そう訪ねると、少し嬉しそうに茜が家族の話をし始めた。


「じゃあ」

「うん」

笑顔で手を振りってくる君に、俺も同じように手を振り返す。

茜には三歳年の離れた姉がいるらしい。四人家族で、姉は今近くの大学に通っているそうだ。

茜が笑顔で家族の話をしてくれていたが、すべてが頭に残っているわけではなかった。むしろ、憶えているのは最初の紹介くらいで、後半はどんなことを話しているのか全くと言っていいほど憶えていない。

唯一俺の頭に残っているのは、茜がずっと笑顔で話していたということだけだった。

きっと俺は、彼女の笑顔の虜になってしまったのだろう。

今度会える日はいつなのだろう。

そんなことを考えていると、晩御飯の時間になっていた。

霞ヶ丘高校はもうすぐ学園祭らしく、俺の都合が合えば、学園祭に参加することになった。

自分の通っていない高校に行くのは躊躇われるため、ショータもつれて行こうと思う。

スマホのカレンダーアプリを開き、茜に言われた日付に学園祭と書き込んだ。

テーブルの上の食器は空になっていて、いつもよりもがっついていたということに驚いた。

無性にサイダーが飲みたくなった俺は、ポケットの中に小銭を入れて下の階を目指すことにした。

いつもは空のコップには少しだけ水が残っていたが、気にせずにトレイを返し、自販機の灯りに向かっていく。

買ったばかりの炭酸飲料は、まるで沸騰しているかのように泡を浮かせ続けている。

喉を通る炭酸の感覚は、久しぶりだったせいで刺激が強く感じられた。

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貴方の音 神山 しのぶ @4510simasu

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