第14話 初めての喧嘩

 事実だけをありのままに、かつ核心を包み隠して話す。全部を話すのは自分にとっても嫌だったし、鳴子にとっては恥ずかしい事だから。


 なので『友達になろうと誘い、それをどうにか受け入れてもらった。そして名前で呼んで貰えたが、自分は名前を忘れていた為、関係について考え直されてしまった』みたいな感じに纏めて伝えた。


「トシくん……それはちょっと酷いかも」


 まくりから返って来たのは、あの時の鳴子にも似たような表情。幼馴染みからのそんな発言は、痛感していた事をより一層実感させられる。


「そうだよな」

「もう、ちゃんと本当に分かってる? どうしてその子がそんなに怒ったか」

「……正直言って分からない」


 確かに酷い事だとは思うが、まくりの言う内容がどうしても理解出来なかった。名前一つでどうしてあそこまで怒るのか、もしかすると、女の子にとって名前とは重要なもので、それは男の俺には分からないとかそういう事なのだろうか。


 彼女は率直な感想に溜息で返した。


「……その子はね。トシくんが思うよりずっと、トシくんが特別だったんだよ。だからショックだっただろうし、怒る。中身だけを見れば、犬も食わないような痴話喧嘩だけれども、それでも当人からしたらとても重要なこと」

「犬……」


 ──特別。確かにそれはそうだろう。そもそも通常の関係から始まったものではないし、彼女にとっては唯一無二のものだったかもしれない。それはそうなのだが、俺はどこかモヤモヤとするものを抱えていた。肝心要の何かに手が届きそうで、届かない。そんな歯痒いモヤモヤを。


「それが私だったら、きっと同じように怒ったじゃんないかな」

「そうか」

「うん……でも……ううん……とにかく、考え直さなきゃいけないのはトシくんも同じ」

「俺も?」

「これはきっと、凄く大事なことだと思うから」


 まくりは目を伏せた。


「俺は……どうすればいい。どうするべきなんだ」

「もう少し周りに目を向けて良く考えて。考え直して、見つめ直すの」


 それはつまり、鳴子について考えるだけではなく、自分の事も考えるべきだと、彼女はそう言った。どうしてあんなに怒ったのか、どうしてあんなに怒られたのか。それについての答えを出せと、彼女はそう言ったのだ。


「本当に変わったよね、トシくん」

「変わった、のだろうか」

「うん。昔ならどうするべきか、なんて、そんな事は考えなかったんじゃないかな」

「……成長したのかもしれない」

「そうだね、成長したんだと思うよ。成長して、大きくなって、見えにくくなってる」

「それは成長なのか?」

「見たいものや感じたい事を選んで、それ以外に蓋をするの。人はそうやって生きていく。そうしないと心が壊れちゃうから。少なくとも私はそう考えてるよ。そうなりたくない、そう思っていて、私はそう考えて、今日まで生きて来た」





 感情の機微には聡い方だと思っていた。事実、この人間は自分と距離を置きたがっているとか、話していてつまらなさそうだとか、そういう事は敏感に感じ取れていたつもりだった。しかし、それはあくまで距離が離れていくのが分かるだけで、近付く場合について、俺は何も知らないのかもしれない。


 どれほど遠いかは理解出来ているくせに、距離が縮まれば縮まるほど見えにくくなる。長らく友人関係とは縁遠い自分ではそれも仕方無いのだと思ってしまう。人間関係とは複雑なものなのだと、そんな当たり前の事を実感してしまう程に。


 授業中、休み時間、気が付けば俺は鳴子を目で追っていた。それはまるで恋する男子のように、血走った目を向けていたのではないかと思う。気持ち悪。


 そんな彼女は、意識的にこちらから目を背けているように感じた。


 これだけ長い時間見つめているにも関わらず、一度たりとも視線が交わされないのだから、それは多分勘違いではないのだろう。敢えて言うとすれば、それはまさに──避けられている、ということだろうか。


 どうしたら許してもらえるのか、そもそも許してもらえるのだろうか。そっとしておいた方が良いのか、アグレッシブに行った方が良いか。


 答えを出せぬまま、結局──放課後を迎えてしまった。


 送った視線に対して、鳴子は横目でこちらを見る事もなく、また気にする素振りもないように、教室を後にして行く。せっかく知人から友人になったのに、また随分と距離を離されてしまったかもしれない。これが喧嘩というやつなのだろうか。友達が居る人間は、こんな思いをしながら日々を送っているのか。


 こんな、辛く、重い、日々を。孤独がこれほどに耐えがたいものだったという事を、久しぶりに実感していた。失って初めて気がつく、そんな当たり前の事を俺は今日知ったのだ。これも成長なのだとそう考えられれば楽だろう。しかしそう簡単に割り切れる程、自分は強くない。一人で生きている人間は、一人で生きていける強さがあるのだ。


 これはいよいよ本当に、色々と、考えなければならないな。


 鞄を担ぎ、未だ騒がしい教室から出る。誰も俺を気にかけるものなどいない。だからこそ、ようやく出来た繋がりを絶やさぬ為に、向かうのだ。


 そうだ──図書室へ行こう。


 思えば、彼女と出会ってから初めて放課後を一人で過ごす。今の気持ちを正直に且つ端的に表すとするならば、寂しい。一人で歩く校舎がこんなに心細いものだと、まさかそんな事を考えてしまう日が来るなんて思いもしなかった。


 知らない事があまりに多すぎる。“こんな状態“になる前の自分は、本当にどうやって友達を作っていたのだろう。本当にどうやって関係を保っていたのだろう。


 ──あれ、どうやって、今まで、どうして、俺は友達がいないんだ。いなくなったのは、一体いつからだ、どうして──失くしてしまったんだろう。


「……いたッ」


 考え事に気を取られ、気が付けば目の前に壁。痛むデコは触れると熱を帯びていて、霞の掛かった記憶のが晴れ渡ってしまう。今自分が何についてそんなに悩んでいたのか、スッポーンと何処か遠くへと吹き飛んで、


 周りの生徒には笑われていた。


 まるで何事もなかったかのような表情を浮かべて、素早くその場を立ち去る。クスクスとせせら笑う声が聞こえなくなるまで、火照った顔を冷ますように早く足を動かした。

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