第2章:白き翼、黒い化身 1
単独での訓練飛行を終えて戻って来ると、格納庫が妙に騒がしかった。
わたしはいつも通りにルクスから降りて、ヘルメットを脱ぐ。
ユーリ軍曹が設定したOSに慣熟するための訓練、それは酷く大変なことだった。
改変された操縦システムは、非常に過敏で繊細だ。
意図的に反応性を向上させ、その場で回頭してしまうことができる小回りの良さは魅力的ではある。
だが、それ故にほんの少しの入力で想定以上のリアクションが発生する。
ベーシックOSの操縦性とは全く異なる性質だ。
通常のストライカーは前方に巡航している状態か、その場で滞空する状態のどちらかをコントロールするものだ。
だが、ユーリ軍曹のOSの操縦性はどちらでもない。
「ニュートラル」と表現するのが正しいだろう。
巡航と滞空をモードとして切り替えるのではなく、フットペダルや操縦桿の入力で状態を推移させるという形式。
これなら、滞空モードなら上昇、巡航モードだったら前方といった特定の方向に進み続けてしまう、ベーシックOS特有の癖を無くすことができるのだ。
ユーリ軍曹の機体に機動予測が追い付かなかったという事実が、このOSの生存能力の高さを証明していた。
このOSによるマニューバを理解することで火器管制が楽になるはずだ。
ユーリ軍曹にルクスを任せるのは納得出来ないが、わたしが動かすよりも有用性があるのは間違いない。
一緒に搭乗した時に、わたしのミスで撃墜されるのはもっと納得できないことだ。
ユーリ軍曹のOSに慣れるというのは、彼自身が作成した訓練計画上のものだが、哨戒飛行ついでに1人でルクスに乗れるチャンスでもあった。
――それにしても、何だろう?
格納庫に漂う空気感は平時のものとは違う。
ビリビリと張り詰めた緊張感が漂っているような気がした。
「ヒカリ」
唐突に背後から声を掛けられ、どきりとする。
振り向くと、そこにはパイロットスーツを着用したユーリ軍曹がいた。
ヘルメットを手に、いつもの無表情の顔がこちらを向いている。
「今すぐブリーフィングだ、ブリッジに向かうぞ」
彼はそう言って、すぐに歩き出す。
軍曹の後を追って、わたしもブリッジに向かう。
――せめて、説明くらいは……
いつもユーリ軍曹は突然現れる。
彼は普段から足音を立てずに歩いている。そのせいで突然現れたように感じるのだ。
一度、その歩き方について文句を言ったのだが――
『これは昔からの癖だ。それに、普段から気配を探る癖を身に付けないと、戦闘中に死角に回り込んだ敵を感知することができない』――と、無理難題を返してくる始末だ。
駆け足と変わらない速さで歩く軍曹に追いつけないまま、ブリッジに到着した。
ブリッジも格納庫と同じような緊張した空気に満ちている。
艦長――ミランダさんが座っている中央の席、その前にユーリ軍曹が後ろに手を組んで立っている。
わたしも軍曹の隣に並ぶ。
ミランダさんはモニターアームを動かして、ディスプレイをこちらに向けた。
そこには簡易的な地図が表示されている。いくつかの戦略情報がデータの上から記述されていた。
「2人とも、任務よ」
地図情報にアイコンが追加された。
敵と味方を示す三角のマーク、そこに地形を強調するような線が引かれる。
地名や部隊情報が表記され、それが勢力図であることがわかった。
「――AMUと国連軍の軍事境界線に潜む武装集団を攻撃するわ。標的は『
『国境なき戦士達』はルクスを強奪しようと国連軍の空中基地を襲撃した武装組織だ。
世界各国の軍隊や警察がその実態を探ろうとしているが、少しもわかっていないらしい。
どうやら、軍が手を出しにくい地域に身を潜めているようだ。
「このエリアには『
地図情報にアイコンが追加された。
わたし達、〈UNBCブリザード〉と国連軍らしき部隊のアイコンが置かれる。
「敵に察知されるのを防ぐために、ステルス性と機動性の高い本艦〈UNBCブリザード〉で対象エリアに侵入。『OHS-X1』〈ルクス〉による強襲、拠点を制圧した後に国連軍第9特務中隊が標的の確保と輸送を担当することになってるわ」
部隊アイコンに矢印と線が追加され、時刻が表示された。
後からやってくる国連軍部隊はかなりゆっくりと到着するらしい。
「第9特務中隊の装備は?」
不意にユーリ軍曹が口を開く。
敵の戦力は不明だが、ルクス単機でも充分に戦えるだけの時間がある。
後続の部隊に何かできることがあるとは思わないが……
「……ストライカーが3機と母艦が1隻の編成のようね。機種はストライカーⅢで構成されてるみたい」
「了解した」
強襲任務はシミュレーションで何度も経験した。
ルクスは性能が高すぎるため、ストライカーや艦船と連携するのは難しい。
単機での戦闘、特に攻勢任務に向いている。
この作戦では、母艦である〈UNBCブリザード〉は作戦エリア手前で待機しているため、母艦を気にせず戦うことができるはずだ。
「現地到着時刻は明日の3時、作戦開始時刻は5時。他に質問は?」
「あの……」
この説明で作戦のほとんどの情報が開示されている。
本来なら、これ以上聞くべき内容は存在しない。
だが、これは仮想空間上のシミュレーションではない。
任務のディテールは知っておいた方がいいはずだ。
「その、標的――というのは、何者なんですか?」
ストライカーパイロットは、撃墜する敵機のことだけを考えればいいのかもしれない。
でも、わたしは気になってしまった。
普通、テロリストなら『排除』『殺害』『撃破』といった言葉を使うだろう。
だが、そうではなく。『制圧』『確保』――シミュレーションでは使わなかった言葉だ。
わたしの問いに、ミランダさんは表情を曇らせる。
別のタブレット端末を操作し、こちらに画面を向けた。
そこにはいくつかの画像が映っている。
監視カメラ、ボディカム、ドライブレコーダー、様々な種類のカメラで撮られた画像。その共通点はたった1つ――
「銀髪の……女性?」
様々な角度、方向から取られている画像には一貫性が無かった。
街中、屋内施設、野外、ロケーションもバラバラだ。
それなのに、画像のどこかに必ず銀髪の女性が映っている。
銀髪なのは共通だけど、髪の長さが違う。
画質もまちまちだが、雰囲気は同じような気がした。
「――ストレーガ、彼女はそう呼ばれている」
答えたのはミランダさんではなく、隣にいたユーリ軍曹だった。
「BW、国境なき戦士達の総統と言われているらしい」
「――らしい?」
――あれ、そういえば……?
「自分もよく知らない。直接、小銃の指導を受けたことはあるが……」
――この人、元テロリストだった……!
実態のわからない組織に、正体不明のボス、そんな組織に属している人間は何を信じて戦っているのだろうか?
――世界的テロ組織のボスに銃の扱い方を教えられるってどういうことなんだろう……?
わざとらしい咳払いがして、正面を向くとミランダさんが呆れた顔をしていた。
「詳細はもういいでしょう、出撃待機状態に移行してちょうだい」
ミランダさんはそう言って、モニターを元の位置に戻す。
ユーリ軍曹は敬礼してから、歩き出してブリッジから退出してしまった。
出撃待機状態、パイロットスーツを着用した状態で艦内の居住区画か格納庫区画で過ごすことが求められる。
ミランダさん曰く、『この艦は格納庫に待機室が無いから自室で待機してほしい』とのことだった。
これが正真正銘の初実戦になる。
ユーリ軍曹との連携訓練は上手くいってるし、操縦と火器管制の分担にも慣れた。
それに、この作戦はかなり重要度が高い。
世界中で混乱を生むテロ集団、そのリーダーを捕まえる――
この作戦が成功すれば、『国境なき戦士達』の士気や作戦遂行能力を大きく削ぐことができるはずだ。
――絶対に、成功させなきゃ……!
「待ちなさい、ヒカリ」
ブリッジから出ようと歩き出すと、ミランダさんに声を掛けられた。
再び、艦長席に向き直る。
「……わかってるとは思うけど、ユーリ軍曹の命令は必ず守って」
ここ最近の訓練でよく言われている台詞だ。
『ユーリ軍曹の指示、命令には絶対服従』
仮想空間上のシミュレーションや実機訓練でも、攻撃命令や操作指示をユーリ軍曹が直接言ってくるようになった。
嫌でもその冷たい声色が思い出せるほど、彼の声を耳にしている。
『撃て』と言われればトリガーを引けるし、『落とせ』と命令されたらBIDで敵機を撃墜できる。
命令にも指示にも従っているはずだ。
「わかってます」
訓練でちゃんとできているのだから、実戦でも難無くできる。
いずれは単独で搭乗することも許可されるだろう。
それに、BIDの精密攻撃をひらりと避けてしまう実力を持つユーリ軍曹も、単独で機体に搭乗した方が実力を発揮できるに違いない。
今の状況は、わたしにとっても、軍曹にとっても、好ましくない状態だ。
一刻も早く、ユーリ軍曹に認められるようなパイロットにならなければいけない。
「――わかってないわ」
ミランダさんが大きな溜息をつく。
シミュレーションできちんと結果を出しているし、実機での訓練でもトラブルは起こしていない。
だから、問題視される理由は無い――
「……ヒカリ、あなたは本当に敵を『殺せる』の?」
「――で、できます」
「無理ね」
すると、手元のタブレットを見せてきた。
画面には、ユーリ軍曹と一緒に搭乗してからのシミュレーターや実機訓練のスコアが書かれている。
1人で搭乗した時と、スコアはそれほど変わらない。
「ユーリ軍曹は言わないかもしれないけど、私ははっきり言わせてもらうわ」
タブレットの画面が切り替わり、シミュレーターの攻撃判定スコアの詳細を表示された。
ストライカーの略図に命中した攻撃とその武装が記載されている。
「これを見て、あなたはどう思う?」
BIDやレールガンの命中率はほぼ完璧。
ユーリ軍曹が制御する機関砲やマイクロミサイルによる撃墜も多い。
戦闘では、最初に遠距離攻撃としてミサイルやレールガンを使用。接近した敵に対して機関砲、より接近された時にレーザーブレードで対処する。
撃ち漏らした敵や厄介な相手にはBIDで一方的に攻撃して撃墜するという流れだ。
「何か問題があるんですか?」
ミランダさんはタブレット端末を手元に戻し、いくつか操作してから再度画面を見せてくる。
攻撃判定スコアが何かしらのフィルターを掛けられて、分類整理されている状態になっていた。
それは武装ごとに分けられている。
正確には、わたしが担当している武装、ユーリ軍曹がコントロールしている武装とだ。
「これを見ても、わからない?」
差は歴然だった。
ユーリ軍曹の攻撃は胴体に集中、つまりコクピットを精確に攻撃している。
一方、わたしの攻撃は腕や脚とバラバラ。
だが、命中しているのだから問題無いはずだ。
敵機を無力化できれば、それは撃破したのと同じである。
「あなたはまだ、危険な戦い方をしようとしているのよ」
「……それは――」
頭ではわかっている。
どんな高性能な機体でも、撃墜されてしまう可能性がある。
ほぼ完璧な命中率の武器も、必ず命中するわけではない。
それをユーリ軍曹は教えてくれた。
それでも、無意識下でコクピットから狙いを逸らしてしまっているのが真実だ。
「ストライカーパイロットはコンマ秒以下の時間で、何度も選択を迫られるわ。その時にトリガーを引けなければ……死ぬのは、あなただけじゃないのよ?」
「――わかってます!」
――そんなこと言われなくても……!
指示される、命令される。
そうした誰かのアクションでトリガーを引いているだけだ。
それは自分でトリガーを引くよりも遅い。
ユーリ軍曹が機体を制御しているから、トリガーを引く猶予があるだけだ。
実際、実機での模擬戦では彼に1発も攻撃を当てられていない。
その無意識に照準をずらしている時間が、全ての操作を鈍らせてしまっているのだ。
「……もういいわ、待機してちょうだい」
ミランダさんはそう言って、端末やモニターに向き直った。
これ以上、話をしても意味が無いと思ったのだろう。
十数時間後には戦場を飛ばなければならない。
今から悩みを抱えていてもどうしようもないことだ。
ブリッジから退出し、自分の部屋に向かう。
自室でパイロットスーツを脱ぎ、ベッドに身を投げる。
少しでも眠って、体調を整えなければならない。
敵を殺す、殺せないということよりも、攻撃を当てられないことの方が大きな問題だ。
――わたしは、ちゃんと任務を遂行できるはず……!
『――あなたは本当に敵を殺せるの?』
ミランダさんの問いが何度も頭の中で繰り返される。
殺さなければ、殺される。
それは理解している。
今回の作戦は制圧して、敵のリーダーを取り押さえるだけ。
難しい任務ではないし、ルクスに不利な状況なんてあるわけがない。
ルクスを運用するのはユーリ軍曹であって、彼が扱えないシステムや武装の操作を輔助するのがわたしの役割だ。
だが、わたしは軍曹の部下でもないし、道具でもない。
この作戦でわたしが戦えることを証明しなければならない。
役割をこなすだけ――たったそれだけのことだ。
落とされるつもりもないし、死ぬつもりもない。
軍曹の操縦技術なら、わたしが干渉しなくても生還できるはずだ。
それに――
――ルクスがそう簡単に撃墜されるわけがない。
アラームを設定し、瞼を閉じる。
疲労も無ければ、眠気も感じない。
でも、今は寝ていたい気分だった。
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