第2話 信頼の黄色



「本当に申し訳ございません!」


 頭が膝に付くんじゃないかと言わんばかりの勢いで頭を下げる。

 新しい案件の作業の途中でクライアントとの連絡の入れ違いがあり、素っ頓狂なデザインのデータを送ってしまったのだ。

 ここの所残業が続き注意力が散漫になっていたのだろう。

 普段から窮屈な服装を嫌う俺だが、さすがに今日はスーツに腕を通した。


「いや、こっちも確認不足な所があったから。秋本さんの所為じゃないよ」

「いえ!こちらの確認ミスです。早急に変更します」


 事の発端は昨晩、残業がてらメールの整理をしていた時に発覚した。

 まだ納品まで行っていなかったのが救いだ。


「はぁ…やっちまった……」


 謝罪を終え再度打ち合わせの日程を組んでクライアントの会社を後にする。

 炎天下の中着慣れないスタイルで気分は更に落ち込む。

 上司に連絡し、夕方なのもあり今日は帰ってもいいよと言われたが俺の腑に落ちない。


「会社に戻るかー。ん?」


 駅の改札を通ろうとした時、向こう側から見知った顔が現れた。


「あっ、秋本さん」

「白井さんじゃん」


 先日アルバイトでうちに入った白井さんだ。


「白井さんって家こっちなの?」

「いえ、本屋に寄ろうと思って。私の家の近くに本屋無いので」

「あー。なるほどね」


 青黒い薄手のワンピースをひらひらさせながら話す白井さんを見て、俺は思った。


 今日は何色の下着なのだろうか。


 下心満載の考えが過ぎり、やはり疲れてるなと自覚する。

 年下の女の子にそんな風に見るな馬鹿。いや年上でも駄目だけど。


「秋本さんは今帰りですか?」

「そうそう。これから会社に戻って仕事しようかと」

「え?これからですか!?」

「そ、そうだけど?」


 驚きながら距離を詰めてきた白井さんに驚き1歩後ろへ。


「秋本さん、昨日も残業してましたよね?」

「うん」

「一昨日もしてましたよね?」

「なんなら泊まったな」

「……はぁぁぁ」


 深い溜め息をつかれてしまった。


「秋本さん、お昼ご飯食べましたか?」

「そう言えば食べてないな。それどころじゃなかったし」


 よく考えると、ここ最近は嬉しい事に適度に忙しかった。

 小柳はもちろん営業の人達が頑張ってくれてるおかげでデザイナーチームはてんてこ舞いなのだ。

 10秒チャージする暇も無い。


「忙しいのは分かりますけど、ちゃんと食べないとそのうち倒れますよ?」

「大丈夫だって。4日間無食無眠もした事もあるし」


 あの時は本当に辛かった。時間無制限でレスポンスの早いクライアントだったので確認用データを送ってはすぐに修正を依頼されていた。

 しかも細部までこだわりを持つ人だったので時間もかかるかかる。


「はぁぁぁ……」


 また溜め息をつかれた。


「秋本さん、これからご飯行きましょう」

「え?今から?」


 時間は20時を回ってすぐ。夕飯には丁度いい時間だがそれよりも早く仕事を終わらせたい気持ちが強い。


「せっかくのお誘いだけど、もう行──」

「はい、行きますよ」

「え?ちょ、ちょっと!?」


 白井さんに腕を掴まれ無理矢理連行される。

 今日の白井さんなんか変じゃない?




 時間帯も相まってかお酒が進んで酔いが回っているお客さんが沢山いる。

 白井さんに連れてこられたのは駅から歩いて5分くらいの距離にあるダーツバーだ。


「ほい、オムライス2つお待たせ」

「ありがとうございます!」


 ご飯と言われ想像したのはファミレスだったのだが、まさかのダーツバー。

 そしてレストラン顔負けのふわっふわな卵が乗ってあるオムライスが出てくるとは想像もつかなかった。

 ん、美味い。俺好みのバターライスだ。


「ここにはよく来るの?」

「はい。ここ私の親戚のおじさんが経営してるんですよ。今はいないんですけど」

「なるほどね」


 その後はオムライスの美味しさに言葉が止まる。

 喋るよりこの美味しさに1秒でも長く浸りたかった。


「ご馳走様でした」

「はい、お粗末様でした」


 白井さんが作った訳でも無いのになんでこんなに嬉しそうな表情をしているのだろうか。

 オムライスだけではお店に申し訳ないと思い飲み物も注文する。


「すみません、コーラを1つ」

「飲まないんですか?」


 白井さんの少し驚いた声が耳に入る。

 なるほど、そう言う魂胆か。


「だから、戻って仕事するんだって。今は飯を食いに来ただけ」

「1杯くらい問題無いですよ。あ、私はいつものください」


 注文の仕方を見て、この店にかなりの頻度で来ているのが大体分かる。

 常連でもないとこの言い方は出来ない。

 

「はい、コーラとラフロイグのロックね。チェイサーは?」

「いらないです」


 可愛らしい見た目に反して度数の高いウィスキーを注文する白井さん。

 なんちゅーもん注文してんだこの小娘は。しかもチェイサー無しかよ。


「ほい、お疲れ様」


 乾杯しようとグラスを向けるが、白井さんはそっぽを向く。


「あれ?」

「私、お酒はお酒で乾杯する人なんです」


 そう言って再びぷいっと顔を逸らす。

 何この子めんどくさっ!!


「いや、だからこれから──」

「伊藤さんから秋本さん飲める人って聞いたんですけどねー」


 先輩!ちゃっかり変な事言ってんじゃねぇ!


「あーあ。せっかくのお酒がぬるくなっちゃいますねー」


 ……なんか、ムカついてきた。


 そう思った時には既にグラスに口を付けていた。


「……彼女と同じの」

「かしこまりました。チェイサーは?」

「いらん」


 炭酸を一気に飲む事があまり無かったので噎せそうになったが、空いたグラスを店員に渡す。


「さすが秋本さん」

「言っとくが1杯だけだからな。明日遅刻したくないし」

「何言ってるんですか?明日休みですよ?」

「……あっ」


 思い返すと、今日は金曜日。

 残業続きの1週間は曜日感覚を狂わすのか。


「ふふっ」


 小さく笑った白井さんがグラスを差し出してくる。

 

「今週もお疲れ様でした」

「お疲れさん」


 静かに乾杯し、ウィスキー独特な香りを堪能した。




 今の状況で時間が経てば多少の個人差はあるが当然飲む量に比例して酔いは回るものだ。


「だからァ、私言ってやったんですよォ」

「そうかそうか」


 白井さん、酔っ払っております。

 頬がほんのり赤くなり目は虚ろ。呂律は辛うじて機能している状態に。


「聞いてるんですが秋本さァん」

「聞いてんぞ。もう耳にタコができるくらい」

「耳から蛸?」

「軟体生物が耳から出て来たら事件だわ」


 飲むの物が物だったので白井さんはいける口かと思っていたが、とんだ勘違いのようだ。

 同じ物を2杯飲んで完全体になってしまった。


「どこに蛸がいるんですかァ?」

「ちょっ!?近い近い!」


 俺の耳を覗き込もうと白井さんはかなりくっ付いて来た。

 当たってますよお嬢さん。夢が詰まった2つの希望が。


「いないじゃないですかァ」

「痛い痛い痛い!」


 意外と大きいなと思っていると急に耳を引っ張られる。


「アハハハハ!秋本さん面白ォい」

「今のどこが面白いってんだ。トイレ行ってくる」


 さすがに俺もペースが早かったのだろう、酔っ払い時特有の尿意を催す。

 トイレに入り、済ますことを済ませた俺は手を洗いながら鏡を見る。


「……酷ぇつら


 目の下のくまが最近の疲れが思った以上に溜まってると彷彿させる。


「さてと、そろそろお開きにしますか」


  夕方から来ていると考えるとずいぶんと腰を下ろしていたようだ。

 明日が休みとは言え飲み過ぎは得を生まない。


「……あちゃー」


 トイレから戻ると、席で突っ伏して小さく寝息を立てている白井さん。

 どうやら寝てしまったようだ。


「白井さん、帰るぞ。起きて」

「ん…んんぅ……」

「駄目だこりゃ」


 肩を揺するが起きる素振りは無い。

 さて、困った。


「すいません、一旦お会計で」

「あいよ。ナツちゃんはどうするの?」


 店員さんにあだ名で呼ばれる程かと思いながら諭吉を2枚渡す。


「このままにしときますよ。外で寝られるよりマシなので」

「お、意外だね。普通ならお持ち帰りだぞ?」


 お釣りを貰い配布にしまって椅子にかけていた上着を白井さんにかける。


「会社の部下なのでそんな事しませんよ」

「しかし、ナツちゃんがあんなに飲むのは久しぶりだな」


 グラスを洗っているのだろう、店員は目線を下にしながら呟く。


「いつもこうじゃないんですか?」

「まさか。いつもは飯か店長メインで来てるからな。飲むのはたまに」

「へー」


 起きる気配が無い白井さんを少し見ると、何とも幸せそうな顔で寝ている。


「それに、ナツちゃんが知り合いと来るなんて初めてだったし」

「え?そうなんですか?」

「あぁ。ここは隠れスポットなんだと。だから本当に信頼出来る人しか連れて来ませんって店長に言ってたんだ」


 彼女と出会って日が浅いのにも関わらず、どうして俺に紹介したのか。

 俺が疲れていたからなのか、本当に信頼しているのか。

 それは白井さんにしか分からない。


「せっかくなんだし、ナツちゃんが起きるまでいてやってくれ。テーブルチャージはサービスしてやるよ」

「そんな。お構いなく」


 そこまでされる事はしていないので申し訳なさを感じる。

 俺はただ白井さんに連れて来てもらっただけなのだから。


「信頼出来る……ねぇ」


 そんな事言って貰える程の事はしていない。

 ただ仕事を教えているだけだ。

 それなのに、だ。


 寝ている白井さんの頬を突くと、白井さんは眉間に皺を寄せた。




 白井さんが起きるまで店員さんと話しながら飲んでいるが、彼女は一向に起きない。

 時間は間もなく24時を回る。


「おーい、そろそろ起きろー」

「……あれ?秋本さんが2人いる…」


 寝ぼけてるなこの子。


「俺は忍者じゃないぞ」

「……いま何時ですか?」

「土曜日になったところだ」

「………帰るのめんどくさいです」


 何を言ってるんだこの子は。


「はいはい、会計は済んでるから帰るぞ」

「……秋本さん」

「なに?」


 むくりと起き上がり、まだ目が虚ろな白井さんは俺を見る。


「泊めてください」

「…………はい?」

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この案件、ラブコメですか? 一二三つ @hitohusa_mittu

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