第2話 ショットガンな彼女 2
クラスメイトを撃った彼女は──次に俺に引き金を引いた。
転校生の女の子の秘密を、放課後の教室で偶然知ってしまう。そこから始める二人の恋物語、そんな話を幾つか知っている。
これならばまだパンを咥えた女の子が空から降って来た方が遥かにマシで健全だ。いや、それはそれで怖いのだが、現状よりはずっと良い。
もし、叶うのなら、普通の、友達が欲しい。あわよくば、恋人が欲しい。
出来れば可愛い女の子が良い。そんな事を考えて来た。
それは容姿であっても構わないし、立ち振る舞いであっても構わないし、言葉遣いとか、何となくそんな雰囲気を持っているとか、そんなことでも構わない。要するに何でも良い。だけど、
だけど──いくらなんでもこれはない。
カチャン、と渇いた金属音が虚しく響いた。
「……はっ、はっ、はっ、は」
──沈黙の後。俺はその時呼吸さえ忘れていたのだと、酸素を求めて暴れ狂う心肺機能がそれを気が付かせる。
完全に腰が抜け床に倒れ込み尻餅を付いた。そしてそう思えていると言う事は──俺は生きている。痛みといえば床に落ちた際に打った尻くらいのもの。
彼女は撃った。俺は尻を打った。という事はつまり生きている、死んでない。
──不発、どういうわけか発射する事なく、脳天をぶち抜く事なく、不発。もしかして先程のものも空砲だったのでは、そんな淡い期待もあった。
「……あ、あ……」
だが逃げなければならない──こんなイカれた状況から一刻も早く逃げ去りたい。しかし抜けた腰のせいで足は動いてくれず、掌で必死に床を掻くもどこへも体を進めてはくれない。幾らもがいてもどこへも逃げる事は出来なかった。
「……そうじゃない奴か、良かった。まあ
「は、は?」
──良かった? 一体このどこが良かったというのか。彼女はとびきりのイカれ女──それが分かってこっちは何も良くないというのに。
この女はあろうことか安堵していた。同級生を撃ち抜いて──殺さず、自分にも引き金を引いた──その後でだ。まるで本当は撃ちたく無かった、死んで欲しく無かったとそんな事を言いたげで、その可愛らしい顔を見ているだけでも腹が立った。
だが、そんな苛立ちがどこかへと行ってしまう程、俺はまた──信じられない状況を目撃する。
「……え」
彼女の手にしていた散弾銃──それが忽然と消えた。
前触れ無く兆候無く起こりも無く、徐々に形を失ったとかそういう事でも無く──そこからは何も無くなっていたのだ。
「あ、あれ……どこに……」
見間違いとかそんな状態はとっくの昔に終了している。そして俺はこの女の一挙手一投足の全てから目を離したりはしていない。つまり消えたと──そう言うしかないのだ。
「ん? だってもう必要無くなったし」
何が、そう言う前に彼女が応えるがそれは全く答えになっていない。聞きたいのはどこに消えたという事ではなく──何故どこかに消えたという事なのだから。
しかし一先ず当面の危機は去ったのだろう。だが問題はこれからだ。一体これから何をすれば良い。こんな状況で自分が何をすればそれは最適となるのだろうか。
「お、お前……どうして……あの……撃ったんだ」
自分が納得したいだけだったのか、それは見当が付かない。だが咄嗟に口から出たのはそんな言葉だった。そんな事を聞いたところで何の意味も無いというのに。
「──化け物に取り憑かれてたから」
「は?」
彼女の口から飛び出したのは、恐らく全地球の人類全てを含めても、絶対に予想出来ないであろう遥か斜め上からの答え。思わず素っ頓狂な声を出してしまったがそれは仕方が無い事だろう。
「アタシにしか見えないから、その化け物。んでそれを殺せるのもアタシだけ、どう? 理解出来そう?」
「……無理だ」
「えー、アンタ見えてたっしょ?」
「何の話」
「? 見えてたんじゃないの?」
「お前の言う化け物は見ていない」
「えー、どゆことそれ。つーか、だとしたらなんで見えてんの?」
「知らん」
──何をどう理解すれば良いのか。検討も付かなかった。
この突発的な状況を説明するのに、それらの回答は余りにも突飛過ぎていたのだ。突然そんな事を言われ、当然頷く事も、言葉を返す事も出来る訳が無い。
それこそ文句の一つでも言ってやりたい、そう思ったが、それがどうしても出来なかった。見てしまったからだ。
「てかまあそう、だよね……うん……それが良いか」
そうして勝手に納得する彼女の──柔らかな拒絶と僅かな落胆の色が。
その表情が初めて、何か別のものに変わっていた。本当は理解して欲しいのだと、でも理解して欲しくない理由もあるのだと──ただ何となくそう言っているように思えてならない。
夕暮れに染まる教室。ノスタルジックでロマンチックな状況だからだろうか。その表情に、俺は形容し難い程──惹き付けられてしまっていた。
儚く憂い、寂しく悲しい。それを隠すように日を纏う彼女の姿に。俺は間違いなく歩み寄ろうとしていた。この状況を作り上げている張本人に対して。
「……弾は入ってるのか、それ」
だからそう聞いた。やっぱり空砲でした、遊びでしたと──その言葉が聞ければ、それで何もかもが充分だと思えたから。
「勿論──ちゃんと出るよ」
「っ」
しかしそんな僅かな譲歩ですら、この異常は許してくれなかった。思った程の驚きと絶望が無かったのは、あるいはどこかで分かっていたのだろう。あの銃が──本物であり、彼女もまたそう答えるだろうという事が。
撃った、撃たれた、倒れてない。傷も無い。弾が出ていて直撃して死んでいない。
だとすれば、彼女は──何を撃ったんだ。本当に──化け物を撃ったのか。
キンコーンーカンコーンーキンコーンカンコーンーキンコーンカンコーンーキンコンカンコーン……ボボボ、ブツッ……。
と、到達した思考の果て──その迷いを砕くように、鐘の音が鳴り響いた。完全下校時刻を知らせる合図で、滲んでいた視界が鮮明になる。
「……さ、もう帰らないと……ほら、立てる?」
差し伸べられた小さな手。飛び込んだ二つの巨峰が一つの疑問を解消した。
「あ」
豊に実り男の目を釘付けにする脂肪の塊。思い出した──彼女の名前は、
それは数週間前の事。
高校1年生だった俺も進級し2年生となった。教室では話すが、休日に遊びに行くような相手はいないくらいにはクラスに馴染み始めていた頃。
──転校生がやってくる。朝のホームルーム前にそんなイベント情報が出回っていた。
全くもって下らない。男子はとにかく可愛い女子が来る事を望み、女子はカッコ良くて清潔感があって金を持っている男子を望んでいる。全くもって下らない。
「お前ら、席に着けー」
禿げ担任が教室へと入り、全員が珍しくその指示に従った。それは当然だろう──何故なら今日は転校生が来るらしいから。
特に理由は無いが、俺は今まで生きて来た中で一番の速度を発揮し席に着いた。何故なら転校生が来るから。
「知っているとは思うが、ウチのクラスに転校生来る」
お決まりの前置きで、教室中に拍手喝采が巻き起こった。ワールドカップで日本が優勝してももう少し静かに騒ぐだろうと思えるくらいに。阿鼻叫喚、狂喜乱舞、喜色満面、有頂天外。そんな地獄の光景に辟易していた。
「はいはい騒ぐな騒ぐな。あんまり騒ぐと先生またハゲちゃうぞ。なんて」
「……」
「では、早速転校生を紹介する……入って来い」
期待もしよう、後悔もする覚悟は出来ている。
しかしこれでは転校生が余りに可哀想だ。本人は今頃緊張で震えて縮こまっていると想像するのは難しくない。そんな中で勝手にハードルを頭頂部を突き抜けるくらいには上げられているのだから、可哀想と言わず何と言おうか。
「失礼しゃーす」
入って来た彼女を見てクラスの──主に男子がどよめいた。
ウチの高校はめちゃくちゃ校則が緩いが、それでもその──淡い桃色の髪は目を引いた。ボブカットの毛先は波打ち、歩く度にふわふわと揺れる。
しかし、揺れているのは毛先だけでは無い。
制服の大きく膨らんだ胸元──その果実が、揺れていた。
肩に担がれた鞄にはバッジやらアクセサリーで装飾され、彼女の趣味嗜好を如実に示す。
あちこちから聞こえる『胸がデカくね』という下世話な男子の声。出る部分は飛び出て、締まるところはきっちり締まっている。
小さな顔は目鼻立ち麗しく、女子達の嫉妬と落胆と羨望が窺える。
「じゃあ自己紹介を」
「
──ギャルだ。あとおっぱいがデカイ。
「趣味はなし、特技とかもなーし。あ、勉強はそれなりに得意かも。でも教えるとか苦手だからあんまり聞かないでね」
最早自己紹介など全く入って来ない──おっぱいしか入って来ない。
「そ、そうですか……では席は……」
担任から指示を受けると、彼女は窓際の一番後方一番端に着席した。
扉側一番前一番端の自分の座席とは真逆の座席。残念ながら、ここからではおっぱいが良く見えないではないか。隣の席のアイツが妬ましい。
「よろしくね」「おう、よろしくな」と既によろしくやっているようで、コミュニケーション能力の高さは見た目通りらしい。
話す機会もあるだろうから、その時うっかり──おっぱいにばかり目が逝かないよう、気を付けなければならない。
「陽衣……鳴子」
眼前に広がる一面のおっぱいが、ふとそんな事を考えていた事を思い出させた。釣られて彼女の名前も引っ張って来れた。
「……どこ見て言ってんの?」
「ごめん」
「どうして謝るの?」
俺はその問いに応える事も答える事も出来なかった。まさかおっぱいで名前を思い出したと、そんな事を直接言える訳が無い。
「まさかアタシの胸で名前を思い出したとか、そんな事じゃないよね?」
「そういうお前は俺の名前を知ってるのか?」
全く反論になっていない事は分かっている。それでもこの動揺を悟られぬように不敵な笑みを含めて──言ってやった。
「知らないけど、それが何?」
「……ごめん」
なるほど彼女馬鹿じゃない。隙あらば狡猾なロジハラを仕掛けて来る。
「謝るって事は、やっぱり胸で思い出したんだ」
「……それは違う」
「何が違うの?」
「誰かを覚える時、顔や特徴で記憶するのは当然」
「それがムカつくって言ってるの分かんないかな?」
俺は何を言っているんだろう。転校生がクラスメイトを撃ち、しかも殺していない上犯行に使われた武器が姿を消したなどという異常事態の中で。
──そうか、俺は気が動転しているのか。
「ごめん……俺は、少し動揺していたのかもしれない……くっ」
頭を抱えて困窮する、ように見せてみる。上手く誤魔化せると良いが。
「……プッ……アハハハハっ!! 何その下手な芝居……アハハハッ!!」
彼女の口振りから、結果は失敗だったようだ。加えて演技も下手だと罵られた挙句、のたうち回る程抱腹絶倒されてしまっている。
先程の殺人鬼紛いだった彼女はどこかへと消え失せ、そこに居たのはただ一人の普通で平凡な少女の姿。年相応の笑顔を見せる彼女に思わず鼓動が高鳴った。
──これがギャップ萌えというものだろうか。
一頻り人を小馬鹿にすると「ああ可笑しい」と締め括って泣き笑いの涙を拭っていた。一体俺はこの放課後何を見せられていたんだろうか。
「ふぅ……ねえ、名前なんて言うの?」
腹を抑えて何を思ったか、彼女は今更そんな事を尋ねた。もしかしなくても興味を持たれてしまったんだろうか。このショットガンな彼女に。
「……
少し躊躇ったが、クラスメイトなら名前くらい教えても良いだろう。だが実を言うとそれは余り気が進まない。俺は自分の名前が──少しコンプレックスなのだ。
「屋平、何?」
「……
流れた一瞬の沈黙の理由は分かっている。大体どんな感想を抱くかも予想出来る。
「おくひら、としひら?」
「……そうだよ」
「……ぷッ」
再び訪れた抱腹絶倒。最早何でも面白いのだろう。例えそれが人の名前であっても。
──
極端に妙な部分は無いが、それでも拭いきれぬ確かな違和感。どっちが苗字でどっちが名前だと何度言われたことか。通常名前弄りは幼稚園や小学校時代で終了する筈だが、この名前を厄介な部分は学が上がるにつれその違和感に気が付くという点にある。
やれヒラヒラだの、お笑いコンビ名だと散々弄られて来た。
「変な名前、何それリバーシブル? アハハハッ!!」
「リバーシブルじゃない」
「裏でも表でもいけますよみたいな!?」
「違う」
「2日続けて着れますよみたいな!?」
「……殴りたい」
直球の責めと変わり種の両刀で襲い掛かる彼女。目の前で笑い転げるこの女に、俺は苛立ち以外の感情を覚える事すら難しくなっていた。
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