第1話 努力の青
仕事終わりのサラリーマンや大学生で賑わう居酒屋で俺と伊藤先輩は週初め恒例のサシ飲みをしていた。
「なんで俺なんすか?いつもなら先輩が請け負ってたじゃないっすか?」
「俺は新しい案件が何個か始まるから、それを見越してお前にしたんだろ」
「中途の俺に?冗談っすよね?」
お通しの枝豆を頬張りながら愚痴をこぼす。
「先輩って呼ばれるんだぞ?良いじゃないか」
「そんなの全然嬉しくないっすよ」
俺が入社してから何人か後輩が出来たが、先輩らしい事も出来ずに全員すぐに辞めて行った。
雇用形態がどうあれ久しぶりの後輩にどう接すれば良いか分からず俺は葛藤していた。
「しかもよりによって女の子って…余計やりずらいっすよ…」
「なんでだ?あんな可愛い子がいつも近くにいて良いじゃないか」
「確かに可愛いっすけど……」
俺は年下が苦手なのだ。
26歳のアラサーの俺と若々しい21歳のアルバイト。
どう考えたってジェネレーションギャップが激しい。
「ところで、アルバイトの子はどうだった?」
「どうって言われても……」
伊藤先輩の質問を聞いて俺は今日1日の事を振り返る。
「えっと…白井さん、だっけ?」
「はい!白井夏希です」
「俺は秋本圭太。よろしくね。座って座って」
さて、どうしたものか。
オドオドと周りをキョロキョロしている白井さんを見て俺は不安になる。
「とりあえずなんだけど、白井さんってデザイン業をどこまで知ってる?」
「デザイン専攻してたのである程度の事は分かります」
「あ、そうなんだ。じゃあ入稿までの進め方とかは大丈夫そう?」
「はい!あ、でも仕事でやるのは初めてなので不安の方が大きいです」
「そこは俺も一緒にやるから問題無いよ。じゃあ早速なんだけど午後までにラフ案を何個か考えてもらえるかな?俺11時にミーティング入ってるんだ」
とりあえず白井さんのデザイン性と創造力を計る為に簡単な作業を任せる事に。
青を基調とした既存の会社ロゴを取り入れたタイポグラフィの作成の資料を渡すと白井さんは早速作業に取り掛かる。
手付きを見ていると、さすが専攻してただけの事はあると言ったところだろう。
これなら任せて大丈夫かな。
メールチェック等をしていると約束の時間に近付いていた。
「じゃあ俺は行くから。時間になったらお昼行っちゃって良いからね」
「はい!分かりました!」
初々しい姿に不安は掻き消され和むまでに。
ミーティング用の資料を片手に指定された会議室へと向かい、ミーティングはお昼を少し過ぎて終了した。
小柳の案件は規模は小さいがいつもやり甲斐のある案件な為、今回も自然と力が入る。
「販売促進ポップか。飲食系は苦手なんだよな…」
弱音を垂らしながらオフィスに戻ると、白井さんが席にいた。
「白井さん?」
「わわっ!?おかえりなさい!」
「お昼は?」
「え?もうそんな時間ですか?」
時計を見ると12時35分とお昼の半分は過ぎていた。
時間を気にしないで作業してたのか。それは駄目だな。
「ラフ案何個か出来た?」
「え、えっと……」
なにやら気まずそうな表情で目線を逸らす。
視線を彼女のデスクに移すと、1枚のラフ案があった。
「ん?出来てるじゃん」
「あっ!それはっ!」
ひょいっと描かれた紙を掴み確認する。
「……これは?」
「…………ラフ…です」
「これが?」
そこに描かれていたのは、お世辞でも上手とは言えない絵だった。
歪な図形に湾曲した線。コンセプト完全無視のレイアウト。
言葉悪く言うと小学生の落書きのようなラフ案がそこにあった。
「……白井さん?」
「……はい」
「とりあえずお昼行こうか」
「…………はい」
まぁ最初はこんなものだろうと押し通し少し遅れたが俺達は昼食をとる事にした。
「つまり?緊張して考えがまとまらず、気持ちを落ち着かせようと描いたのがそのラフだったと?」
「そうなんすよ…事故物件の匂いしかしない……」
あまりにもテンプレ過ぎる理由を聞いて溜め息が出そうになる。
「いくら人手不足とは言え、よく雇ったな」
「本当っすよ。0からスタートの方がまだマシっす」
「教え甲斐があるな」
「もう!他人事だと思って!あっ、すみません生2つください」
通りすがりの店員に注文をすると伊藤先輩の携帯が鳴る。
「悪い、ちょっと出てくる」
「分かりました」
伊藤先輩が席を離れ1人で飲んでいるとメールが届く。
小柳からのようだ。
「なになに……えーめんどくさっ」
メールの内容はどうやら明日までに使う資料を印刷するのを忘れてしまったらしく、近くにいるなら刷って欲しいとの事。
俺が近くで飲んでいる事を知っていての頼み事なのだろう、普段ならこんな事は頼まれない。
「悪い、彼女から呼び出しくらった」
「じゃあ今日はお開きにしますか。すみませーん」
注文したビールをキャンセルし俺達は居酒屋から出た。
彼女と合流する伊藤先輩はタクシーに乗り、俺は仕方なく小柳の頼み事を請け負う。
「明日の昼飯奢って貰うか。ん?」
ビルに着くとオフィスに明かりが灯っていた。
誰かが残業しているのだろうと特に気にせずオフィスに向かうと、予想外の人物が残っていた。
「白井さん?」
「あれ?秋本さん?どうしたんですか?」
なんと、数時間前に帰宅したはずの白井さんがデスクに座っていたのだ。
「それはこっちのセリフだよ。どうしてここに?」
「その…勉強してました」
「勉強?」
パソコンを見ると今日の午後にやっていた作業に似ているデザインの画像が映し出されていた。
そして彼女の手元には殴り書きのラフ案が。
「私、こんなんじゃないですか。要領が悪いって言うか…だから人一倍頑張んないといけないんです」
何枚描いたのだろうか白井さんの手は青く、指先まで滲んでいた。
「ちゃんと許可は取ってますので、終電までには帰ります」
そう言って白井さんは再び画面を見つめる。
その姿を見て俺はこの業界に入ったばかりの頃を思い出す。
何もかも必死になって、努力して、やっとの思いで掴んだ実績。
あの頃の自分と重なり、俺は気が付けば席に座ってパソコンを起動していた。
「秋本さん?」
「終電までには帰るんだろ?女の子1人で夜道は危険だ。駅まで送る」
そう言って俺は小柳に頼まれた資料を印刷する。
印刷してる最中は明日の打ち合わせに使う資料の再確認と白井さんのラフ案を見て指摘などする。
「そのレイアウトだと、どこに注目させたいのか分からないぞ。伝えたい箇所は多少大袈裟にした方が良い」
「なるほど…」
「それと色使いが曖昧だ。使う色は多くても──」
俺は今の案件に必要最低限な知識を白井さんに教えた。
少し細過ぎたかも知らないが、白井さんは嫌な顔を見せず真剣な眼差しで聞いていた。
終電の時間が近付き、俺達はやや急ぎ目にオフィスを出る。
白井さんを駅まで送り、乗る電車が違う為ホームで別れる事に。
「今日はありがとうございました!」
「気にすんな。明日遅刻するなよ」
入社2日目にして遅刻する程の子では無いと思うが、一応忠告をして俺は踵を返す。
向かった先は改札口では無く、駅の入口。
実のところ言うと、俺の乗る電車の終電は既に発車していた。
「さてと、満喫に行くか」
終電を逃して満喫に泊まる事は多々あるが、こんなにも清々しい気持ちなのは初めてだった。
白井さんの努力している姿と昔の自分の姿が重なり、他人事とは思えなかった。
『努力は人を裏切らない』と昔見たアニメでそんな台詞を聞いた事がある。
「……嘘付け」
誰にも届かない、真っ暗な夜空に呟く。
その目に光は無く、曇り、澱んでいた。
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