ただただ驚きであった。
相撲はこの島で最古の武芸であり、神事あった。
その由来は神々が互いの力を比べあったのが始まりとされ、今に伝わる相撲も本来の目的は武芸でも娯楽でもなく、神々に捧げる供物、神事であった、という由来などはかいつまんで鴨兵衛、一から説明する。
まず身だしなみ、力士は、相撲を取るものは一切の武器を帯びず、またそれを明らかにするためにまわし、太めのふんどしのみを身に着ける。
立ち会うのは土俵の上、藁で作られた輪の中で行われる。
立ち合いがいつ始まるかは力士が互いに決める。それぞれの力士がそれぞれの前にある仕切り線、二土俵に埋め込まれた白い木の棒による線に両者が触れた時が開始の合図となる。
勝敗は相手に土をつけることで決着となる。土俵の輪の外に体の一部が触れるか、輪の中であっても足の裏以外が触れたものが敗北となる。
その他、相手の髷を掴んだり、噛みついたりするのは禁じ手として行えば負け、また腰回りのまわしが外れても負けとなる。
……ざっくりと、口下手ながら鴨兵衛、何とか一通りの説明を終えた。
この他に決まり手やら何やらと伝えるべきことはあるのだがしかし、異国の二人はそれ以前の問題があった。
まずだれもまわしをもっていなかった。
相撲を知る鴨兵衛でさえふんどし、その馬鹿力でなくとも掴んで投げようとすれば食い込みちぎれる弱い布地、とても相撲を取れるものではなかった。
オセロとタクヤンに至ってはふんどしすら締めていなかった。
袴に見える下の着物、脱いだ下も短い袴みたいなもので、ふんどしの代わりには見えない。オセロ本人はこれでもよいと言っているようだが、これでは相手が掴んで投げることができないのだと、タクヤンを通して説明した。
どうしたものか、考えあぐねているところにひょろり、現れたのは神の一柱、全身を縦に案だ草で形どられた人型はまるで案山子のようで、その腕には紫に染め上げられたまわしが三本、それをそっと差し出してきた。
「……かたじけない」
受け取る鴨兵衛、しかしてそれで収まらず、異国の二人はまわしの締め方を知らなかった。
この中で唯一知っている鴨兵衛でさえ、自分のを締めることしか知らず、ましてや人にやって見せることなどこれまでになく、これにも四苦八苦させられた。
……その間、鴨兵衛には別にそのケはないのだが、オセロの体から目が離せなかった。
鍛えられた体もさることながら、それより目立つのはその体を覆う無数の傷であった。
大半が刀傷、斬られたもの、刺されたもの、抉られたもの、命にかかわったであろう傷も散見された。それに火傷、打撲の跡、どれほどの修羅場を潜り抜けてきたか想像もできぬ傷跡であった。
その中で一番目を引くはやはり左腕、肘の関節を境にその先は失われ、その断面はぐちゃぐちゃ、少なくとも鋭利な刃物ではない手段で引きちぎられ、その傷跡を焼いて雑に止血したのであろう、鴨兵衛にはそう見えた。
「あぁその腕? 胸の谷間に突っ込んで食いちぎられたんだとか」
口をはさんできたタクヤン、言葉を間違えたのか、あるいは場を和ませようとの冗談か、嘘か誠かわからぬことを口にする。
その様子、少なくともオセロが負けるとはつゆも思っていない様子であった。
それだけ、オセロの実力を信じているということなのだろう。
そんなこんなでなんとかまわしを巻き終えた鴨兵衛、準備万端かと思ったのだが、最後に一つ問題、オセロはその額より鉢がねを外すことを嫌がった。
金属の武具は持ち込めないとタクヤン経由で説得、けれど外すことを渋るオセロ、そうこうしてる間にも神々を待たせており、何よりもおネギが囚われたままであった。
焦燥感、どうしたものかと一瞬目を離した隙にカラリ、地面に落ちたのは
これはと思う鴨兵衛、けれどオセロはどうしても頭、あるいは額を見せたくな様子、どうしたものかと困り果てて氏子に目線を送ると、うなずきが返ってきた。
これが「許可」と意味するのは異国でも同じか、あるいはこれだけは知っていたのか、オセロはまだ説明足りてない鴨兵衛置き去りに飛び出し、軽やかに土俵の上へと飛び乗った。
「お覚悟はよいか?」
出迎えたのは氏子、その手には黒色の軍配があった。どうやら行司も行うらしかった。
その氏子、オセロより目線を外して反対側へ視線を向けると、対戦相手の神も土俵に上がってくるところであった。
その姿、一言でいえば丸々と太った巨体を編み上げた茨であった。
深く、暗い緑の蔦が絡み合い、いかにも力士という体を形作っている。ただしその前身は遠目で見てもはっきりとわかるトゲトゲ、太い手足も顔の無い顔も、その全てに覆われていて、腰に巻かれたまわし以外に安全に触れられる場所は見られなかった。
……あの茨は神の体なのであろう。
しかしだからと言って相撲の場にその身で上がるは理不尽に思えた。
だが相手は神、それにこれは犯した罪を雪ぐためのもの、口を出すものもおこがましい。わかってはいても、鴨兵衛には思うところがあった。
一方で、相対するオセロは変わらなかった。
むしろこの相手に、喜びさえも感じているのか、その笑みが強まった気がした。
そんなオセロを前に、茨の神は土俵に上がると一度ブルリ、その身を震わせる。
と、みるみる内にその左腕が縮み、短くなって、瞬く間に同じく隻腕となった。
これに、オセロの表情が曇る。
そして土俵下のタクヤンに何やら異国の言葉を投げかけ、これに返答されて、何やらもめてる様子であった。
「どうしたのだ?」
「ア?」
思わず問うた鴨兵衛に、タクヤンは流れで不機嫌に返事した。
「失礼、オセロ、馬鹿だから、相手に腕を生やせと言ってるです。そうでないと、あれだ、これで勝っても楽しくないとか」
ボシュ!
この会話、届いていたらしい茨の神、一瞬にして腕を生やして元通りとなった。
これに納得、オセロが改まって土俵中央へと向かう。
先に手を突いたのは神、膝を曲げ、腰を落とし、そして右手を仕切り線へと乗せる。
そして傍らに氏子、正面に軍配構えれば、後はオセロを待つだけであった。
これを前にオセロ、マネをしていく。
前に立ち、膝を折って腰を落とすと、そっと仕切り線へ、左手を置いた。
「ハッケヨイ!」
氏子の掛け声、立ち合いの開始、同時に立ち上がる両者、前屈に突っ込む茨の神を、オセロは正面から迎え撃った。
ザシュ!
鮮血、飛び散る。
だがしかし、その雫が土俵に舞い落ちるのと同時に、吹き飛ばされたのはオセロではなく、茨の神の方であった。
…………驚きであった。
ただただ驚きであった。
その光景、前にして、鴨兵衛にあるのは驚きだけであった。
それほどまでに、オセロの蹴りは、強烈であった。
……相撲の禁じ手に足蹴りがあったかどうかは思い出せない鴨兵衛であったがしかし、それが悪手なのだとは習ってきた。
そもそも片足で立つことからして叱られる。
足一本では安定に隠し、高く上げてしまうとその足が再び地面を踏むまでの間に何かあったら反応できない。またそれほどまでに大きな動作はそれだけ読まれやすく、止まりにくくて、変化しにくい。
なので刀であれ他の武術であれ、足運びは基本、すり足、足の裏を地面にすり合わせるように、最低限しか上げず、ゆっくりと小さく、こまめに移動するのが、常識であった。
その上で、相手を蹴ることはマレ、相手の足を払うときか、さもなくば下より突いてきた槍を踏み潰すぐらい、後は武芸を用いぬ喧嘩でしか見られなかった。
だがオセロが見せた蹴りはこの常識を、真っ向から否定していた。
立ち合い開始と同時にその身を正し、その体を左に傾けるや左足一本でその身を支え、逆の右足が後ろへと軽く引いたかと思えば刹那にはじけた。
その軌道は鴨兵衛の目では追えなかった。
結果から推察するに、股を割って存分に伸ばされた足が、左寄り右へ、薙ぎ払うように茨の神の面を蹴り飛ばしたのであった。
その流れるような動きに躊躇いも淀もみも一切なく、全て知ってて狙い通りと、つまりはこれが鍛錬の果ての武術であると鴨兵衛は見抜いた。
その上での威力、茨を編んでいるとはいえ神の顔、一撃で凹ませ、残る体を土俵の外へと吹き飛ばした一撃は、鴨兵衛の知るどの武芸の技よりも、強烈であった。
それを平然とやってのける。
しかもその反動、蹴飛ばした足の甲がズタズタになっていながらも、悲鳴一つ上げずに隙なく残心残す姿は、周囲を囲う神々に負けず劣らず、奇怪であった。
ドサリ、そのオセロの前で倒れる茨の神、その身は動かず、人と同じなのかはわからないが、気絶しているように見えた。
……遅れて氏子、静かに軍配を、オセロへと傾けた。
先ずは白星、オセロの勝ちであった。
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