神であった。
この世には、
幽霊、妖怪、仙人に霊獣、その中で最も古く、強く、尊いとされるものたちを、こちらでは崇拝と畏怖を合わせた意味で『神』と呼んでいた。
その力は超常にして絶対、本気になれば何日も雨を降らせ続けたり、逆に晴れを長引かせて干上がらせたり、時には山を動かし、時に谷を掘る。一度怒らせたならば人の世など簡単に崩れ去る天変地異を引き起こせる存在であった。
なので、こちらでは、鴨兵衛の知る限り、彼らに対して『関わらない』が常識であった。
関われるものは神社の神主か巫女か、あるいは彼らが催す祭りを通じて感謝を伝えるか怒りを鎮めるぐらいしか関わらないのが常識であった。
……仏閣の方では、そんな神も人と同じ存在とみなし、ともに修行を重ねて高みを目指すのが道だと教えているが、それでも神への尊厳は忘れておらず、礼節に徹するのはこちらでも常識であった。
その神が住むのが聖域、森の奥や山頂、あるいはこのような孤島を神のものと定めてむやみやたらと人が近づかぬように切り離す。この聖域の管理が武家だの藩だの統一幕府だのといった人の上に立つ組織の前身だといわれているが、今の鴨兵衛にとってそんなことはどうでもよかった。
問題は、こうして無礼にも船を乗り付けてしまった神の手に、おネギがいることであった。
この無礼に対して怒りはごもっとも、そこまで知ってる鴨兵衛は、その怒りを収めるために、乙女を贄にすることもあると知っていた。
その神の一柱、いつの間にか気を失ってるおネギを抱き上げ、マジマジと見つめるや、抱えていた両腕がほどけた。
束なっていた蔦が一本一本に、まるで烏賊の足のように広がると同時にその土くれの胸もまるで大口のように広がるとバクリ、おネギの身を頬張った。
そしてそのまま、何事もなかったように島の方へと歩いていく。
「いや、待ってくれ!」
慌てて鴨兵衛、声を上げ、船よりドチャリ飛び降りる。
思ったより冷たい海水、砂利に近い砂、足に感じる一切を横へと押しやって、けれど鴨兵衛声が出ない。
必要なのは礼節、謝罪、弁解、そして土下座、相手は位の高い神、頭でわかっていながらも、あまりのことに心が追い付かず、その実をこわばらせていた。
……ただ一つ、決まってること、これでもしものことがあれば、今度は神を相手に戦うこととなる。そうならないでおネギが助かるなら、腹の一つぐらいは切る覚悟、できてはいた。
それに応じるように、神が増える。
海水が泡立ち半透明な姿、砂浜が持ち上がりずんぐりとした姿、森の奥よりのそりと大きな影、虚空でしかなかった場所に浮き出る三角、その他、沢山、一つとして同じ姿のない神々が、次々と現れ、鴨兵衛を、そして乗ってきた船を、取り囲んでいく。
神の数は
その一端、囲まれたこの状況、良くはなっていないのは明らかであった。
と、バシャ、背後で水音、チラリと見ればオセロの姿、飛び降りていた。
助太刀、思いよぎる鴨兵衛であったがしかし、その顔を一瞥して、そうではないと察した。
その表情は子供、例えるならば大きなセミを見つけた童、あるいはキャラメルをなめた時のおネギと同じ、喜びで輝いていた。
……知らぬからか、あるいは知ってのことか、このオセロという男は、この状況を、楽しんでいた。
その上でバシャバシャ、波を蹴り割り、前へ、神へと進む。
その足取りは危険、少なくとも神へ畏まる足取りではない。
ならばならな、その先にオセロが狙うことは、この上なく不敬な行為と想像できた。
神に、贖う。
その大罪、返される厄災はいかほどか。
……………………しかし、それしかないのであればと、鴨兵衛は改めておネギを捕えている一柱へ向き直る。
「そこまで! ソコマデ! チョ! マッテ! オセロマッテマッテ!」
そこに降る声、ドシャと背後に落ちたのはタクヤンであった。
そしてそのまま、バシャバシャ、溺れる。
そのまま、自力で何とかできない様子に、足を止めてたオセロはため息一つ吐くとジャバリジャバリ戻ってきて、伸ばした片手で襟首掴んで無理やりに立たせた。
ゲボォアゲボゲボ、汚いせき込みで口やら鼻やらから海水流しだすタクヤン、船体に手を突き呼吸を整えると、最低限身だしなみを整えて、改めて神へと対峙した。
「えーー、お初にお目にかかります。私、デフォルトランド独立自治区影騎士団所属夜騎士団出向の特別親善大使を任されておりますタクヤン、と申します。どうぞよろしく」
改まった声、堂々とした態度、あふれるタクヤンの自身は、しかし鴨兵衛には不安しか感じられなかった。
「まず最初に不躾な訪問、謝罪します。私たちはあなたたちと争うつもりはないのです。ただ契約を、自由契約条約を結びたいのです」
鴨兵衛の理解を超えることをのたまわり始めた。
「いや難しい言葉を使ってしまいましたが、早い話、お互い手と手を取ってパートナー、こちらでは相棒ですか、まぁお友達になりましょうと言いに来たのです」
ハハハと場違いに笑うタクヤンの姿は、鴨兵衛には狂っているようにしか見えなかった。
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