遊びの時間は終わりであった。

 ……………………何が、起こった?


 酷い耳鳴り、霞む視野、頭痛に倦怠感、何より全身が漏れなく痛む。


 背中に硬い感触、ままならぬ意識の中でそれが船の縁だと気が付くのに数度の呼吸が必要であった。


 その正面、反対側の縁、同じようにもたれかかって座り込んでるのはオセロであった。


 この状況、思い出す。


 構えから最終奥義、放ったところまでは手応えあり、ここまでは確かであった。


 しかし、その奥義、放つ刹那に、オセロ、一撃、追いついた。


 踏み込む足、切る腰、伸びる肩、唸る右腕、振り下ろされる櫂、全てが刹那で動く中、確かにその指が蠢いたのをこの目で見ていた。


 あの、弄ぶ動作、どこをどうしたのかわからないがしかし、その一動作を加えることにて、元より早いオセロの攻撃がさらに加速し、鴨兵衛放つ奥義に、追いついたのであった。


 その証拠、その結果が、このありさま、互いにぶつかり合い、吹き飛ばされた。


 そうとしか考えられなかった。


 ……鴨兵衛の経験上、最終奥義の失敗は全て不発であった。


 放てば必殺、だからそうならぬように相手が動き、それをどうかわすのかが奥義の攻防、だったはずがしかし、今のは、それを超えて、正面より、文字通り、叩き潰されていた。


 これは、奥義の敗北、つまりは鴨兵衛の積み上げてきた刀の全てが敗北したということを意味していた。


 …………いや、そうではない。


 鴨兵衛、その手を見る。


 右手、中に残るは櫂のかけら、握っていた柄の部分、残り全ては粉々に裂けて飛び散り、粉となって周囲に散らばっていた。


 元より最終奥義はただの刀では耐え切れぬ代物、だからこその愛刀、腰に差していたあの鉄刀でなければならない一撃であった。


 それは、オセロも同じこと、奥義を前に防ぐとしたら同等かそれ以上に頑丈な武具が必要、櫂などで防げるはずがなかった。


 互いに得物が櫂では実力を発揮しきれない。


 その様な状態、いくら打ち合ったところで本気も何もない。


 つまり、まだ、勝負はついていない。


 ズルリ、起き上がる鴨兵衛、その手が自然と、傍らに置いてあった鉄刀へと伸びて掴む。


 冷たくズシリと重い感触、手になじむ。


 これでなら、これでこそ、次こそは、次は必ず、あふれる思いとともに鴨兵衛、強く握って一度素振りをした。


 その正面でオセロ、ヌルリと立ち上がる。


 まるで見えない糸で全身を引っ張り上げられたかのような不気味な身の起こし方、次いで片手と両足を振るって怪我の有無を確かめると残り一本、義手の左腕を取り外していた。


 長さは、肘より先より長い程度、先端の拳までもが全て金属製で、柄頭からは革の紐が輪になっており、その中に右手の手首を入れて引っかけていた。


 それを素振りする速度は、正しく目にもとまらぬ速さであった。


 軽く、短く、その分早い得物、オセロもまた本気であると鴨兵衛、感じ取った。


 互いに本来の得物、これで決着がつく。


 遊びの時間は終わりであった。


 鴨兵衛の最終奥義、オセロに通じるか、異国に通じるか、全てをかけて、改めて前へとすり足踏み出した。


「そこまでだ!」


 そこに、無粋にも水を差す声はタクヤンであった。


「そこまでそこまで! 二人ともそこまで! これ! 遊び! 本気ダメダメ! みんな仲良く笑顔でゴー!」


 訳の分からぬたわごと、聞き流し、鴨兵衛とオセロ、構えあう。


「待って! マジ待って! 考えて! 友達友達! 一緒に相撲を取った中でしょ! ね! ね!」


 それでもなおタクヤン、わめく。


「まずはこっち見て! こっち見て! ね! ね! こっちを見ろってんだよこんちきしょーめが!」


 最後は半泣き、その必死さに鴨兵衛、耐え切れずにチラリと見た。


 同じ位置で座するタクヤン、その傍らに、おネギがいた。


 甲板にべったりと胡坐のタクヤン、その背後から前へ、肩越しに抱き着くようにして、黒い髪を流して、おネギが張り付いている。


 何事かと驚く鴨兵衛、そこにちょうどグラリ、船が揺れ、二人の位置が微妙にずれて、それでようやく全貌が見えた。


 おネギ、オセロの首に噛みついていた。


 幼子の小さな口を目いっぱい大きく開いて、タクヤンの首を横から後ろから、白い歯を立てて、その肌に白い歯を突き立てていた。


 まだ血は出てはいないがしかし、歯形は確実に残るであろう食い込み、少なくとも甘噛みなどという甘いものではなかった。


 何よりもおネギ、その表情、黒髪の間からチラリと見れたその眼は鋭く血走り、船酔いで青白くなった肌と相まって、まさしく鬼の形相であった。


 ……思えばこれは、至極当然の流れであった。


 島に到着次第、神に捕らわれていたおネギはずっと気を失っていた。


 そして目が覚めてみれば再びの船の上、当然事情を知らないで見回せば目の前で、鴨兵衛、オセロと戦っている。


 それが櫂であれば、まだ遊びだと思えたかもしれないがしかし、奥義の爆発に次は本気の得物となれば、殺し合いだと思うのは自然なことであった。


 ならばと船酔いに具合悪い体に鞭打って、タクヤンに組み付き、噛みつき、あるいは言葉もかけたかもしれない。つまりは人質取って、止めようと、守ろうとしていた。


 そのような暴挙、取らせたのは間違いなく鴨兵衛であった。


 チラリと見ただけの好奇心に我を忘れ、後先考えずにこんなとこまで来て、危うく神にまでケンカを売るところ、それが無事に終わったというのに無意味な試合、遊びだということさえも忘れて奥義までぶっ放して、挙句に本気になって鉄刀まで引っ張り出そうとしている。


 そんなやつのためにその身を削っているおネギを前にして、今度の今度こそ強く深く鴨兵衛、後悔を、そして反省をした。


 ……少なくとも、これ以上戦うつもりはなかった。


 静かに構えを解き、うなだれる。


 だが一方で、オセロは違っていた。


 頬の肉が痙攣するほどの強い笑顔を浮かべ、踊るような足取りでまっすぐ、間合いを詰めてくる。


 その輝く目には鴨兵衛しか見えていないようであった。


「待て! まて! マッテ! オセロマッテ!」


 これに狼狽するのはタクヤンであった。


 そもそもこの体制、人質はタクヤンで、その首が噛み切られて困るはオセロの方、つまりは先に得物を収めるのはオセロのはずであった。


 が、しかし、そのオセロ、止まらない。


 まるで目の前の遊びに夢中になりすぎていて、人質など眼中にないようで……いや、あれだけわめいていれば気が付いているはず、ならばつまり、オセロはタクヤンの命よりも、この決着を望んでいるということを意味していた。


 その事実、気が付いたらしいタクヤン、言葉を彼らの言葉に変えてなおわめくが、オセロの足は止まらない。


 一歩一歩、間合いがつぶされていく。


 これで、攻撃届く距離ともなればさすがに鴨兵衛、自衛のために応じて構えなければならない。


 だがその前におネギ、その首を食い千切ることであろう。


 そうなれば諸々お終い、取り返しがつかない。


 そうならないようにするにはどうすればいいか、何も浮かばない鴨兵衛はただ焦るだけであった。


 そしてチラリ、助けを求めるようにタクヤン見つめれば苦虫を噛み潰した表情、そして大きく息を吸い込むと、一気に吐き出した。


「ルルー!!!」


 響く一言に、オセロの足が止まった。


 そしてタクヤンを見つめるその視線は、白刃のように鋭かった。


 さして会話らしい会話もなかったオセロであったがしかし、その印象でさえ覆すほど強烈な視線、そこに込められているのは熱い憤怒ではなく冷たい憎悪、そして殺意であった。


 それほどまでに強い言葉、吐いた自覚があるのかタクヤン、打って変わって黙ってじっとその目線を見つめ返す。


 ……折れたのは、オセロの方であった。


 あれほどの視線も、これまでの遊びも全部なかったかのように構えを崩し、背を向けて反対側、船の端まで戻るとドカリ、不機嫌に腰を下ろして、ただ外した左の義手を弄ぶだけとなった。


 今度こそ、遊びの時間は終わりであった。


 フゥ、と息を吐く鴨兵衛、刀を腰に戻すもおネギは離れず噛みついたまま、その様子を見ながらふと、あの言葉は人の名なのだろうと思った。

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