第3章:迫る悪意 2
先日、受領したS3の新装備の性能は凄まじいものだった。
スラスターの加速力や巡航性能はルクスに及ばないが、並んで飛ぶことがようやく可能になる。
これでヒカリの訓練が終われば、ルクスとカスタムしたS3で部隊を編成できるようになるだろう。
まだ彼女を単独で実戦に参加させることはできないが――
実機演習では射撃を命中させられるようになってきたし、シミュレーターでもコクピットを狙えるようになった。
実戦でも同じことができるかは、まだまだわからない。
訓練で何度もやっている内にできるようになればいいのだが、彼女はその通りにはならないのはわかっている。
彼女を単独でルクスに乗せても、自力で身を守れればいい。
敵機を仕留めるのは、僕だけでもできる。
僕はヒカリやルクスを出撃させたくて訓練しているわけではない。
彼女とルクスを両方同時に守るには、最高戦力として運用した方が理に適っているのだ。
ルクスを出せば母艦を守ることもできるし、ヒカリ自身も自衛できる。
そのために、ヒカリを並み以上のパイロットに仕上げなければならないのだが……
――彼女はまだ甘いな……
僕は手にしている端末を操作し、表示されている報告書をスクロールする。
自分が書いた訓練と新装備の報告書、訓練スケジュールは順調だが彼女の「英雄的思考」は未だに崩すことはできていない。
『人間は本来わかりあえる。だから、殺してはならない』
最近、それを口にすることは無くなった。
全てを暴力的手段で解決しようとする人々の存在を知ったからこそ、軽々と言い放つことができなくなったのかもしれない。
それでも、父親の言葉が彼女の中で燻っているのを感じる。
自室の端末、そのモニターから目を背け、デスクの上に置いたままのパイロットヘルメットを手に取る。
かつての上司、ゲイツ・クリューガが託してくれた特別なヘルメット。
彼は、彼女の「不殺」をどう考えていたのだろうか。
――まぁ、気にしないだろうな。
ゲイツというパイロットは柔軟で、思い切りが良い。
だが、平時はとても正規軍人だったとは思えないような自由奔放ぶりだった。
流れの傭兵の方が落ち着いていると思えるほどに、無責任な言動を振り回していた。
彼が訓練中にヒカリの『癖』を見抜けないはずがない。
それを、彼は矯正しなかった……するつもりも無かったのだろう。
彼に与えられたオーダーは「未就学女子をパイロットにする」というものだろう。
なら、彼はその目的を『最短』で達成させようとするはずだ。
それはつまり、ストライカーを操縦できてさえいればいい――という結論。
戦技指導や戦闘機動において、ゲイツは一流の教官だろう。
しかし、それは互いにプロであるから意味がある訓練だ。
一般人の子供を普通に訓練しただけでは、プロのパイロットにすることは到底不可能だと言ってもいい。それはパイロットに限らず、戦闘に参加する全てのポジションでも同じだ。
ただの一般人を戦闘職に就かせるなら、洗脳や催眠暗示のような特別な精神的処理を実施する必要がある。
ヒカリを本格的なパイロットとして運用するなら、彼女自身を否定し、そうした「処理」で道具にすればいい。
だが、そんなことをすれば僕たちはテロリストと同類だ。
それを許すことはできないし、この艦にいる人間がそんなことをやろうとは思わないだろう。
国連軍からそのような命令があっても、ミランダ中佐が拒否してくれる。
USMとAMUが全面戦争に突入しない限り、現状を維持できる。
また世界大戦が起きるなんて想像も出来ないが……
突然、部屋の中で電子音が鳴り響く。
それは個室の呼び出し用ブザーだ。
出入り口のドアの方を見ると、小型モニターに女性の顔が映り込んでいる。
『――軍曹、私よ。今忙しいかしら?』
ミランダ中佐だ。いつもの苛立ちを撒き散らす不機嫌さは無く、どこかすっきりした顔をしている。
僕と会う時は不快感を露わにし、会話も最小限にするような態度を続けてきた。
中佐が僕に対する態度を改める要因は思いつかない。単に機嫌が良いだけなのだろう。
居留守にする必要も無く、場合によっては提出予定の報告書を確認してもらうこともできる。中佐の機嫌がどのように転がるとしても、わざわざブリッジに向かう手間が減るのはありがたい展開だ。
端末を操作し、ドアのロックを解除。
すると、ドアの向こうには怪訝な表情をした中佐が立っていた。
「……いるなら応答してくれてもいいじゃない」
「部屋の前で待たせてしまうより早いと思ったので……」
中佐が個室に入ってきて、ドアを締める。
僕はデスクから離れ、席を譲ろうとしていると何かがデスクの上に放り投げられた。
それは、中佐がいつも使っているタブレット端末だ。
画面には何かの情報が表示されている。
「――それが次の任務よ」
「……了解しました。こちらも報告書がありますので、確認を――」
「それは後で提出してちょうだい」
再びデスクに着き、中佐のタブレットを手に取る。
表示されていた書類データは、軍事作戦の概要書だった。
それも、ただの作戦ではない。
国連軍、
――こんな大規模な演習を……?
書類上では軍団規模、場合によっては一国の総軍に匹敵する量の部隊が海上に集結することになっている。
演習のタイムスケジュールも緻密で、国連軍がこの演習を成功させようと注力しているのが一目瞭然だった。
「この演習に、我々も?」
「ええ、他の機動部隊も全部参加するみたいね」
国連軍の任務に従事している機動部隊がどれくらい存在するかは知らないが、その全てを招集すること自体に大きな意味があるのだろう。
その実力や役割を国連軍やUSAFで周知するのが狙いなのは間違いない。
そんな場でルクスを披露してしまえば……国連軍の強硬姿勢を後押しする結果になるのは明らかだ
――中佐はどう考えているんだろうか……
国連軍の担当官から『ルクスを出せ』と命令されてしまえば、従わなければならない。
そもそも、中佐が情勢を気にしていないとも限らないが……
「ストライカーの模擬戦もスケジュールにありますが……」
「それにも参加するわ――」
少なくとも、最低限の編成としてS3のカスタム機、それでは最小単位の編成とは言えないからルクスも出す必要がある。
あくまで訓練、そう思えばヒカリを単独で搭乗させる理由にもなる――――
「私と軍曹、S3だけで出ます」
「……中佐が出られるのですか?」
「そうよ? いけない?」
中佐が定期的にシミュレーターを使ったり、予備機を整備しているのを知っていたが、まさか自分で出撃すると言い出すとは思わなかった。
「ブリザードは艦隊の側面を警戒する役割だし、艦長がブリッジに座っててもやることが無いのよ。ルクスを命令通りに披露するのも癪だから、私もストライカーに乗るわ」
「命令はあったんですね」
「――ええ」
中佐は元USAFのエースパイロットだ。
操縦の癖や練度はこれからシミュレーターのデータを引き抜いて調べればいい。
だが、僕と中佐が並んで飛べる保証は無い。
「たまには、良いでしょ?」
「……ストライカーに乗るのが、ということですか」
「こうでもしなきゃ、実機に乗る理由にならないのよ。――そう言い訳したわ」
ルクスを出すのを避けられないならば、代理が必要だろう。
ブランクがあったとしても、USAFの特殊飛行隊に所属していたパイロットは貴重だ。
「……それに、ルクスを出す余裕なんて無いでしょう? あれを出したら最後、私達に切れるカードは存在しないのよ」
ルクスを出撃するのは、あくまで〈UNBCブリザード〉に出せる戦力が無いというだけだ。
作戦でもなければ、攻略目標も無い。
ならば、ルクスを出す理由も存在しない。
僕たちが抱える問題はパイロット不足だ。
中佐が用意している予備機、それと僕のS3が出撃できるなら、ルクスまで引っ張りだすまでもない。
「最悪の事態に備える必要がある――私達の仕事には、それも含まれているの」
「ルクスには実弾を装備させて待機させるんですか?」
「あの子を納得させるには、それくらいがちょうどいいのよ」
僕よりも中佐の方がヒカリを上手く扱えている。
他の部隊もそういった『不測の事態』には備えているだろうが、ルクスを出さない理由としては最もらしい内容だ。
「じゃあ、演習ではよろしくね……軍曹?」
「了解です――それと……」
僕は自分の携帯端末に用意していた書類データを呼び起こし、中佐に突き出す。
「これにサインをお願いします」
「……あとにしてもらえる?」
「――今からやらないと間に合いません」
呆れた様子の中佐に、デスクの端末の画面を見せる。
「新装備の改修を要請します」
「……いくらなんでも早くないかしら?」
中佐がそう言うのも想定済だ。
大型ブースターを取り付けたS3は凄まじい加速性と最高速を得た。
しかし、それ故に「重すぎる」。
ブースターユニットに増設したマイクロミサイルランチャー、機体本体に元々装備されているシールド、そういった装備がS3の姿勢制御や運動性に影響を与えていた。
独自の調整で機動性や反応性を向上しても、機体そのものがコントロールしにくいのでは調整の意味が無くなってしまう。
「……たしかに、あなたにとっては『無駄』が多いわよね」
中佐はそう言うと、携帯端末を受け取って、タブレットペンで書類に記入を始める。
――珍しいこともあるものだ。
すると、中佐は怪訝な表情をした。
「これでも、元ストライカーパイロットよ。仕様書や外見である程度の性能や挙動をイメージできるわ」
「いえ、中佐を疑っていたわけではありませんが……」
作業を終えた携帯端末を僕に手渡しながら、中佐が笑う。
中佐が笑みを浮かべている姿など、これまで一度も見たことが無かった。
ミランダ・バーンズという女性がどんな時に笑うのか、楽しいと思うのかなどと気にしたこともなかったのも事実だが、この状況――少なくとも、ストライカーに搭乗することは中佐にとって悪いことではないらしい。
「今回はよろしくね、ユーリ軍曹」
「了解です」
満足気な様子で、中佐は部屋から出て行こうとしていた。
僕はデスクの端末を操作し、作り終えている書類を中佐に送信しようとしていると、中佐がこちらに振り向く。
「――1番機は、私だから」
中佐はそう言うと、開いたドアから退室する。
――これから忙しくなるぞ。
書類を送信してから、僕は部屋を飛び出した。
現在の中佐がどこまでやれるパイロットなのか、僕は徹底的に調べなくてはならない。
高速ですれ違う機動兵器に追従し、支援するには相手の操縦の癖や傾向を把握する必要がある。
それは模擬戦であっても同じだ。
準備を怠れば、事故に繋がる可能性もある。妥協は許されない。
だが、中佐が楽しそうにしているのを見るのは、嫌な気分ではなかった。
僕自身も、USAFエースの実力を拝見できるかもしれないと期待してしまっている。
この演習で何が起きるかはわからない。
それでも、普段は見れないものに出逢えることだけは間違いなかった。
だが、この時は誰もが失念していた。
大戦力が集まることで、惨劇の火種が燻るということを誰1人として想像もしていなかったのだ。
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