第11話 まくりちゃんのターン
恐ろしく私服センスが絶望的な彼女──姫沼まくりは、俺にとって家族のようなものだ。
当たり前のようにそこに居て、当たり前のように察してくれて、当たり前のように手を差し伸べてくれる。そんな都合の良い家族のような存在。今までも、彼女には数えきれない程に感謝をしている。それこそ本当に思い出せないくらいに、積み重ねている。
「それで、一体何がトシくんを悩ませてるの?」
「ああ……」
張り詰めていたものが解けたように、彼女は笑顔で質問を重ねた。それに対して口籠ってしまったのは、相談するのに答えられる材料があまりにも少ないから。
まさかありのままを全て伝えるわけにもいかないだろう。伝えたところで信じられるわけもないし、何よりプライベートな問題も含まれている。彼女が近しい存在とはいえ、正直に全部を言う事は出来ない。大部分が自分の想像で確信もないのだから。
「複雑な事情があって、言えない理由があって、困っている人がいる」
「それは誰でもそうなんじゃないかな?」
「……そうだな」
包み隠し過ぎて何も伝わらないどころか、全く要領を得ないものになってしまった。
「過去の経験から、人間関係に臆病になっている人を助けたい」
検討した結果、案外平凡な落とし所に落ち着く。多少内容に触れている気もするが、名前や個人が特定出来ない範囲ならば構わないだろう。
「経験って?」
「それは言えない」
「ふーん……それって、もしかして例の──知り合い発言のギャルっ子?」
「また別のやつだ」
「なるほど、じゃあそういう事にしておこうか」
「……頼む」
即座に否定し、尚バレる。これで、知り合いの女の子が過去に何かあったのだと知られてしまった。ごめん陽衣、馬鹿な自分を許して欲しい。撃ち抜かれても文句を言えない。
「助けたい、っていうのは具体的にどうしたいの?」
具体的に、か。
ただ困っていそうだったから、それに対して何か出来ないか。そんな風に漠然とした考えしかない。助けてどうしたいとか、そもそもその何かが彼女の助けになるのかさえ、今の自分には分からない。それもまた悩んでいる事柄の一つだった。
「分からない」
俺はそれほどに、陽衣の事を何も知らないのだ。知っているのは抱えている悩みのその曖昧な枠組みだけ。本当に良くそれだけで、助けたいと言えたものだ、自分で自分に唾を吐き掛けたい。
「その子の血液型は?」
「知らない」
「誕生日は?」
「知らない」
「好きな食べ物は?」
「知らない」
「好きな芸能人は?」
「知らない」
「なるほど、うん、大体分かったよ」
「え」
ないないづくしの今のやり取りで、彼女はそう言ってのけた。あの漠然とした前置きと、今の会話から、彼女は何が分かったというのだろう。
「トシくんさ、その子のこと何も知らないでしょ」
「それはそうだが」
唐突な理解に思わず血の気が引いていたが、彼女が言い出したのはそんな当然の事だった。誰が見ても明らかに当たり前の事を、さも当然かのように口にしたのだ。
「何も知らない、その意味を本当に理解してる?」
「……意味?」
「それが本当に意味するところを、トシくんは何も知らない」
促すように、自分の頭で少しは考えてと言わんばかりに、彼女は二度、そう聞いた。同じようでいて僅かに差異のある言葉を投げ掛けた。
「知ろうとしていない事にすら、気が付いていない」
そう告げた彼女は目を伏せる。冷たく、凍結したように、伏せ、やがて持ち上げた時、彼女はまたいつも通りの朗らかさを保っていた。
「過去の経験、それに目が行き過ぎてるんじゃないかな。それじゃあダメだよ。だって何も知らない内に、そんな事をどうにかしようとしたってそれじゃあダメ。人の心に深く潜りたいなら、まず知らないと。どういう嗜好を持った人間なのか」
言葉に備えられた笑顔に、悩んでいたあれこれが吹き飛ばされていった。彼女の言う通り、俺は知らなかったのではなく──知ろうとしていなかった。
「恋は盲目、ってわけじゃないけど、そんな簡単な事にどうして気が付かなかったのか。私としてはそれが凄い不思議」
「簡単な事、か……そうだよな」
化け物、銃、悩み、過去。出会い。どれもが衝撃過ぎていて、忘れてしまっていたのだ。つまり抱えているものが大きくて、足元が見えていなかった。躓くわけだ、立ち止まるわけだ。
「本当に、どうしてだったんだろう」
だって前すら見えていなかったのだから。何度も何度も自覚していた筈なのに、異常に囚われ平常を見過ごしてしまっていた。
「悩みは解決出来た?」
「かなり」
「そう。じゃあこの話はおしまいだね。何して遊ぶ?」
「遊ぶのか」
「だって元々遊びに来たんだもん」
「ゲームでもするか」
「うーん……ゲームも良いけど、もっと高校生らしい事しない?」
彼女は手を床につけ、四足となり、ゆったりと距離を縮めて来た。ケモノのように獲物を見つめるように、まったりと近付くと小さく呟いた。
「恋バナ、とかさ」
そして今度こそ、本当に胸ばかりに目が行ってしまう。谷間の存在しない胸元に、鼓動が早まっていく。僅かに香る柑橘系の爽やかさが、脳を痺れさせていた。
「その子の事、好きなの?」
それは遊びでもなければ、話も終わっていないじゃないか、そう思える。
しかし、俺は陽衣の事をどう考えているのだろう。確かに彼女は可愛いし胸が大きい。実際問題、最初に愚痴を聞く知り合いになってと頼まれた時、決断を促したのはそんな理由だった。だが、いざ好きか否かと問われるとそれは難しい。
嫌いではない事は事実であり、反転すれば恐らく好きなのだろうと思える。しかし、それが恋人になりたいのかと聞かれれば、それははっきりと頷く事が出来ない。どちらかと言うと放っておけない、と言う方が正しい。
可愛くて、放っておけなくて、つい構いたくなる。
「アイツは……」
そんな感情に近いものを、俺は一つ知っている。ずっと憧れていたが、手に入らなかったもの。焦がれて見続けて、そして認めては貰えなかった。いつしか諦めてしまったもの。
「犬だ」
「犬?」
姉弟揃って動物好きだが、母が猫アレルギー、父が犬アレルギーな俺の家では、残念ながら飼う事を決して許して貰えなかった。
「それ……どういう意味なの?」
「いや、変な意味じゃない。ただ、こう……ペットにしたい、というか」
「ふーん?」
「い、いや、ペットと言っても変なあれ、じゃなくて」
駄目だ、話がどんどん可笑しな方向に転がってしまう。違うんだ、そんな目で見ないでくれ。
「その子とトシくんって、一体どういう──知り合いなのかな?」
「と、特殊な事情が……」
「特殊な性癖が──なんだって?」
「性癖の話はしていない」
「ふーん」
鼻を鳴らすと、彼女は倒れ込む。
「っ」
パフっと、そんな音を立てて寝転がった。それも、俺の膝に頭を乗せて、寝転がった。軽くもなく、重くもない適度な重量が
「まあ、冗談はここまでにして」
「どこからどこまでが」
なんだこれは、一体何が起きている。撫でろとそういうことか、撫でて良いのか。いやもうこれは撫でて欲しいとそういうことではないのか。
「トシくんは動物、本当に好きだよね」
「可愛いから」
「でも、その子は動物じゃない、人間だよ。人間は好き?」
「……ああ。好きだ」
「じゃあその子の事は?」
「……分からない」
「トシくんはその子、本当は好きだよね?」
「……」
そっと彼女の髪を撫でてみる。それは、多分誤魔化す為だったんだと思う。
笑顔を見た、涙を見た、苦悩を知った。でもそれは、人を好きになる理由として正しいのか、助けたい、そんな感情で飾り付けているだけなのではないか。
とにかく、今はまだ自分への自信など、その何もかもが足りていない。
「別に隠さなくていいのに」
「隠してない。ただ、やっぱり俺には良く分からないんだ」
「人は、それを──恋煩いと言うらしいよ」
それから、彼女は言葉を続ける事は無く、ただ静かに瞳を閉じた。膝の上から太腿へと頭を転がし、彼女の気が済むまで、自分の気が済むまで撫でていた。
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