第21話 戦場の悟り
「正一ちゃん、ありがとう。そして、アポロンさん、貴方を助ける。」
権は、歩いて近付きながら、静かに語る。
「僕を助ける? あのカウンターを受けて立ち上がる、そのタフネスにも驚いたが……」
アポロンの目が微かに見開かれる。
その表情には戸惑いと、信じがたい言葉を耳にした警戒が滲んでいる。
「敵である僕を助けるなんて、そんな妄言を吐ける余裕があるとは……」
アポロンは、本気で驚いた顔をしている。
「だが、それだけだ。アジアのブッディズムを気取って、悟ったような事を言っても、人は急に強くなれやしない。強さを支えるのは、信念と、長年積み重ねた鍛錬だけだ!」
アポロンは、そう言って権の言葉を吐き捨てる。
「いーや、助ける!」
権は拳を握りしめながら、声に力を込めた。
「アポロン、あんたはゼウスの与える恐怖に縛られ、本来の優しさを切り捨ててしまった悲しい人だ。」
一瞬の沈黙。権の表情に哀しみが浮かぶ。
「だから、『ゼウスの器』としての力は使わない。ゼウスの強さに頼れば、貴方に勝つことはできても、救うことはできないからだ。」
権は、悲しみに対抗するように大きな声を出した。
「『ゼウスの器』としての力を……使わない?」
アポロンはわずかに首を傾げ、言葉を噛みしめるように繰り返した。
その目には戸惑いではなく、どこか嘲るような光が浮かんでいる。
「先程私が否定したのは、力の運用方法が雑なことだ。」
一拍置き、軽く息を吐きながら続ける。
「だが、『ゼウスの器』の力を引き出して戦う選択自体は、実に合理的だったとさえ思っている。」
声色には微かな余裕が混じり、まるで子供を諭すような響きがあった。
アポロンは一歩前に踏み出し、権の目をまっすぐに見据える。
「もし私が君たちの立場でも、まずは『ゼウスの器』としての力を引き出し、徹底的にそれを制御することに専心しただろう!」
最後の一言には、抑えきれない激情がにじむ。
自らの言葉に内心で納得しながらも、目の前の相手がそれを理解しないことに苛立ちを覚えたのだ。
アポロンの拳が権と正一に飛ぶ。
先程の連携攻撃をものともしなかった相手の拳は、今回は遥かに軽い。
しかし、二人の体には重く響いた。
「くっ……」
権は身体を引き、正一とともに距離を取る。だが、その足取りは僅かにふらついていた。
「ほら見たことか!」
アポロンは冷笑を浮かべた。
「受けた身体のダメージが、あの短時間で癒えているはずがない。」
アポロンは冷たく見下ろしながら言葉を続ける。
その表情には、どこか余裕すら感じられた。
「君が寝ている間に、相棒の正一君の体力も削らせてもらった。
そんな状態で、今の君に何ができると言うんだ?」
「できることしか、できないし……やらないさ。」
権はふっと小さく息を吐き、相手の挑発を受け流すように答えた。
その声には、どこか穏やかささえ漂っている。
「アンタの言う通り、人は急に強くなれやしない。」
そう言って、権は拳を軽く握り直した。
その動作は、どこか決意を固めるようなものだった。
「俺の『ゼウスの器』としての力は、例外的なものだ。培ってきた信念と鍛錬だけが、本当の強さを裏付ける。」
その瞬間、権と正一は互いを一瞥し、無言の了解を交わした。
どちらからともなく、同時に正中線に手刀を置く。
山中流の基本構えだ。
静寂が一瞬訪れる。
その中で二人の心が一つに繋がったかのように感じられた。
「今、自分で何を言ってるのか分かってるかい?」
アポロンの声が静けさを切り裂く。
その目には不敵な光が宿っている。
「それは、自分たちには勝ち目がないって言ってるのと同じだと思うんだけど!」
次の瞬間、アポロンがジャブを繰り出す。
その動きは鋭い。
だが手応えが軽い。
防御力に特化した古代ギリシャボクシングのスタイル__だが、いくら何でも軽すぎる。
「まずは、培った技術を信じること。」
権の低い声が空気を震わせた。
ジャブが迫る瞬間、権と正一は絶妙なタイミングで動いた。
重心をわずかに後方に移動させ、打撃の威力を受け流す。
これは深明や鉄貴から繰り返し叩き込まれた技だ。
名を
完璧ではない。しかし、二人はこの技を自分たちなりに習得していた。
その動きはまるで、師たちの背中を追いかける弟子のように、真摯で力強かった。
「なるほどね。」
アポロンは軽く顎を引き、少し感心したように目を細めた。
「でもその技はもう見た。タイミングをいつまで合わせ続けられるかな?」
再びジャブの連打が飛んでくる。
前よりも速く、鋭い。
「次に、磨いてきた心を信じること。」
正一の声が響く。冷静で凛とした響きだった。
二人は役割を入れ替え、片方が
その連携は互いを深く信頼しているからこそ可能だった。長年の経験が彼らの息をぴったりと合わせている。
「ほほう、良い連携だ。」
アポロンは余裕の笑みを浮かべたが、その目は鋭さを失っていない。
「我々オリュンポスの幹部たちに足りないものだね。その点は評価を改めさせてもらおう。」
感心したように話すアポロンだが、その構えは崩れない。
鋭い反撃も、彼の鉄壁の防御を貫くには至らない。
「最後に、鍛えた身体を信じること!」
権は叫びながら、さらなる一歩を踏み込んだ。
次の瞬間、アポロンの前蹴りが権を捉えた。
完璧でない
だが、鍛え上げた肉体がその衝撃を受け止めきる。
権は踏みとどまった。
「即ち心技体!」
権と正一は声を合わせて言った。
まるで打ち合わせていたかのように、息がぴったりと揃っている。
「これをバランスよく揃えて初めて、『敵を愛する』奥義は完成する!」
その言葉に、アポロンの眉が微かに動いた。
「敵を愛する、か。」
彼は肩をすくめるようにしながら、興味深そうに言った。
「まるでブッディズムのゼン問答だね。矛盾したことを話しているように聞こえるけど?」
彼の声には疑念と好奇心が入り混じっている。
その視線を受けながらも、権と正一は構えを崩さず微動だにしない。
「だが、ヘルメスが言っていた。『我々雷人に無い強さ』がその奥義にあるとすれば、納得は行く。」
アポロンの声が低くなる。
「君たちを屠った後、その秘密を幹部会議で報告させてもらおう。」
その言葉と同時に、アポロンの前蹴りが権を狙う。
続けざまに前ジャブを繰り出し、間合いを一気に詰める。
だが、横から正一が割り込み、アポロンの動きを阻んだ。
正一の攻撃は、アポロンが最も防御に困るタイミングを的確に狙っている。
その一撃がダメージを与えることはなかったが、攻撃のリズムを崩され、わずかに焦りの色がアポロンの顔をよぎる。
「敵を愛するという矛盾が達成できれば、相手の身体も自分の身体のように感じる……のか?」
アポロンは苛立ちを押し隠しながら問うた。
「それで、私の動きが読めているとでも?」
正一が冷静に頷く。
「その認識で合っていますよ。理解していないと言った割には、かなり核心を突いていますね。」
その言葉に、アポロンの眉がわずかに動く。
「権ちゃん、古代ギリシャのボクシングスタイルには欠点があります。」
正一が素早く続けた。
「防御と回避に特化したために攻撃力が低いこと。そして、相手にトドメを刺す攻撃は、必ず重心の乗った後ろ足か後ろの手から繰り出すしかないこと。」
正一は戦いの中で掴んだ分析を口に出す。
「つまり攻略法は2つ! 1つ目は、軽い攻撃を我慢して無理やり懐に潜り込むこと。 2つ目は、トドメを刺そうとした後ろ足や後ろの手の動きを逆に利用し、カウンターを叩き込むことです。」
彼の声には確信があった。
「特に2つ目なら、未だ無傷のアポロンでも、一撃で倒せる威力が期待できます。」
権は正一に軽く頷き、短く礼を言った。
「ありがとう、正一。それだけ分かれば十分だ。」
今は目の前の敵に集中するべきだ。
礼は後で言えばいい。
「よく分析できたな。一言一句、その通りだ。」
アポロンが皮肉を込めた笑みを浮かべる。
「だが、その弱点は当然私も認識している。」
彼は攻撃を続けながら語る。
「だから戦いの前半では、攻撃的な現代ボクシングの技術で君たちを削ったんだ。」
アポロンの動きはフェイントを織り交ぜ、
その試みは功を奏しつつあった。
権と正一の体力はじわじわと削られ、動きが鈍り始める。
「1つ目の方法は、今の君たちのダメージでは不可能だ。 そして2つ目の対策は簡単だ。トドメを刺す時、君たちがカウンターを放てないほど痛めつけてから攻撃を仕掛ければいい。」
冷たい笑みを浮かべたアポロンが、手を緩めることなく攻撃を重ねる。
その中で、ふと心に刺さる棘のような違和感が彼をかすめた。
「……。」
だが、それを振り払うように、彼は目の前の敵を叩き続ける。
まるで作業のように、冷徹に。
権と正一は、膝をつき、荒い息を吐いていた。
その姿は、誰の目にも敗北寸前のように見える。
だが、その目には消えない炎が宿っている。
最早、闘志だけだ。
アポロンの目にはそう映った。
(……罠か?)
合理的な思考が頭を巡る。
弱ったふりをして自分を誘っているのかもしれない。
慎重にいくべきだ――そんな考えが浮かぶ一方で、別の感情が湧き上がる。
(もう、終わらせてやるべきだ……)
子供だから可哀想だという同情か、それとも早くこの戦いを終わらせたい焦りか。
自分でも分からないまま、身体が動いた。
熟練の技による後ろ手からの一撃。
トドメを刺すための最速で最適な動作だった。
だが、それが――
「そこだ!」
権と正一の声が同時に響き渡る。
アポロンの拳が振り下ろされるその瞬間、2人は一斉に動いた。
「弱った」姿は完全な擬態。
アポロンの一瞬の判断ミスを見逃さなかった。
2人の連携は見事だった。
正一がアポロンの腕を払い、権がその身体を捉える。
彼らは同時に力を込めてアポロンを投げ飛ばした。
アポロン自身の攻撃力に2人の力が加わり、その衝撃は凄まじかった。
彼は肺から息を全て吐き出し、地面に叩きつけられる。
「がはっ……」
立ち上がろうとするが、力が入らない。
痛みが全身を走り、呼吸すらままならない。
「……な、ぜだ……」
かすれた声で問いかける。自分でも分からなかった。
「なぜ……私は……攻撃を……」
正一が静かに答える。
「簡単なことですよ。あなたは優しすぎた。早く終わらせてやりたいという心が、行動を決定させたんです。」
アポロンの瞳がかすかに揺れる。
「『敵を愛する心』が、そう教えてくれたんです。」
正一の言葉は穏やかだが、確信に満ちていた。
権がそれに続く。
「言ったろ。アンタを助けるって。心と行動が最初から矛盾してたんだよ。『心』が足りなかったんだ。その優しさ、使い方次第でアンタはもっと強くなれる。」
権は静かにアポロンに語りかけた。
「なあ、アポロンさん。ゼウスに縛られず、自分の心に従ってみないか?」
その言葉が届いたのかどうか。
アポロンの瞳が閉じられる。
意識を手放した彼の顔には、どこか穏やかさが漂っていた。
(続く)
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