第2章:白いストライカー 2
「空域の安全は確保できました」
男性オペレーターの声がブリッジに響く。
私は手元の端末を操作し、広域通信チャンネルを展開。
間もなくして、暗号化通信の専用回線が繋がったという通知が現れ、新しいウィンドウが展開される。
そこにはヨレヨレになった白衣を着た男が映っている。
彼は眼鏡を掛け直し、小さく咳払いをした。
「久しぶりだね、ミランダ中佐」
「そろそろ、予定されている模擬戦を開始する時刻となります。シンジ・タカノ博士――」
画面に映っているのは機動兵器『ストライカー』を考案、開発に携わった人物だ。
また、最新技術を研究する『タカノ・インダストリアル』の主任研究員でもある。
そして、新世代ストライカー〈ルクス〉の正式パイロットとなるヒカリの父親。
「システムの調子はどうかな?」
私はヒカリが提出してきたレポートを博士に転送する。
「彼女がシステムを使う分には問題は無さそうですが……」
ルクスに搭載されている独自のシステム〈プロジェクト・ヘイロー〉。
それは博士が提唱する思想論のために産み出されたものだ。
人間の五感や思考、それを機械やシステムと連結。さらにシステム同士が連携していくことで、人々はより互いを理解できるようになる。
人の脳、知識や記憶を電気信号に変換して、外部の記憶装置に書き込むことができることが実証されている。
システムに繋がることで、他人の記憶や感情へアクセスし、相互理解が出来るようになれば差別や偏見が消え、争いの無い世界になるはずだ――
――そんな馬鹿げたこと、できるはずがない。
人はわかりあえない。
だからこそ、規律や規範が生み出され、世界は国境と軍事境界線で縁取られた。
文明の火は他人を燃やすために使われ、狩りの道具である槍は殺戮を行うための銃に取って代わった。
博士の思想がどこまで本物かはわからない。
だが、そんな夢のような世界を生み出すために、あの白いストライカーを作り出してしまったのだ。
「……なるほど、元々予定していた方が搭乗できないためにヒカリが1人で乗ることになるとは……」
元々、そのつもりだったのではないのか。
私はそう言いたいのを、胸に留めておく。
幼少期に頭にチップを埋め込み、学校に通わせる代わりにストライカーに乗せた。
博士の言う「平和な世界」に愛娘の居場所は無いのだろうか。
それとも、彼女自身がそう望んだから犠牲にしているのか。
私には、わからなかった。
理解したいとも思わない。
ただ、タカノ・インダストリアルは我々のスポンサーであり、我々が使う装備を開発している。
だから、命令や指示に従っているだけだ。
――そうでなければ、10代の女の子をストライカーに乗せるものですか。
「彼女のシミュレーターでの戦績は悪くありません……しかし、まだ実戦に参加するには練度不足かと」
ヒカリがユーリを認めないと騒動を起こしてから数日。
彼女は前より一層訓練に励んでいるようだった。
味方の勢力圏に入った途端、実機での訓練飛行を申請しに来たり、これまでの実戦データを要求してきたり、挙げ句には私自身に模擬戦の相手をしろと言ってくるほどだ。
仮想空間上で彼女と戦ってみたが、まだ実戦には参加させられないだろう。
敵を殺さない――ユーリ軍曹が報告書で提出してきたように、ヒカリはストライカーや航空戦闘艦の武装や機動力だけを奪うように攻撃する。
それは途方も無いほど難しい芸当だ。
上下左右、あらゆる方向に高速で切り返す動きが出来るストライカーに対し、特定の部位だけを狙った攻撃をするのは非常に難しい。
ルクスに搭載されている高性能な火器管制装置なら可能性はある。
だが、現実的ではない。
攻撃手段を失ったから無力化できたというのは大きな間違いだ。
実戦では何が起きるかわからない。両腕を失っても退避行動を取らない、墜落しながらも攻撃を続ける、正規軍であってもそういった捨て身の戦い方をすることもある。
私はそれを見たこともあるし、仲間がそれをやったこともある。
だからこそ、博士の思想もヒカリの癖も、認めるわけにはいかない。
本当なら、私はユーリ軍曹を応援すべきだろう。
だが、彼も認めたくない。
それは私が合衆国空軍の人間だからなのだろう。エリート故のプライド、それが彼を信頼するのを邪魔しているのだ。
「人事ファイルを読ませて頂きましたが、なかなかのパイロットのようですね。彼の代理としては申し分無いと思います」
ヒカリは仮想空間上や模擬戦では実力を発揮する。
攻撃力の無い武装や仮想空間上ということが彼女の「癖」を封じていた。
テストパイロットとしてなら、彼女は平均的なストライカーパイロット並みの実力がある。
もちろん、
一方、ユーリはかつて「ゴースト」と呼ばれたエースパイロット。
実戦経験が豊富で、冷静沈着。しかもドッグファイトが得意。
そういう意味では、非常に厄介な相手だろう。
そんな相手に対抗心を燃やしているヒカリもまた、厄介な相手なのだが――
「今回は実機を用いて、ルクスの機動性能を発揮してもらうつもりです」
武装を機関砲だけにして、余計な装備を取り払った状態での模擬戦闘。
余計な演習用の装備やシステムを使わず、曳光弾だけを装填して戦闘することになる。
かなり古い訓練方法だが、ユーリもヒカリもそれに異を唱えることはなかった。
むしろ、これはヒカリからの提案だった。
私と同じく、彼を信用できない。負けたくない。
しかも、彼女にとっては負けたら彼と一緒にルクスに乗り込まなければいけないのだ。
幼少期からストライカーパイロットとしての訓練を受けていた彼女にとって、正規パイロットとして扱ってもらえない状況に異議を唱えるのは当然だ。
だが、当の教官であったゲイツ大尉も「まだ」とコメントしていた以上は認めるわけにはいかない。
それに、彼女もルクスも替えは利かないのだ。
撃墜されることも、鹵獲されることも、許されない。
ルクスもヒカリも「効率的」に運用されることはあってはならない。
最も理想なのが「確実」であることだ。
安全を保証できる軍ならまだしも、国連軍とスポンサー会社の使い走りをしているような規模の小さい民間軍事会社では安全を確保するのは難しい。
だからこそ、ヒカリを守るために……ユーリが信頼に足るパイロットであるかを証明してもらわなければならない。
「では、後でデータを送ってください……」
「模擬戦を、ご覧にならないので?」
博士の醒めた態度に違和感があった。
自分の娘が頑張っている――プロの一員として働いている姿に興味は無いのだろうか?
画面の中にいる博士は、顔色1つ変えずに問いに応じる。
「専門家ではあるけど、パイロットではない。『餅は餅屋』と言うでしょう?」
「……モチ? ああ、ライスケーキのことですか……」
東洋のことわざだというのは知っている。
端的に、娘には興味が無いと言っているのと変わらない。
「確かに、ヒカリがあの機体をどう操るのかは興味があります。しかし、それは我々の施設にある訓練映像で山ほど見てきました」
博士は淡々と続ける。
まるで、自分の娘のことを他人事のように話している。画面に映っている博士の表情は仮面のように思えた。
「それに――中佐の言ったように、仮想空間上の模擬戦では実際の戦場と大きくかけ離れた結果になるのでしょう? それでは意味がありません――」
「そうかもしれませんが……」
博士の提唱する理論を実証するためなのか、自分が作り上げた機体を完成させるためなのか、もしくはその双方なのだろうか。
血の繋がった娘を戦場に放り込む親の心理を解析したビジネス書があるというなら、今すぐに取り寄せたいくらいだ。
――どうしても、娘を実戦に参加させたいのね……
「では、ヒカリとルクスをよろしくお願いします――」
博士はそう言うと、通信を切断した。
モニターの配置を直し、時刻を確認する。あと数刻で模擬戦が始まる予定だ。
「――状況開始、各班は所定の配置に展開。観測班は空域の情報収集に当たれ」
オペレーターの指示と共に、ブリッジに適度な緊張感がもたらされる。
各セクションとのやりとり、周辺の友軍への通達、最終確認事項、そういった定常作業が進む。
「――エックスレイ2、状況はどうか?」
女性オペレーターがストライカーチームへのサポートを始める。
『こちらエックスレイ2、ユーリだ。準備はできている』
素っ気ない、いつもの軍曹の声が聞こえた。
モニターの位置を直しながら、コクピット内に収まる彼の姿を見る。
ゲイツ大尉から預かったという特別なヘルメット、真っ黒のパイロットスーツ、コンソールをいじり回している姿は戦闘員の時よりも「らしく」思えた。
やはり、彼は元からパイロットとして生きてきたのだ。
顔を向かい合わせていた時よりも堂々としている彼の視線からは、不安や葛藤というものは微塵も感じられない。
「――艦長、発進許可を」
ユーリ軍曹と通信していた女性オペレーターがこちらに振り向く。
目の前にあるモニターに映っているユーリ軍曹と目が合った気があった。
まるで「負けることは無い」とでも言うかのように、彼は自信に満ちているように見えた。
最新鋭のストライカー、それに対して負ける要素は少しも無い。そう思っているように感じる。
そんな彼が、彼女にどんな『現実』を突きつけるのか――私は、少し期待してしまう。
「許可します」
「――発進、どうぞ」
『エックスレイ2、出るぞ』
轟音と共に、艦内からストライカーが発進する。
青白いスラスターの炎が瞬いて、ユーリ軍曹の機体が飛び去った――
ユーリ軍曹との戦いで、ヒカリは何かを得られるだろうか?
ただ、お互いを理解するための喧嘩ではない。
本当の意味で「空戦」を知る男に、ヒカリは現実を受け入れられるだろうか。
この後の展開がどうなろうと、私は書類にサインをするしかできることが無い。
ヒカリが彼を受け入れ、生き残るために協力してくれることを祈る。
ここから見える空は、広い。
激しく飛び回るストライカーのコクピットでは、空はとても狭いと思っていた。
だからこそ、つまらない思考に手が止まる。トリガーに掛けた指が強張る。
今、この空域は果てしなく広い。
個人的な感情を、誰かにぶつけるにはもってこいな空だ。
雲1つ無い青空を、思う存分飛び回ることが許されている。
私には、そんなことが許されなかったから――
――ヒカリ、あなたには満足できるような戦いをして欲しい。
この模擬戦1回で、何かが変わるとはとてもじゃないが思えない。
だが、それはどうでも良かった。
勝敗は決まっている。それにどう抗うのかを、私は見たかった。
ただ、それだけだ――
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