【番外】鴨兵衛、自由契約条約の締結を妨害した。

問わずにはいられなかった。

 戦乱の世が終わり太平の世となって全国は制覇された、などと言ってはいるが、実のところ統一幕府が納めているのは広い広い世界の片隅、大陸の端にへばり連なる島々だけに限られていた。


 外の世界ではこの島の難渋ばいもの国土を持つ国々が今なお覇を競い、流血の有無を問わずに争いを続けていた。


 そんな世界に対してこの島国は、統一幕府が統治こそしているものの未だ国としては未熟、国境もあやふやで法整備もできているとは言い切れず、それこそ国としての決まった名前すら決めていなかった。


 それでも何とか出来ているのは皆が似通った言語を用い、宗教や民族の対立が薄く、何よりも外の世界との間に侵略を防いでくれる、深くて広い海が広がっているおかげであった。


 だからと言って統一幕府もただ手をこまねいているだけではなく、阻むことと取り入れること、同時に行うとのお触れを出していた。


 阻むのは『鎖国』と呼び、この島の外の国との交渉、貿易、出入国等を統一幕府の許可なしに行うことを固く禁じた。これが守られているかは定かではないが、隣同士の藩が嫌がらせのために互いを見張り、密告しあっているとの話から無意味ではないようであった。


 対して取り入れるのは『開国』と呼び、統一幕府の許可を得た一部限られた地域で監視のもと、交渉、貿易、出入国等が行われていた。これにより珍しい品々や新たな技術学問が流入してきてはいるものの、地域が限られている港にわざわざやってくる船は少なく、はおばれてくるものはなお少ない。その上でそれらが安全かどうかの検閲も加われば、平民に届くのはまだまだ先の話であった。


 ……それでもその限られた開国地の『墨虎』は栄えていた。


 南に広がる海を見下ろす平地の真ん中、小高い丘の上に築かれた城を中心に広がる城下町は、軍事の観点からみればざる同然、攻めるに容易く、守るの無理な土地柄であった。そもそも城自体が戦乱とは関係なく、大波が来た時の避難場所として築かれた場所に後から城を乗せた代物であった。だが逆にそんな土地だからこそ開国の地に選ばれたのであった。


 そんな墨虎、晴天の今日、普段よりにぎわう町のであったがしかし、今日はそれをも増してにぎわっていた。


 その理由は町の中心、港から城へと続く一本の大通り、瓦屋根の店々に挟まれた広い道をにぎやかに練り歩く、異彩の行列にあった。


 その全てが一目でこの国のものではないと見て取れた。


 異彩の着物、異彩の装飾品、彼らが交わす言葉も、それが言葉なのかもわからぬほどにこちらとはかけ離れたもの、だがそれ以上に目を引いたのは『人』そのものであった。


 ……この国では黒髪黒目が普通とされた。たまに廊下によって白髪となったり、海に使って赤く抜けたりとはあるがしかし、それぐらいであった。


 しかし彼らはそれを飛び越えて異彩、髪色だけでも黒や白だけでなく茶や黄、少ないが青や緑も混ざって、それが縮れていたり尖っていたりした。瞳も同じく青、赤、緑、左右で異なる色のものもいた。更に尖った耳のもの、ずんぐりとした体のもの、更に更に二本足で歩いている犬とか猫とかにしか見れないものも混じっていた。


 そんなのが目の前でぞろぞろと、動いているだけでも驚きの光景、目の前で広がれば、見かけたものの足はおのずと止まり、見学するものが膨れていった。


 その見学者の中で一人、頭一つ大きな男が混ざっていた。


 身なりは素浪人、右ほおに刀傷も持ちながらも周囲同様異彩の行列を見学するその表情は腑抜けていた。


 ただぼんやり、目の前を横切る異彩を大男はその眼に写していた。


 と、大男の右袖が引かれる。


 何事かとちらり、大男が視線を落とせば、そこには小さな幼女がいた。


「……おネギ」


 ぼんやり幼女の名をつぶやいて、それから大男は遅れてハタと気が付く。


 この人込み、人の壁、背の低い幼女には何も見えない。


 それではあまりにも酷いと、何とかしなければとは思えても具体的にどうしたらいいかがわからぬ大男を、幼女は目にもとまらぬ素早い動きで、まるでイモリかヤモリのようにその体をよじ登るや、太い首にまたがり自ら肩車に乗った。


 必要なのは動作ではなく許可であったか、思うのも一瞬、大男の意識はまたも異彩の行列へと向いた。


 大きな荷物、運ぶ荷車はこちらと同じか、と思った男であったが、いや荷車まで船で運んできたわけではないだろうと思いなおしてる間に次の異彩が現れる。


 異国人といえども鍛えてないとわかる体格、服装は煌びやかながら金属の類は何もなく、腰に得物も帯びていない。頭に何の意味があるのか布を乗せた一団、役人か学者の類に見えた。


 その一団の更に最後、ついて歩く一人の男と、不意に大男は目が合った。


 ……ただ、それだけ、だというのに大男は目が離せなくなっていた。


 見てくれだけならば、他のものに比べてその男は地味な方であった。


 長い黒髪、浅黒い肌、鴨兵衛に迫る長身で、異国の顔つきであることを差し引いても童顔であった。黒いぴったりと張り付くような袴に、帯ではなくなんかで閉じてる上の着物、頭には鉢がねのような防具を巻き付けて額を守っていた。左手は銀色、揺れるたびに曲がる関節からそれが義手で、ただ吊るしているだけだとわかった。


 そんな男、ただそれだけ、なのに目を離せない、強い何かを大男は感じ取っていた。


 それは向こうも同じか、列の中で足を止め、まっすぐ大男を見つめ返す。


 その口元に、笑みが浮かんでいるように大男には見えた。


「オセロ!」


 そこに響いた異国の言葉が目線を切った。


 声は先行く役人か学者の類の一人から、それに反応したのが男一人なことから、それが名だと知れた。


 そのオセロ、あっさりと列へと戻る。


 何事も無かったように、あったことさえ忘れ去られたとように、それだけであった。


「兄上?」


「あ、あぁ」


 心配そうに見下ろしてくるおネギに、がっかりの感情を隠さぬ大男、何か期待してた訳ではなかったがしかし、未練のようなものを感じていた。


 諦めきれずにその背を目で追う大男、それに釣られて見るおネギ、二人の視線を背に受けても振り向きもしないで言ってしまうオセロ、一呼吸の後、三人は同時に振り返り同じ方角へ視線を飛ばした。


 列の後ろ側、挟む店の屋根の上、瓦に片膝立てて潜む姿はこの島ではありふれたといえる賊の男であった。こちらでは見慣れた着物に、顔を手拭いで隠して、その両手で大弓を引き絞って、そして放った。


 屋の向かう先は列、大男とおネギには届かぬ方向、安全ではあるが同時に手の出せない方角であった。


 一方でオセロは、その矢の向かう真正面、ふらりと立ってひらりと右手を伸ばし……掴んだ。


 バチン!


 響いた音は右手片手の中で矢が止まった音、これに何者かが異国の言葉で問い、これへオセロが異国の言葉で答えると、周囲はやっと狙撃に気がついた。


 ……慌てふためき逃げ回る様は、あちらもこちらも似たようなものであった。


 その最中で大男、慌てもふためきも逃げもせず、その場に立ち尽くていた。


 その目は驚きに大きく見開いていながら周囲一切見えておらず、ただ今し方見せられた、その動きを何度も何度も思い返していた。


 …………飛来する矢に対し、オセロは初め右手を内から外へと動かしていた。


 それは手の甲で弾き飛ばす動作、けれどそれは途中で止まり、すぐに手首を返して外から内へ、矢を掴む動作に代わって、そして掴んでいた。


 冷静に考えれば、できるできないを別にして、この人があふれる中で矢を弾けば他の誰かに刺さる。そうならぬように矢を掴むというのは正しい判断ではあった。


 だがそれを、このオセロという男は刹那の間に、それこそ瞬き一つさえ間に合わない僅かな時の間に、反応し、迷い、考え、やり直し、そして間に合ったのであった。


 事実としての結果が目の前にあってもなお大男は自分の目が信じられなかった。


 もし片方だけなら、と大男は自問する。払うのは簡単にできた。掴むのは難しいが無理ではない。だがしかし、そのどちらがより正しいかを考えて答えを導き出すなど、できない。


 これは、早業とか神業とかではない、まるで一人だけ別な時間が流れているような、水の中と外のような、圧倒的な速度の差、即ち異国の強さ、目のあたりにして、大男の心は打ちのめされていた。


 ……勝てるのか?


 思わず己に問う。


 これほどの達人、神業を軽々とやってのける異国の武士に、己の剣が、己の鍛錬が、己の信じる強さが、通じるのか?


 問わずにはいられなかった。


「鴨兵衛様!」


 ドガリ!


 名を叫ばれ、脛をけられて、ようやく鴨兵衛はおネギが肩車から降りてたことに気が付いた。


 それから遅れて、周囲から人が引いた後だということ、そして代わりに賊の仲間に囲まれてることに気が付いた。


「なんだこいつ! やる気か!」


 ジャラリジャラリ、見慣れた見てくれで聞きなれた台詞を吐き、戦い慣れてしまった刀を次々と抜き構えていく。


「奴らが侵略者だとわからぬのか!」


「人の良い顔をしてこっそりとわれらが富をかっさらうのが奴らの目論見ぞ!」


「ここで斬るが武士の役目! 邪魔立てするな!」


 御大層なことを並べながらもその構え、一瞥しただけで鴨兵衛には実力が透けて見えた。


「刀の失せて魂までも失ったか!」


 その一言に、鴨兵衛は己の腰に差した鞘へ、手を伸ばす。


 鴨兵衛は刀無しであった。


 だがそれは見てくれの話、実際にはこの鞘、鉄を合わせて鉛を流し込んだ得物、自慢の一振りは、世界に通じるものだと鴨兵衛、自負していた。


 それを示すため、鴨兵衛はゆっくりと鉄刀を引き抜いた。


 後は、いつも通りであった。

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