第43話 雷鳴の継承者
生死が髪一本の差で分かたれる攻防の中、ついにゼウスの肉体に限界が訪れる。
雷霆神は、血のように重い空気をまといながらゆっくりと片膝をつく。
地面がひび割れ、まるで彼の力そのものが大地に吸い取られていくかのようだった。
その瞬間、戦場は息を呑むような静寂に包まれる。
「……ここで終わるか」
「我が手で一人も討ち取ることなく、この場に膝を屈するとは……」
言葉には悔しさが滲む。
しかしその裏には、自らを倒した者たちへの敬意、そして神としての誇りが静かに宿っていた。
ゼウスはゆっくりと顔を上げる。
黄金に輝く瞳は曇ることなく、彼を倒した相手の強さを認めるかのように真っ直ぐに深明と権を見据える。
「若い芽を摘むことが神の行いではないと言ったな……」
低く響く声が、戦場全体に染み渡る。ゼウスの視線には微塵の揺らぎもない。
「敵として剣を交えた者の命を刈ることの、何がいけない? それが我らの時代の理だ、お前たち人間のその価値観――最後まで理解できなかった」
その言葉は、苦悩でも苛立ちでもない。神として、五千年もの間己が歩んできた信念に基づいた、純粋なる疑問だった。
深明は静かに目を伏せ、まるで問いに応える準備を整えるように一息ついた。そして口を開く。
「……貴方の時代には貴方の正義があった、それは否定しません――でも、時代は移り変わり、価値観も変わる、今の私たちには、その正義が受け入れられないだけです」
その声には侮蔑もなく、感情的な非難もない。ただ、時代を超えた者に対する深い敬意と理解があった。
ゼウスは微かに眉を動かす。だが、それ以上の言葉は続かなかった。
彼はただ、ゆっくりと頭を垂れ、残る力を振り絞るように息を整えた。
沈黙を破ったのは権だった。
「トドメを刺す……その方が楽だろう?」
権の声にはわずかな迷いが滲む。
それでも彼は一歩前に踏み出し、構えを取る。
その声には容赦のなさと、同時に迷いを振り払う覚悟が宿っていた。
「せめてもの慈悲だ、イタズラに苦しませるつもりはない」
権が一歩前に進み、正拳突きの構えを取る。その動きには迷いがなく、静かに戦場の緊張が頂点に達する。
彼が全力の拳を放とうとした、その瞬間――
「……お前は、『ゼウスの器』だ」
ゼウスの声が低く響く。権の拳が止まる。
次の瞬間、ゼウスの掌が静かに権の頭頂に触れる。
まるで風が頬を撫でるような優しい動きだった。だが、それは彼の最後の力を込めた、決して避けられぬ一撃だった。
権の脳内に稲妻が走る。
それは痛みではなかった。ゼウスの思考、記憶、感情――五千年もの時を超えて紡がれた存在そのものが、権の内側に流れ込んでいく。
彼の頭の中に現れたのは、雷鳴が轟き、戦場の血と汗が染みついた古代の記憶。
苦悩、喜び、誇り――その全てが鮮烈に刻まれる。
ゼウスは微かに笑みを浮かべ、囁くように言葉を紡いだ。
「お前がどう否定しようとも、それは変わらない……お前は、次の時代の雷霆神だ」
黄金の瞳が静かに閉じられる。
ゼウスの身体が崩れ落ち、戦場には再び静寂が訪れる。
その姿には敗北の影はなく、むしろ次代に力と意志を託した神としての威厳が漂っていた。
心配そうに駆け寄る三人を見て、権は無言で手を挙げ、落ち着けというジェスチャーを送る。
「安心しろ!敵意も害意もねぇよ、ゼウスに、俺を乗っ取ろうなんて気はさらさらない」
そう告げた瞬間、頭の中に低く荘厳な声が響き渡る。
「その通りだ、我にお前を乗っ取るつもりなどない――ただ、この戦場で掴んだ境地――五千年の叡智を、次代に託すためにな」
次の瞬間、権の視界が揺れ、全く別の光景が目の前に広がる。
無数の戦場、雷鳴轟く天空、血と汗で染まった大地。
そこにいるのは、かつてのゼウス――若き日の姿で戦う雷霆神の勇姿だった。
「これが、我が歩んだ歴史だ」
「我が魂の残滓を継承する儀式であり、お前が目にしているのは、ただの記憶ではない」
ゼウスの声が響くたびに、権の中に圧倒的な力と知識が注ぎ込まれる。
それは単なるデータではない。喜び、悲しみ、怒り、誇り――五千年を生きた神の感情と体験そのものだった。
「……お前は、次の時代の雷霆神だ」
ゼウスの言葉は重々しく、それでいてどこか温かかった。
「我が記憶も、体験も、感情も、全てを託そう。この雷鳴が止むとき、新たな雷霆が空を裂く」
その言葉に込められた覚悟が、権の胸に響く。
「それを担うのは、お前自身だ」
声がさらに重みを増し、権の心を深く揺さぶる。
「その後――雷霆神として何を成すかは、お前自身の選択に委ねよう、『ヘラの3番目』よ」
ゼウスの言葉に呼応するかのように、権の全身に力がみなぎる。
そしてゼウスの声が静かに消えた瞬間、目の前の光景が再び現実に戻る。
権は静かに立ち上がり、三人の仲間に目を向ける。
その瞳には、これまで以上に鋭く、そして力強い輝きが宿っていた。
権は、ゼウスの最後の言葉が頭の中に響き渡る中、ゆっくりと立ち上がった。
仲間たちは心配そうに彼を見つめていたが、権は軽く手を挙げて制した。
「……俺の出生の秘密、ゼウスが何を成そうとしていたのか、そしてこれから何を成すべきだったのか――今の『継承』で、全てが見えた気がする」
権は視線を三人に向ける。その瞳はこれまでとは違う。深い決意と、五千年の記憶を背負った者の重みを湛えていた。
「少し感情を整理したいんだ、だから――少しだけ聞いてくれ」
3人は無言で頷いた。
その表情には疑念はなく、ただ権の言葉を受け入れる覚悟があった。
権は静かに息を整え、話し始めた。
「ゼウスには、複数の妻がいた――そして、子供たちはそれぞれの母親の名前と生まれた順番で呼ばれていた」
その言葉に、3人は耳を傾けながら緊張感を漂わせていた。
「俺は『ヘラの三番目の子』だ――知ってたか? ヘラの一番目はアレス、俺達が2番目に戦った幹部だ」
権の声には、ゼウスの記憶を背負う者としての重みがあった。
「戦神としての名を持つ、いわばゼウスが最も期待していた後継者だ」
言葉を区切る。
彼の中でゼウスの記憶が流れ込み、父としてのゼウスの姿を見つめ直していた。
「……アレスは神としての力には優れていたが、人間との共存に興味を持たなかった」
権の言葉には、ゼウスの葛藤が色濃く滲んでいた。
「それどころか、力で人間を支配するべきだという考えを持っていた」
彼は視線を伏せ、ゼウスの苦悩を噛みしめるように続けた。
「その時点で、本当はゼウスは気づいていたんだ。『次の時代の神』はただ強いだけでは務まらないってな」
権は苦い表情を浮かべ、拳を握りしめた。
「ヘラの二番目、ヘラの四番目――全てに期待をかけて、ゼウスは子供たちを見守った」
権の目には、ゼウスの子供たちへの愛情と失望の記憶が宿っていた。
「そして、ついに決めたんだ。『次の代のゼウス』は、ヘラの四番目……ヘラクレスだって」
仲間たちは驚きで目を見開く。
その名が告げる重さが、全員の胸に響いた。
「ヘラクレス……? それじゃ、次のゼウスは……?」
権は頷き、続けた。
「そうだ、ヘラクレスには、ゼウスの人格と、彼自身の人格が共存している」
彼の言葉には、ゼウスの記憶と意志が込められていた。
「だが、ただの『力の象徴』じゃない」
権は静かに視線を上げ、仲間たちを見据えた。
「ゼウスが最後に決めたのは、オリュンポスの方向性だ」
その声には、神と人間を繋ぐ使命の重さが宿っていた。
「『人間との共存』――それが次代の神の使命だ」
権の声には静かな力強さが宿る。
「……俺は『ヘラの三番目』として生まれたが、ゼウスにとって俺は『次のゼウス』の橋渡し役だったんだ」
彼の目には、一瞬の迷いもなく覚悟が宿っていた。
「俺はもう役目を終えた」
その言葉には、自らの運命を全うした者の静かな誇りが込められていた。
「これからは、ヘラクレスがオリュンポスを導く、人間も神も、同じ未来を歩むために」
彼の言葉に、仲間たちは神妙な面持ちで頷く。
静寂の中に、彼らの決意が滲み出る。
権は最後に軽く笑った。
「……だからさ、俺たちは俺たちで、人間の世界を守るために動こうぜ。神に頼らずにな」
その言葉には、人間としての強い意志と決意が込められていた。
「だから遂に名前を与えられなかった、『名無しの権兵衛』である俺に、皆で力を貸してくれ」
彼の視線は仲間たち一人一人を見つめ、その目には確固たる信念が宿っていた。
そう言って、彼は一歩踏み出した。
稲妻のような決意を胸に秘めながら。
3人は、力強く頷いた。
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