見せる。見られる。見せつける。
……相撲には『物言い』というものがあった。
行司が挙げた軍配に対して異議を唱えるもので、人の世でならば土俵のそばで控えている補佐の行事も加わりすぐに審議、改めて軍配を向ける。これにより結果が変わることもあれば変わらぬこともあり、あるいは判断がつかなかったからと同体、両者同時に土についたから引き分け取り直しとなることが多かった。
その制度、神々の中にもあるかは知らないが、しかしながら勝った方が物言いをすることはないのは当然であった。
しかしオセロは違っていた。
軍配向けられ勝利を得てなお土俵から降りず、何やら異国の言葉で呟いて、茨の神を手招きする。その表情、はっきり言ってガッカリというものであった。
これに慌てて飛び出てきたのはタクヤン、異国の言葉でまくしたて、けれど帰ってくる返事は言葉通じなくとも不平不満含まれたものであった。
確かに、結果だけ見れば圧勝、それも瞬殺、異国の蹴りであったとはいえそれだけで、神々の相撲がどのようなものか、お披露目になる前の決着はしこりの残るものではあった。
だから仕切り直しを望む気持ち、わかる鴨兵衛だったがしかし、その手のわがままでおネギがあぁなっている手前、強く言えるわけではなかった。
それに、神が弱かったというのはそれはそれで侮辱、怒りを鎮めるための相撲で怒らせたのでは本末転倒であった。
それを重々承知しているらしいタクヤン、異国の言葉まくしたて、やっとオセロを言い含めた。
未練残る足取りで土俵を降りて、不満をあらわにドカリと座るその横へ、タクヤンも座って何やら塗り薬を取り出して差し出していた。
気心知れた感じ、おそらく付き合いは長いのであろう。そしてこのような戦いも初めてではない。
それが異国、どのような場所か、想像めぐらす頭を振るい、鴨兵衛は今に戻る。
少なくとも一勝、けれどまだ一勝、次も勝たねばならない。
気合い入れなおす鴨兵衛、だがその胸の内、振るいきれない雑念があった。
あれほど見事な一撃、こちらの武芸の常識を蹴り飛ばした一撃、挙句に神を下したオセロ、その目の前で己が力を発揮する。
見せる。見られる。見せつける。
意識する必要のないこととわかっていながらも不器用な鴨兵衛、そう思うこと自体が意識しているのと同義だと気づけもしなかった。
……迷い、鎮めてる間、土俵の上が片付けられていた。
崩れた茨の神、やはり神は神か、ほどなくして意識を取り戻し、ふらつきながらも己の足で土俵を降りて行った。
代わりに上がるは小さな神々、ネズミかカエルほどの大きさの、カブとかキノコとか、あるいは二枚貝をかぶるものなどがチョロチョロと、土俵の上に上がるや、なんか始めた。
小さく遠く、よく見えないがその結果、上がれ出た血が消えて行ってるのはわかった。
……そしてオセロの足に薬が塗り終わったころ、土俵の上は清められ、小さな神々も土俵の上から降りて、氏子が上がり、準備が整った。
自分の番、思い土俵に向かう鴨兵衛、迷いを断ち切れたのは視野の端に入った、おネギの姿であった。
未だ神に捕らわれ気を失っている様子、辛うじて息をしているのは見て取れるがしかし、安楽に寝ているようには見えなかった。
おネギを、助ける。
目的思い出し、強い思いをもって鴨兵衛、土俵に上った。
そして一呼吸、置いた後に正面に上がった神は岩であった。
岩、それも荒波に削られて凸凹厳しい、まるで洗濯板のようなざらつきを持つ体は、鴨兵衛よりも頭一つ高い巨体、そこに同じく紫を身に着けていた。厚さこそ茨の神より薄いものの、太い手足にめり込んだ首と、過剰に筋肉を纏ったような姿であった。
そんな岩の神、聳えるように鴨兵衛の前に立つと、腰を落として仕切り線に右手を置いた。
これを相手に、いまさら臆する鴨兵衛でもなかった。
ただ一度、呼吸を整えてから腰を落とし、そしてまた一呼吸、そして仕切り線に右手を置いた。
「ハッケヨイ!」
同時に鴨兵衛、飛び出す。
ゴッ!
渾身の突進、その足を止めたのは鈍い音、遅れて痛み、右のこめかみ、響く脳内、ふらつく意識の中、それでもとっさに踏みとどまった。
遅れてきた理解、岩の神の左手が、鴨兵衛の頭を殴ったのであった。
それが叩き落としか、あるいは張り手なのか、どちらにしろ殴ったのは素手でありながら鈍器、岩であった。
タラリ、滴る流血、しかしてそれだけ、鴨兵衛に怯みはなくすぐさま反撃に出る。
横に傾きかけていた重心を元にもどして流動、すぐさま下へ、そして前へ、その重さを押し流す。同時に上半身も、腰も捻り、左の肩、そして肘、一斉に動かして放つは張り手、つっぱり、正面へ放つ平手打ちであった。
当たれば大の大人も軽々吹き飛ぶ自慢の一撃、けれども相手が岩の神ともなれば、そうとも言えなかった。
バシン!
よい音は響く、がしかし岩は岩、その重量を吹き飛ばせなかった。
反動の痛みに食いしばる鴨兵衛であったが、それでも神の体がぐらついたのは見て取れた。
効果は弱い、が無駄ではない。
不器用な鴨兵衛にはそれで充分であった。
「ぬん!」
気合の鼻息と共に放つ、張り手の連打、ただがむしゃらに、岩の神へつっぱり平手打ち打て打って打って打ちまくる。
ズルリ。
これに踏ん張り負けて、後退したのは岩の神の方であった。
同時に血に染まる胸、出血は張り手する鴨兵衛の両手から、厚い皮が破けて血が滲み、しかしてそれでも張りては止まらない。
このまま押し切る勢いに、岩の神は動いた。
ゴッ!
再びの鈍い音、岩の神の振り下ろした右手、今度は左のこめかみ殴りつけ、新たな出血、脳が揺れ、視界がゆがみ、痛みが走る。
けれどもなお鴨兵衛、食いしばり、首で耐えて踏ん張って、さらにさらにと張り手を見舞う。
止まらぬ連打を受けて岩の神、殴りつけてた分だけ逆に体幹崩されて危うくなりって、その体制を整えようと鴨兵衛へ、上手で抱き着くように組み付いてきた。
がっしりととらえる両手の指は初めからそのような形であったかのように硬く固められ、同時に岩の神が、その両の踵を浮かべた。
のしかかり、上や横に投げるのではなく、抱きしめ、その身を固定し、自身の自重をおんぶにだっこ、鴨兵衛へとおっかぶせる。
それだけながら岩の神、巧みに自身の重心を操り、落ちる方向を真下へ向けて投げる隙を与えはしない。
あとはこのまま、鴨兵衛の膝が潰れて折れるのを待つだけであった。
このような技、相撲の決まり手にあるかは知らぬ鴨兵衛であったが、こうも密着されては張りては出せないのははっきりとしていた。
かといって振りほどけず、引きはがせず、投げることも傾くこともかなわない。
ならばと動かせる範囲で両手を滑らせて鴨兵衛、岩の神のまわし後ろをがっしり掴むとあえて困難な方向へ、真上へと、吊り上げ始めた。
これに岩の神、踵と言わずつま先も離れて宙ぶらりん、そのまま這い寄るようなすり足で、土俵の外へ、ゆっくりと運ばれていく。
このまま外へ、落として勝利、不器用な鴨兵衛が考え付く唯一の一手であった。
「ぬあああああああああああ!」
食いしばったまま雄たけび、噴き出る出血、真っ赤な顔、鼻血も噴き出ての移動はまどろっこしく、けれど確実に外へと運んでいた。
一歩、また一歩、その足が土俵にめり込みそうな足取りで進み、進んでどれほどか、やっとの思いで土俵際まで運んでこれた。
その中で力みっぱなしの鴨兵衛、一度休もうと神を下ろせばその隙をついて投げに来る。
そうなる前に、そうなる前に、追い詰められて焦って、それを跳ね返すの気合、力み続ける。
……けれどもこのような力任せ、長く続くものではなかった。
ガクリ。
唐突な重さの消失にズルリと腕の内側、岩肌に擦られ痛みが走る。
そのことに疑問に思うより先、手放したとの思い、見えなくとも岩の神の踵が落ちたとわかってしまう。
まだ土俵の内、運び出す前、耐え切れずの放出、すぐさま再び吊り上げようとするも力みから解放された全身へ吹き出る安堵、休みを覚えた体は動かない。
この状況、少なくとも今すぐに岩の神をもう一度吊り上げる余力は、鴨兵衛には残っていなかった。
乱れ、痛む呼吸の中で鴨兵衛、呆然、絶望、頭が真っ白になっていった。
「そこまで!」
そこへ響いたのは氏子の声であった。
「離れてください」
小さく、けれどはっきりと言われて、それに戸惑えるほど余裕のない鴨兵衛は直ちに従った。
乱れる呼吸、上がらぬ両手、今更痛み出した両の掌、皮がむけたか妙な感触、それに手の不利に違和感、チラリと見ればその手に紫があった。
訳が分からぬまま、ヌルリと前を見れば軍配、かざして隠すは岩の神の股間であった。
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