第16話 中庭でスナイピング
二度目の衝撃は、一度目よりも遥かに大きい。鳴子だけだと思っていた、あの散弾銃だけだと思っていた、二度目など、無いと思っていたからだ。
彼女が一息つくと、銃は忽然と姿を消した。
「今日もまた、つまらぬものを撃ってしまいました」
最初から何も無かったように、見間違いだったかのように、何事も無くなっていたのだ。
「びっくりした」
「はて、何にですか? 何も無かったのに、何にびっくりしたのでしょう」
はて、なんて実際に言う奴が存在した事に対する驚き、ではなく。
確かに俺にとっては何も無かったと、彼女にとってはそう思えるのだろう。しかし実際にはあったのだ。俺にとっても、彼女にとっても。
「お前も、持ってたんだ」
「……お前も、とは可笑しな言い回しをしますね。一体何を、ですか?」
彼女は確かめるように、声を低くして言った。
「銃」
少しだけ目を見開くと、彼女は再度確かめる。
「ふむ……それは、どのような?」
「スコープの付いた狙撃銃」
「……ですか」
答えた後、暫く図書室らしい静寂が訪れた。
正直言って少し興奮していたと思う。それでつい口走ってしまったが、もしかするとこれは失敗だったのでは無いだろうか。見えていると、俺は彼女に告げた。陽衣……じゃなかった、鳴子にそう告げた時何があったのかを俺は思い出したのだ。
──撃たれるじゃん、俺。
鳴子には二度も引き金を引かれている。銃口を向けられている。俺が──化け物ではないと、確かめる為、確信を得る為に。これは墓穴だ、俺は自らそこへ飛び込んでしまった。言うべきではなかったのだ。そもそも化け物や銃について何ら裏付けのある知識があるわけでも無いのに、それを知っていると、言ってしまった。
鳴子の銃では死なずとも、この少女の銃では、どうなるか分からないでは無いのに。
言ってしまった。
「あ、俺用事を思い出した。ごめん、行くよ」
踏み出した右足と右手が一緒に出てしまう。小学生の運動会、その行進のような、そんな感じ。とにかく早く逃げないと──撃たれる。
しかし、残った左手が、どうにも、前に出せない。それはなぜだろう。
分かっている──掴まれているんだ。
「待って下さい。どうか、お待ちになって下さいませんか?」
「いやだ」
「つれないことを言わないで、さあ、私と一緒に行きましょう」
「ごめん。この後歯医者の予定が」
「運命の前には、歯医者さんも廃業します」
「俺が阻止する」
「いいえ、歯車はもう回っているんです。時の流れと同じように、それは誰にも止めることは出来ません。貴方であっても、私であっても。それが私達の生きる世界の理ですから」
妙に口調が優しい、それが怖い。あと何を言っているか分からない、それも怖かった。
しかも口調のわりに、どんどん腕を締める力が強まっていた。
「世界の崩壊はすぐそこです! 今こそ救済の時! 巡り巡る中で、ようやく見つけたこの出会いを、私は決して逃しませんよ!! いざヴァルハラへ!! 私達の楽園へゆかん!!」
どんどんと、声のボリュームも大きくなっていった。
「あのー、図書室ではお静かに……」
そしてそれは、やっぱり、クッソたれ図書委員に注意されてしまった。
逃げるように、追い出されるように図書室を抜け出した俺達は、とりあえずの避難場所として中庭へとやって来た。思えばここ最近、こんな青春っぽい事が増えて来た気がする。これがようやく訪れた春だと、そう思いたいが、命の危機、ではなくとも何かしらの危険がある中では、素直に喜ぶ事が出来ない。
タイミングを見計らって逃げ出す事も考えたが、それは無理だった。ここへ来るまでの間、そしてここへ来てからも、一瞬たりとも彼女が腕を離してくれなかったせいで。
「ではさっそく、貴方の銃はどのようなものなのですか」
「……いや、俺は……」
「あー、すみません。自己紹介がまだでしたね。改めまして初めまして、私の名前は──
そう言って彼女──雨木代は頭をぺこりと下げた。
「気軽に……いえ、親しみを込めて御伽ちゃんと呼んで下さい」
ニッコリと、微笑みを備え付けて。
なんと、彼女は名前で呼べと言ってくれた。最初は距離を置きまくっていた鳴子とは大違い。だが、その近さには少し恐怖がある。そもそもそんな親しみを込められる程の間柄でもない。だって今日が初対面なのだから。
「……屋平歳平。よろしく、御伽ちゃん」
名前で呼んでしまった。これは、あの本の効能だろうか。少し対人関係について前向きになれたのかもしれない。──いやよろしくしてる場合じゃない、早く逃げないと。
「はい! しかしそこはかとなく、個性的な名前ですね。良いですよー非常にグッドポイントです。では──貴方の銃はどんなものなのですか?」
クソ、ダメだ。逃げられない。ヤバい質問がまた来てしまった。ここはどうにか誤魔化さないと撃たれる。しかしどう誤魔化す。ポーカーフェイスには自信がある、というか日頃自信を付けさせられている。ならばここはストレートに、曖昧に答えよう。
「今は……持ってない」
嘘、ではない。将来もしかしたら持つ可能性だってあるのだから、これは嘘じゃないよ。とりあえずその場しのぎの後回し。
「今は、とはどういう事ですか? 過去に所持していたという事でしょうか?」
「え、えーっと……」
彼女の手が──パッと離れた。
「脈が上昇していますよ? もしかして──嘘、なんでしょうか」
冷えていて、深く沈み込むような声色が、全身に突き刺さる。
「ごめん、持ってない。予定もない」
嘘はやっぱり良くないと、正直に話す事にする。決してビビったわけじゃない。純粋な瞳を向けられて罪悪感に支配されただけだ。
「……ですか。見えていて、持っていないと?」
首を縦に振る。
「なるほどなるほど。未だ覚醒に至らずと、そういうわけですね?」
「あ、ああ、え?」
「分かりました! ではちょっと異世界トラックに轢かれて来ます!!」
「ちょっと待て」
なんだか良く分からないが、とんでもない宣言をする彼女の腕を掴んで引き留めた。
「何をする気だ」
「窮地に陥った女の子を助ける時、男は皆覚醒するものです。貴方がどんなチート能力を持っているか、それを知るためには必要なシーンなんですよ!」
「だから持ってないって言ってる」
どうやら少し興奮しているらしい。幸いにも力は弱かったので、こうして掴んでいるだけで充分暴走を止められそうだ。やっぱり小さくて可愛いな、俺は一体何を恐れていたのだろう。
「むー、ではこれならどうですか!!」
御伽ちゃんは腕を高く振り上げると、自信満々の顔をこちらへと向ける。
「さあ!! 今こそ覚醒の時!! やっちゃって下さい!」
そうして彼女は、虚空を指差し、もう片方の手には──狙撃銃が握られていた。
彼女の言葉は理解出来ないが、それが意味する状況は分かる。
「お、お前……」
どういう理屈か分からないが、つまり、それは、あそこに──化け物が居る事を示していた。
「だから持ってないって」
「さあさあ、早くしないと襲われちゃいますよ。きゃー、こわーい、助けてー」
俺はお前の方が怖い、俺の方が助けて欲しい。
「いや、本当に持ってないから。本当に」
ヤバいよヤバいよ。リアルにヤバいよ。御伽ちゃんは全然撃つ気ないみたいだし、本当に俺がやるしかないの? 持ってないのに? どうするどうする。
全く何も見えないが、今この瞬間にも化け物はこちらへ、ゆっくり向かって来ているのだろう。寒気と鳥肌が立つ。ホラー映画で、怖がらせる対象が何も見えないような状態、それはそれでかなり怖い、抵抗のしようが無いし、どこへ逃げれば良いかも分からないのだ。
──やるしかないのか。
「……ッ」
瞼を閉じて、息を深く吸い込む。腕の全神経に集中を向け、銃のイメージを構成、適当にハンドガン辺りで。何故だろう、不思議といけそうな気がする。
化け物がいるであろう方向へ、静かに腕を上げる。
「さあ、もうすぐそこまで来てますよ」
彼女の一声で、俺は閉じていた瞼をガッと開いた。
「……」
やっぱり──そこには何もなかった。
「無理無理無理。持ってないもんは持ってない」
いや出ねえじゃん。やっぱり無理じゃん。というかちょっと恥ずかしいんだが。場の空気に飲まれてとんでもない事をしようとしていた気がする。
「ふーむ、この程度の危機では駄目、という事ですかねー」
「は、早くなんとかしてくれ……」
御伽ちゃんは少しばかり落胆し、軽く溜息を吐いて、軽々と狙撃銃を持ち上げる。スコープを覗き込み、引き金を引く。同時に聞こえた発砲音から、恐らく化け物は消し飛んだ、と思う。
「──状況終了──QED」
そしてやっぱり、銃もまた役目を失い、消えたのだ。あと、QEDという言葉の使い方を間違えている。
「これでは、まるで逆ですね……あ……もしかすると、私達は逆なのかもしれません!」
「……何が?」
「私が主人公で、貴方は私のヒロインだという事です!」
「……何が?」
もう駄目だった、全然何も一切合切理解出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます