第7話 始め

「頼む」

「いやー、流石にないない」


 手をヒラヒラと舞わせ──陽衣はこんなにも怯える自分が伸ばしている手を振り払う。不安を煽るだけ煽っておいて、その後のアフターケアを何も考えていない。──まさに外道、およそ人間のして良いことではないじゃないか。一体何が気に食わないというんだ。


「ちなみに今日の晩飯はカレーらしい」

「え? 本当に!? じゃあ……ってなるわけないじゃん」

「俺ならなる」

「それはちょっとドン引き」

「DVDも各種揃えている。定番のアクションからお笑いまで」

「いや、だから無理だって」

「大学生の姉さんもいるので、いろいろな話も聞ける。そうだ、近くにウチの生徒会長も住んでいるので呼んで来よう。きっと楽しいパジャマパーティーに」


 そう、姉さんが買ってきた入浴剤も確かまだあった筈だ。俺には分からんが女子が好きそうなもの。冷蔵庫にはプリンもある、この女に渡すのは非常に癪だが、背に腹は変えられないので、仕方が無い。他に、無いか、彼女が喜びそうな何か────。


「落ち着け」


 ポン、と頭に感触。


 困り顔の彼女が、短く呟いて、軽く、小突いたのだ。


 彼女を引き留めようと模索していたありとあらゆる考えも、何故だろうか、吹っ飛んでしまった。


「落ち着いた」


 たったそれだけで、俺は落ち着いてしまった。


「うわ、急に真顔に戻んないでよ。気持ち悪い」

「……」


 しかも追い討ちを掛けられた。混乱していなければ、俺は仕返しとして、彼女の脳天にかかと落としでも食らわせてやっていただろう。困惑が階段を駆け上って徐々に怒りへと変わっていくのを感じる。先程卒アルを見られた件を思い出すとより、ムカついてきた。


 しかし、これが彼女との距離感で一番正しいものなのだろう、少なからず安心してしまった胸中を鑑みると、不思議と、そう思える。


「てかアタシがいた方が危ないから。だから泊まるとかはナシ」

「……もう少し詳しく」

「屋平は化け物じゃないってこと」


 この女は、詳しくの意味を分かっているのか。そんな事は物心ついた時からずっと知っている。どこまでも人間らしい人間だと知っている。


 ──友達が出来ない、そんな寂しい人間だと。


「そもそも、化け物とは何なんだ」

「さあ?」

「知らないのか」

「アタシは見えて、襲われて、殺せる手段があるだけだから」


 何でもない、そんな風に、およそ一般の女子高生が発するべきでないセリフを唱える。彼女の表情は何も変わらない。


「襲われるとは」

「言葉通り、まっすぐゆっくり向かってくる。ねえ、どんな見た目してると思う?」


 化け物の見た目、か。そんなもの想像出来るわけもない。アニメや映画で想像するなら、鋭い牙とか、爪とか、眼光とかだろうか。


「黒い全身タイツ」

「全身タイツ?」

「頭の先から爪先まで、すっぽり入るような、全身タイツみたいな真っ黒」


 彼女は人差し指をピンっと立て、その小さな顔を縁取るようにくるっと回した。


「そんでこう顔の部分に、白く丸が書いてある。ここが的ですよって感じで。そんなバカみたいでふざけた見た目の化け物。どう?」

「どうとは」

「笑っちゃうよねってこと」


 確かにふざけた格好だ、しかし──笑えない。


 もし本当にそんなものが居たとして、自分にだけ見えたとして、殺せる手段があったとして、俺は彼女のように笑えない。だって誰にも信じてもらえないのに、どうして笑える。


「最初に見えたのは……小6くらい、かな。そん時はもう怖くて怖くて、めちゃ走ったよ。んで、気付いたらアタシは──銃なんて持って、撃ち殺してた」


 彼女はそんなものと、ずっと一人で戦って来たのに、どうやって笑えばいい。


「夜なんて全然寝れなくてさ、本当困って」

「……親とかには」

「言える? アンタなら」

「……分からない」

「アタシは馬鹿じゃない。これが普通じゃないって初めて見た時から気が付いてた」


 馬鹿ではない、確かにそうだろう。誰にも相談せず、一人でそんなものと戦って来れたのは馬鹿ではない証拠。しかし、それは頭が良いのではなく──物分かりが良すぎるだけだ。


「今以外ならいつでも良い。そんなここぞって時に限って現れる。銃だって必要な時だけ勝手に出て来るし……アタシが愚痴りたいって気持ちわかるっしょ?」 

「……ああ」

「そんで屋平。問題はアンタ」

「俺がどうした」

「化け物が見えなくて、銃が見えるアンタは──なんなの?」


 何者なのか、そう問う彼女は真っ直ぐに、指の先端をこちらへ向けた。突き刺されたように動けなくなり、彼女の瞳が鼓動さえも締め付けているようだった。


 平凡を嫌い、彼女との平凡を望んだ。そんな都合の良い自分は何者か、問われ、惑う。


「化け物? 人間? 別のなにか?」


 与えられた選択は、本来迷う必要も無いものであり、即答しなければいけないもの。それでも口籠ったのは、自分がただの人間だと信じる事が出来なくなったから。そう理解する以外の道を彼女に封鎖されてしまったから。


「と、そう思って2回撃ってみたけどやっぱり何ともないし、とりあえず化け物じゃないから安心していいんじゃね?」


 自己を根底から崩壊させかねない彼女の言葉は、奇しくも彼女自身によって打ち砕かれた。


「……っ」


 ゴンッ!


 気が抜けた、ので思い切り後ろに倒れ込み、後頭部を強打した。


「ちょ、何してんの」

「痛い」


 痛い痛い痛い、触れてみると痛い、熱い。めちゃめちゃ腫れてる。


「お前ふざけるな」


 数分で走馬灯のように家族との思い出が蘇っていた。本当に自分は何者なのか、そんな哲学的な問答に対し真剣に取り組み、思わず涙が溢れそうだった。


 まして悪質なのは、この女の『2回撃ってみた』という発言。つまり一度目では信用出来ず、しっかりきっちり二度打ちで確かめたという事になる。連絡先を知りたがったり、わざわざ家まで来たのは、つまり──仕留めに掛かろうとしたからだ。


「だから真剣だって、さっき言ったっしょ?」

「だからより悪質だと、そう言ったはず」

「それにアタシはしっかり前置きしたじゃん──屋平は化け物じゃないって」


 ……そういえばそうだった。


「もしかしたら、アタシと同じだから見えたのかもね」

「同じ?」

「アンタも武器持ってんじゃないってこと。知らんけど」

「持ってない」


 そもそも化け物に遭遇した事がないのだから、確かめようもないがとりあえず今は持っていない。だが……一応武器の取り扱い方法だけは調べておこう。


「ちなみに、化け物に襲われたらどうなる?」

「どうなるって?」

「……死ぬのか?」

「それを知ってたら、アタシはここにいないんじゃない? でもまあ──ロクなことにならないのは確かかな」


 背筋が凍った。


 例えでも何でもなく、本当に部屋の温度が下がった気がしたのだ。


「やっぱり泊まっていってくれ」

「だーかーら、それは無理だって」

「このままだと死ぬ。化け物に出会わなくても不眠で死ぬ」


 しかも何が怖いって、彼女は俺に化け物の造形を伝えたからだ。想像出来なかったならば恐怖も幾らか緩和されたかもしれないのに、あろうことか特徴をジェスチャーを混じえて分かり易く解説されている。


 嫌がる人間に無理やりホラー映画を見せるような暴挙。とても許せない。彼女には責任を取って必ず泊まってもらう。


「大丈夫、ここで寝ろとは言わない。姉さんの部屋で」

「だから……無理なの」


 続けようとした言葉が、喉が、詰まった。


 悲壮で悲痛で堪らない、やりきれなくて痛い、そんな思いの乗った彼女の表情が、儚く憂いていたから。


「……誰かに取り憑くこともあれば、何もなく突然現れたり、でもそれは、やっぱりアタシの目の前で起こる、だから無理なの。言ったでしょ、アタシがいた方が危ないって」


 そんな顔をしているくせに、彼女は笑っていた。何でもないように、清々しく、やってやったぜと、そんな風に。


「今日ここへ来たのは確認と説明のため、連絡先を知りたかったのは、困ったら助けてあげるって、そういうことだから……勘違いしないでよねっ」

「ツンデレか」

「は?」

「いや、何でもない」

「あっそ……じゃあそういうことだから、アタシはもう帰るよ」

「帰るのか」

「だからーそう言ってるでしょ。早く連絡先プリーズ」

「それは無理だ」

「無理ってなに?」

「無理なものは無理だ」

「だから、それがなんでか聞いてんじゃん!」

「だってお前泣いてるから」


 もしかして彼女は気が付いていなかったのだろうか。


 ずっと──涙を流している事に。

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