出し惜しみは止めたのであった。

 ……これが口封じだと、流石の鴨兵衛にもわかっていた。


 誰かに接触するよりも先に、この場にて亡き者にして証言封じ、反論ないことをいいことに好き勝手に言いふらして責任を擦り付け、悪人にと仕立てれば、タクヤンの失態はなかったことにできる。


 そのためのお誘い、目撃者のいない船の上で身柄の確保、その前の武装解除、その前の無力化、即ちここで戦うは相手の思うつぼ、これは明白な罠、けれどもその様な邪推は、オセロ相手には不要と鴨兵衛には感じた。


 無邪気な表情、許可を得た子供、待ちに待った遊びの時間を迎えて、喜び爆発、でなければ、これほどまでの笑顔、看板役者でもこの演技はできないであろう。


 それに、鴨兵衛の実力は見知っている。


 その上でオセロならば負けぬと信じているらしいタクヤンではあるがしかし、それでも痛手を負うとの恐れから、このような真正面での試合、反撃の恐れがある戦いなど避けるだけの頭はあるはずであった。


 つまるところこれは試合、互いの腕比べ、もっと言えばただの遊び、それ以上でも以下でもないのだと、鴨兵衛は判断した。


 ………………いや、鴨兵衛は、そう自分を騙していた。


 例えこれが全てが罠であろうとも、あの薬とかこれからのこととか国のなんやらとか色々あろうとも、それらが白日の下にさらされようとも、新たないわれなき罪をかぶろうとも、刀を振るい、刀に生きてきたと自負のある鴨兵衛にとって、この誘いは断れるものではなかった。


 異国の武士、オセロ、これまで見せてきた全ての動作がこちらではお目にかかれない強者の所作、おそらくは人生でも上位に入る強敵、それと、戦える。


 これまで信じ、鍛えてきた己の武芸が、この島を出て外の世界で如何ほどのものなのか試せる機会など、生涯探しても一度あれば奇跡であった。


 ならば断われない。


 そもそもこの状況を期待してここまで来た鴨兵衛に、迷いなどなかった。


 はやる気持ちを何とか落ち着けながら、寝ているおネギより静かに離れ、これは試合だとの名分のため腰の鉄刀を横に置くと、投げ渡された櫂を手に取る。


 長さは槍、重量もそれに伴い重く、波を漕げるほどに硬い。


 その様なもので殴られればよくて骨折、最悪死にかねない鈍器、振り回すのも困難で、武器としての実用性に乏しいながら、これはこれで立派な得物になりえた。


 それでも木製、鉄より弱い。


 ならば木刀と同じ、ならばならば使って戦うは組手の修練に同じ、ならばならばならばこれはただの遊びなのだ。


 詭弁、わかっていながら頭の中で繰り返し、鴨兵衛は櫂を数度素振りしてから、正面に、そこから上段にと構えた。


 対するオセロ、船の反対側、十分間合いを離してから、改めて櫂の中心に近い位置を握り、櫂の切っ先をやや下へ向け、右肩を前に突き出し、隻腕ながら正面に構えた。


 そして互いに、開始の合図もないまま、示し合わせたように間合いを詰める。


 始まっていた。


 鴨兵衛、ぎこちないすり足、はやる気持ちを抑えきれない無様な足取り、腕に自信のあるものが見れば素人の雑魚といわれても仕方ない酷いものであった。


 対するオセロ、ただの歩き、構えこそそのままながら足取りは普通に右足出して左足出して、平時道を行くのと変わらなかった。


 そしてピタリ、両者とも船の中心にて、その足を止める。


 間合い、互いに一足飛び、強く踏み込めば櫂の届く距離であった。


 ……この状況、先に動いた方が不利となるのが定石であった。


 鴨兵衛、上から切り落とそうと踏み込めばオセロは合わせて前に一歩、同時に突き出せば勝手に突き刺さる。


 オセロ、突き出そうと前に出れば鴨兵衛がその分一歩引き、同時に切り下し伸びた腕の小手を打たれることになる。


 先に動いたら負け、だから膠着状態、ここでにらみ合いからの疲労困憊、そして集中力の乱れを狙って打ち倒すのが鴨兵衛の知るこちらの戦いであった。


 しかし鴨兵衛は違った。


 こちらでも定石外れの邪道な技、それでも勝ち抜いてきたのが鴨兵衛、その技を見せつけるため、あえて先に動く。


 ただし間合いはそのまま、ただ腕のみを動かしての縦斬り、狙うはオセロが構える櫂の峰、先に得物を叩き落すつもりであった。


 一見すれば理にかなった技、けれどもこれが真剣であったならば悪手、鋭い刃で厚みのある峰を叩けばよくて刃こぼれ、下手をすればポッキリと折れる。通常の打ち合いですら刃を寝かして腹で受けるが常識とされる中でこの手は自滅であった。


 しかしこれは櫂、刃も峰もない棒きれ、刃こぼれポッキリに恐れのない得物であった。そして、例えこれが櫂でなくとも、鴨兵衛の獲物である鉄刀なれば、同じことができるとの考えあっての一撃であった。


 これを受け、鴨兵衛の思惑通りに叩き落されるオセロの櫂、手より離れはしなかったがしかしその切っ先は甲板の上に当たって止まり、構えは崩れた。


 そのがら空きの上半身、追い打ちに鴨兵衛踏み込む。


 左足に力を込めて全身前へ、同時に打ったばかりの櫂を僅かに引いて切っ先挙げて、止めの打突を放った。


 狙いは胸、これが真剣なれば急所となる部位ながらこれは櫂、当たって打たれて痛みはあれどそこまでで、行ってもあばらが数本いかれる程度、その前にオセロほどの達人あれば自ら背後に飛ばされて青あざ程度で済ませられる、程よい一撃だと鴨兵衛は自賛していた。


 その狭まった視野の下側、オセロの右手がうごめくのがわずかに見えた。


 何をどう動かしたかわからぬうちに準手に持ってた五本の指が入れ替わり逆手に、そこから親指付け根で櫂をとらえると甲板の切っ先を支点に、手を力点にしたテコの動きで櫂を縦に立てかけた。


 そこから内より外へ、抉る動き、ただそれだけで鴨兵衛、自賛の突きは外へとずらされ、外された。


 ……一連の動作、わかっていてもできるものではない。


 常人が行えば、鴨兵衛が行えば、立てかけたあたりで突きが刺さっている。


 にもかかわらずそれを、技ではなく力で、純粋な体の動きだけであそこからここまで間に合わせる。


 唖然とする鴨兵衛、次に感じたのは恐怖、突きをずらされ崩れた構え、無防備な右の脇腹を晒して戻れぬ体勢、そこを突かれたら、思った刹那に思い出す。


 オセロは隻腕、付くべき左手はそこにはなく、残る右手もこうしてずらしてる間からは間に合わず、すなわち追撃はないと安堵した。


 しかしそれは、キャラメルのように甘すぎる考えであった。


 スパン!


 今までに聞いたことない良い音、響いたのは鴨兵衛踏み出した右の足、脹脛ふくらはぎであった。


 そこからにじみ出る激痛、崩れる体制、その間で引き抜かれるは、オセロの左足であった。


 蹴りであった。


 それも転ばせるための足払いではなく、たたきつけるための打撃の蹴り、これを受けてすり足故に弾かれることのなかった右足は、踏ん張った分だけ威力を逃がせず、全てが肉に骨に染み渡った。


 激痛、足の腱を伸ばすだけでも痛み走る一撃、けれどそれ以上に想定外の一撃受けて、それもあの時相撲で見せたものよりももっとわかりやすいものだったはずなのにそれを忘れて、油断した事実に、鴨兵衛は大きく揺らいでいた。

 

 その隙を、オセロは逃さなかった。


 ずらすため立てた櫂を持ち直し、長さ変わって逆手から順手に、そこから真上に突き上げると、逆さにしてまっすぐと振り下ろしてきた。


 この状況、受けは無理、咄嗟に鴨兵衛が判断できたのはそこまでで、続きは体が勝手に動いていた。


 痛みに震える右足、踏み込んで伸びてた左足、それを自身でもわからぬ動きで体を引いて背後へ、後ろへ、しりもちついて、逃げた。


 刹那に眼前を空振る櫂、代わりに甲板ぶつかった音にさらに体が動いて、尻をこすりつけながら遮二無二しゃにむに間合いを離した。


 そして、静寂、オセロからの追撃はなかった。


 代わりに向けられた視線、オセロが鴨兵衛を見る目には、少なからず失望があるように見えた。


 この目に、今度こそ鴨兵衛、心身共に打ちのめされる。


 うかつに打ち込み、それをいなされ、できた隙に油断して、見知ってるはずの蹴りを食らって崩されて、そして無様に逃げ戻る、絵に描いたような返り討ちであった。


 どうしようもない恥辱、痛みよりも恐怖よりも恥ずかしいという思い、こんなものを見せるために、ここまで来たわけではない。


 食いしばり、立ち上がる鴨兵衛、その胸中にはあらゆる嫌な記憶が呼応していた。


 そんな鴨兵衛前にして、オセロの視線は「まだやるのか?」と問ういていた。


「あぁ、まだやる」


 通じぬと知っていながらも鴨兵衛、あえて声に出し、応える。


 その心に灯るのは、油断を焼き尽くす覚悟であった。


「そして次は、本気だ」


 宣言、鴨兵衛、構えを変える。


 櫂を持ち直して長さを調整、普段の上段から正面に、そこから下げて下段に移して、そして引いて脇へと構えた。


 これはこちらでいうところの『脇構え』であった。


 得物を鞘にそって後方へと隠すことでその長さを隠し、間合いを教えぬための構え、出鼻の心理戦、様子見に用いられる構えであって、散々打ち合ってきた今更見せる構えではないのが常識であった。


 しかし、鴨兵衛が持つ最大の奥義は、ここから放たれる。


 …………出し惜しみは止めたのであった。

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