第12話 作戦は失敗した
月末、そろそろ中間試験の心配をしなくてはならない日々。
「アタシ癖っ毛じゃん? だから雨の日とか朝めちゃ大変なわけ」
「爆発してるか」
「爆発っていうか、暴発してるよね」
「それは大変だ」
陽衣の事をもっと良く知りたい、そう思い立ち放課後。例によって教室に人気が無くなるまでの間、俺達は校舎をフラついていた。いつもよりも暗く感じるのは気のせいではなく、窓に叩きつける雨と曇り空のせい。
「屋平は朝どれくらいで家出る?」
「30分あれば」
「まじ? 起きるまでの微睡タイムノーカンで?」
「なんだかよく分からんがそうだ」
「へー」
適当に腰を落ち着ける場所を見つけて、飽きれば立ち上がって、また別の場所へ。そんな無駄な時間を一体どれだけ過ごしただろう。
「今度朝ルーティン見せて欲しいわ」
「パンツ一丁だが良いか」
「あ、やめときます」
そうして何周目かの廊下を歩き回り、自販機の横、すぐ側のベンチに腰掛けた。校舎外の敷地内。外でもあって、中でもあるそんな場所。見渡せる、グショグショなグラウンドには、目を細めたところで誰もいない。
「屋平ー、雨ってどう思う?」
「濡れるので嫌い」
「……ホント、アンタって会話を広げようって気を感じさせないよね」
本当、お前って会話で傷口を広げようとするよな、とは言わない。
「題材が悪い」
「えー、アタシのせい?」
「そうだ」
「そんなハッキリ言う? 撃ち抜くよ?」
「やめて下さい」
屋根はあるが、少し足を伸ばせばその先が濡れてしまう。伸ばさなくても、跳ねた水が、冷たく湿気を纏った空気が、頬を濡らしてしまうような、そんな場所に腰掛けた。
血液型、誕生日、好きな食べ物、趣味。会話の内容はまくりから教えてもらっている。あとは自分のトーク術が問われるだけだ。
「血液型はなんだ」
「は? どしたの急に」
「ちなみに俺はO型」
「そーなんだ、アタシも」
「そうか」
どこからか、嘲笑うような声が聞こえた気がした。実際は全く関係のない何処かで誰かが笑っているだけなのだが、それでも腹が立つ。
「……」
「……題材が悪いのはアンタもじゃん」
流れた沈黙の合間を縫うように、雨音が響いていた。
そもそも血液型でどうやって話題を広げるのだろう。O型なら『大雑把だな』とか『あーっぽいわ』とか言うべきだったんだろうか。大体血液型で性格が分かるわけもないし、話を広げられる奴はどういう思考回路を交わしている。
仕方がない、次の手を打とう。
「誕生日はいつだ」
「今日」
作戦は2つ目にして砕かれた。
落雷に打たれた、ような気がした。今日、と言ったか、彼女は、今日だと、本日だと、今日この頃だと、そう言った。
「きょ、今日?」
「今日」
「え、今日って今日?」
「……だから、そーだって言ってんじゃん」
もうゲシュタルト崩壊しそう。これが俗にいう──お誕生日サプライズというヤツか。だがあれは誕生者本人が受けるべきものであって、それ以外の人物が受けるものではないと聞いている。
いやそんな事を言っている場合ではない。まずい、何も用意していない。だってそれは仕方が無いじゃないか、だって知らないものは祝いようが無いだろう。やはりまくりは正しかった。せめて昨日のうちに聞けていれば適当に用意出来たのに。
「でも、それならこんなとこに居ていいのか?」
彼女は交友関係が広い。ならばクラスメイトや先輩後輩と祝ってくれる人物も多いのだろう。しかし彼女はここでこうして時間を持て余している。その理由が分からない。
「クラスの奴らのこと? 彼氏と祝うから無理って断った。また告られてもダルイしね」
「か、彼氏?」
「いやもちろん嘘だから。てことでよろしくね、彼ピッピ」
「彼、ぴ?」
駄目だ、彼女が何を言っているのか全然理解出来ない。ピッピとはなんだ。そんな勝手にピンク色のモンスターみたいな。
「だーかーら。今日は屋平が、都合の良い嘘の為の偽物の彼氏ってこと」
「酷い」
物凄く武装し、妙に装飾された言葉で、端的に内容を伝えられようやく理解した。
ただの知り合いから、どうやら本日限定で関係がランクアップしたらしい。いやランクアップというか寧ろダウンしている気もするが、ここはポジティブに捉えよう。何はともかく、とりあえず変化があったのだと、そういう事にしておきたい。
「それはそうと、何か欲しいものはないか」
「全然それはそうとしてなくね?」
「金ならある」
月5000円のお小遣いを貯蓄しているので、それなりのものならば問題ない程の蓄えがある。というより友達もいないので使い道がない、というより持て余していた。
「そんな誕プレの聞き方されたの初めてだわ」
「ごめん」
頭を下げた俺に、彼女は溜息で返す。足を伸ばして爪先を濡らし、それからまた溜息を零して深く腰掛けた。呆れたように、なんで分からない、何も分かってないと、そんな口調で責めるように言葉を落とされる。
「アタシは何も望まない。だからアンタも何も望まないで。もし祝いたいって気持ちがあるなら、ただ側に居てくれれば、それで良いから」
何処かで聞いたような台詞。きっと、何にも囚われていなかったなら、舞い上がってしまうような、そんな言葉。
──何も無ければと、そう思う。でもそれは、彼女との出会いさえも否定してしまう。何も無ければ、こうして今話す事すら無かったのだから。だが何も無ければ、彼女は普通の人生を送れていたのだろう。友人に囲まれ、恋人の話をして、そんな当たり前を送れていた。
それが、どうしようもなく歯痒い。だから、ほんの少しだけ、
「……断る」
勇気を出してみよう、そう思った。
「……なんで?」
彼女はこちらを見ようとはせず、声色だけを鋭く低く飛ばした。選択を誤ればもう──次は来ないだろうと、それはそういう色を纏っていた。
こんな状況で、彼女の気を晴らすたった一つ、唯一の言葉などそんなものはない。ならば俺はやはり尽くすしかないのだろう。
「俺は友達がいない」
彼女の事を何も知らない。
「血液型O型。誕生日は8月31日で、好きな食べ物はカレーとかオムライスとか。趣味は読書と映画鑑賞でゲームとかもやる。休みの日は部屋でゴロゴロしてる。それで俺は友達が欲しい」
知りたいから、自分の事を話そう。
「俺は、お前ともっと仲良くなりたいんだ」
だから尽くそう。持てる言葉、考えているものの全てを。
「知り合いとか、何も望まないとか、そういう事を聞いてると、堪らなく寂しい。そういうお前を見ていると、俺は少しだけ辛い時がある」
言葉に出して初めて、自分がどう感じているかが理解出来た。彼女は側に居て、こうして話をして、触れられる距離に居るのに、どうしようもなく遠い。目の前に居る筈の彼女を見ていると、俺は堪らなく寂しくて、辛い。
「だから、もし、まだ、側に居て欲しいと思ってくれるなら──お前の事を教えてくれ、そんで──俺と友達になってくれ──陽衣」
喉奥が痛む、湿気で溢れている筈なのに渇いていた。足りなくなった酸素を体が勝手に、補うように鼓動が早まる。切れかけた呼吸は、伝え切れただろうか。
冷風に乗った小粒が、彼女の膝を濡らしている。今も尚濡らし続けている。顔を俯かせたままで、こちらを決して見ようとせず、見せまいと背けていた。
「っ……アタシは……」
ポツ、ポツ、ポツリ、彼女は口を開き、
「……血液型はさっき言ったっしょ……好きな食べ物、だっけ……焼肉、かな」
語り始めた。
雨足に掻き消されぬように、何も割り込ませないように、
「趣味は、ない……うそ、ホントは……そうだなー、えと……体、動かすのとか、好きかも……あ、アハハッ……休日は遊んでばっかり、だったよ……ぅ」
隣で、ただ彼女の詰まる言葉が収まるまで、ずっと耳を傾けていた。
陽衣の感じていた孤独とは、想像する事もおこがましい程のものだっただろう。それは文字通り世界で一人だけ、そんな途方も無い孤立。誰とも共感出来ず、されず、彼女は一人で戦い続けて来た。たった一人で、見えない化け物や銃などの異常事態と向き合って来たのだ。一人で戦える程に彼女は強い人間なのだと、そう思っていた。
だがそれは違う。彼女は強かったのではなく、ただ強いられていただけなのだ。本来はこれほど脆い彼女が強く、強いられていた。
その孤独を少しでも取り除けただろうか、癒せた、だろうか。
彼女が持つ幾つかの苦悩の、その一つだけでも、打ち消せたのだろうか。
結局のところ──人の心は見えない。見えないものは分からない。だから今は、信じるしかないのだろう。彼女の涙と、嗚咽を。
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