第37話 朽ちぬ雷霆
ゼウスは、かつての神々しい威厳を失い、ボロボロの姿で膝をついていた。
その肌は焦げ、痛々しくひび割れ、衣服はほとんど剥がれ落ち、無惨な姿を晒している。
だが、そこに見えるのは衰弱した神の姿ではなく、なおもその瞳に宿る怒りと冷徹さ、そして揺るぎない誇りだった。
「『ケラウノス』を返されるとは……雷霆神として、まさかこんな有様になるとはな」
ゼウスの声は低く、地鳴りのように響く。
だがその中には、苦痛をこらえる力強さと、自らの誇りを守り抜こうとする強烈な意志がこもっていた。
「発電ができぬ……放電も、超筋力も、高速移動も、まるで失われたかのようだ」
彼は冷静に己の状況を分析し、無力感と悔しさが入り混じった。
しかし、ゼウスはその目を鋭く細め、意を決する。
「だが、諦める訳にはいかぬ」
その言葉には、神々の王としての意地が込められていた。
「お前達を放っておけば、『次のオリュンポス』の脅威となるだろう」
言葉が、雷鳴と共に空間を震わせる。
ゼウスの内には、ただの神ではない、五千年を超えてその名を馳せてきた存在としての誇りが息づいている。
彼はゆっくりと立ち上がり、痛みに歯を食いしばりながらも、冷徹な視線を前に向ける。
「我が五千年間、鍛え上げてきた『パンクラチオン』の技で、お前達の『達人の境地』とやらに追いついてやる」
その言葉は、ただの挑戦ではない。
ゼウスの全てを賭けた覚悟の証だ。
ゼウスの心に宿るのは、神々の王としての矜持であり、彼の存在を決して崩すことは許されないという強い意志だった。
その姿勢こそが、神々の誇りをかけた戦いへの決意を示していた。
「ゼウスの身体はもうボロボロで、致命傷だ――戦わずとも、逃げれば――」
正一がそう呟いた瞬間、その声を遮るように鉄貴が低く叱りつけた。
「バカ野郎!」
彼の声は、重く響き渡った。
緊張が空気を支配し、全員の心臓が一瞬だけ強く跳ねる。
「手負いの獣が一番怖いんだ!
背を向けた瞬間、喉を裂かれるぞ!」
その言葉には、これまで幾度も死地を潜り抜けてきた者だけが持つ確信が込められていた。
鉄貴の目はゼウスを捉えたまま、微動だにしない。神々の王たる存在の本質を見据える、その眼力が語っていた。
視界には無数の白い線――ゼウスの攻撃の軌跡が残像のように浮かび上がっている。
それは高速移動や放電が失われた今でも、彼が間合いに入る者すべてを仕留める力を持つことの証だった。
ゼウスは微かに笑みを浮かべながら、低く響く声で言葉を放った。
「お前たちも『ケラウノス』を跳ね返したダメージを抱えているだろう――肉体は限界に近づき、戦意すら鈍り始めているのではないか?」
彼の言葉は正確で冷酷だった。
敵を見下すのではなく、冷静に分析し、圧倒的な自信を裏付けるような余裕があった。
ゼウスの黄金の瞳は深い宇宙のように輝き、圧倒的な威圧感を放っている。
「4対1――確かに数の上では不利かもしれぬ」
ゼウスは静かに言葉を紡ぐ。その声音には、神としての威厳と冷静さが宿っていた。
「しかし、勝てぬ道理はない」
その言葉に続けて、ゼウスはわずかに微笑んだ。
それは自信とも、あるいは挑発とも取れる仕草だった。
「ましてや、ここで果てようとも、せめて一人でも多くを道連れにしてやろう」
その声には、神としての覚悟が染み渡っていた。
ゼウスは敗北を恐れていない。
それどころか、自らの滅びすらも『次のオリュンポス』のための礎と見なしていた。
その姿には、彼の信念と不屈の意志が映し出されていた。
ゆっくりとゼウスは腰を落とす。その構えは、ただの戦闘準備ではなかった。
打撃、投げ技、関節技、そしてあらゆる攻撃に対応可能な万能の体勢――五千年を超える戦いの歴史で培われた、雷霆神としての究極の構えだった。
彼の全身からは未だに僅かな稲妻が走り、周囲の空間を焦がしている。
その姿は傷つき、朽ちかけているように見えても、なお圧倒的な存在感を放ち、周囲の者たちを恐怖と緊張で縛りつける。
「さあ、来い!この雷霆神ゼウスが、お前たちの覚悟と力を試してやろう」
低く唸るような声と共に、ゼウスの体勢がさらに引き締まり、その一挙一動がまるで嵐の前触れのように見えた。
全員が息を呑む中、鉄貴だけが小さく呟いた。
「見誤るなよ……こいつはまだ、神だ」
その言葉が、場の緊張をさらに引き締め、次の瞬間の激突を予感させていた。
最初に動いたのは権だった。
疲労の中で研ぎ澄まされた「不可避の拳」がゼウスを襲う。その速度は十分なものであり、誰もがゼウスを打ち抜けると確信した。
しかし、ゼウスの動きはそれを覆す。
以前より遅い――いや、もしかしたら並みの人間よりも遅いかもしれない。
それでも、その遅さで権の拳を正確にガードする。
しかし、その腕越しに響いた衝撃には確かな手応えがあった。
権は「浸透勁」を織り交ぜていたのだ。
だがゼウスは止まらない。
拳を受け止めたその瞬間、逆の手で権に拳を繰り出した。
その動きは明らかに権の「不可避の拳」を模倣したものだった。
「……真似たのか!」
驚愕する間もなく、達人の眼には再び白い線が浮かび上がる。
それを完全に避けることはできないと判断した権は、冷静に左腕を差し込んでガードする。
ガードの上からでも響くその一撃。
ゼウスの力はかつての神としての圧倒的なものではなくなっていたが、それでもなおアポロンを上回る衝撃だった。
権は膝をつき、歯を食いしばって耐えた。
ゼウスの追撃を防ぐべく、正一が動く。
彼は権を守るため、肩への関節技を仕掛けた。
その狙いは的確だったが、ゼウスは一瞬で関節が極まる前に脱出する。
「さすがだな……だが甘い」
ゼウスは返し技で正一の肩を極めにかかる。
その動きには無駄がなく、戦いの中で培われた技術が如実に表れていた。
「正一!」
深明が間髪入れずにゼウスの動きに割り込む。
彼はゼウスの力の流れを読み取り、最小限の力でゼウスを投げた。
だが、ゼウスは驚異的な反射神経で即座に受け身を取り、その衝撃を最小限に抑える。
それどころか、深明の力の流れを逆に読み取り、投げ返したのだ。
「これは……!」
深明が地面に叩きつけられる瞬間、全員がゼウスの恐ろしさを再認識する。
ゼウスはただ模倣するだけではなかった。
相手の技を分析し、次の瞬間にはそれを超えてくる。
その姿はボロボロの身体でありながら、なお「神」としての威厳と脅威を失っていなかった。
達人たちの間に、冷たい汗が流れる。
ゼウスはまだ戦いを終わらせるつもりはないのだ――それが全員に明確に伝わってきた。
「不思議な気持ちだ」
ゼウスはわずかに微笑み、黄金の瞳で達人たちを見据えた。
「このような状況まで追い詰められていながら、お前たちに感謝している」
その言葉には、皮肉や嘲笑の類は感じられなかった。
ゼウスの声は真摯で、むしろ誇り高い響きを含んでいた。
「お前たちの技が、我がパンクラチオンをさらに進化させたのだから」
ゼウスの声は静かで、それでいて圧倒的な威圧感を帯びていた。
その姿はボロボロのはずなのに、神としての威厳を微塵も損なっていない。
その場の空気が、再び張り詰める。
その言葉に、鉄貴の眉がわずかに動く。
感謝の言葉――だが、その裏に潜む意図を見逃すほど甘くはない。
(……油断させるつもりか?)
鉄貴は心中でそう呟くと同時に、一歩踏み込むようにゼウスに間合いを詰めた。
(さあ、どう出る?)
その動きは巧妙だった。
わずかに空いた隙を演出し、ゼウスの攻撃を誘う。
鉄貴の狙いは明確だった――ゼウスを無力化し、完全に封じること。
ゼウスは一瞬の逡巡すら見せず、その誘いに応じた。
その瞬間、彼の拳が空間を切り裂く――『不可避の拳』だ。
鉄貴は冷静だった。その拳が放つ圧倒的な威力を最小限の力で受け流す。
そして、同時に体を流れるように回転させ、体勢を崩したゼウスに対して正確無比なカウンターの蹴りを叩き込もうとする。
だが、ゼウスはその一瞬の隙さえも逃さなかった。
体勢が崩れた状態でありながら、鉄貴が見せた『捌き』の技を完全に模倣し、その蹴りを最小限の動きで受け流したのだ。
「……これも模倣しただと?」
鉄貴は目を見開く。
わずか数瞬で、ゼウスは自らが受けた技を取り込み、それを己のものとして昇華していた。
ゼウスは静かに微笑む。
だが、その微笑みには、神としての尊大さではなく、達人としての純粋な喜びが込められていた。
「そうか……これがお前たち達人の境地か」
ゼウスは一歩前に進みながら、その瞳を細めた。
「敵に感謝し、敵をも愛するという心」
その言葉を口にするゼウスの表情は、どこか穏やかであった。
これまでの神としての冷酷さが消え、純粋な悟りの光が宿っていた。
「五千年間争い続けて、私は初めてそのような気持ちに至った」
その声には偽りがなかった。
長きにわたり力と破壊で支配してきた神が、今ここにきてようやく到達した境地――それは、人間の『達人』としての精神だった。
静寂が場を包む中、ゼウスの姿は威厳を保ちながらも、どこか儚げに見えた。
ゼウスの目には、次第に浮かび上がる白い線がはっきりと見え始めていた。
それは、相手の次の攻撃を示す『警告線』。
達人の境地に至った者のみが見ることのできる世界だった。
「見える……お前たちの攻撃の軌跡が――この力、これほどまでに研ぎ澄まされた戦闘の感覚……これこそが、お前たち人間が築き上げた到達点なのか」
ゼウスの声は、どこか満ち足りたものだった。
だが、それは同時に敵としての圧倒的な脅威を意味していた。
今ここで、神はさらに強さを増している。
鉄貴が息を呑む。
ゼウスの背後に漂う空気が変わったのを感じ取ったのだ。
たとえ身体が傷ついても、力を失っても、その意志と技はなお進化を続ける。
「次は誰が来る?」
ゼウスは静かに構えを取り直し、黄金の瞳を光らせる。
その一挙一動はまるで嵐の中心――何もかもを破壊する力を秘めながら、それ自体が美しさすら感じさせるほどの完璧さだった。
戦士たちは無意識のうちに緊張を高め、次の一瞬に備えた。ゼウスはただの手負いの獣ではなかった。
今や彼は、雷霆神の名にふさわしい進化を遂げた存在となっていたのだ。
(続く)
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