邪魔するつもりはなかった。

 星と半月の夜、砂と呼ぶには大きすぎる粒が密集してる砂浜に、ぐったりな鴨兵衛が上陸する。


 当然全身は海水でぐっしょりながら、その手には木の板巻き付けた鉄の刀、その背には同じくぐったりながらも何とかしがみついてるおネギ、何も失わずにあの船より脱出することができた。


 振り返って見れば余裕の脱出であった。


 元より、触れても壊れぬ水相手の泳ぎは達者な鴨兵衛、あの穴を潜る際の水の抵抗を除けばただ泳ぐだけ、木の板巻いた鉄刀も程よい重さで、ただ無心に足をばたつかせてるだけで陸へとたどり着けた。


 ……これならば、あの連中の中に割り行って小判の一掴みも持ち出せたな、と防風林の手前の根におネギを寝かせながら振り返る鴨兵衛、しかして目にした光景に、すぐに己の邪さを恥じることとなった。


 灯りの火が燃え移ったのであろう、沈みつつある船は激しく燃え上がっていた。


 その日の出のごとき輝を背に受け立つは大鉄、同じくぐっしょりその毛を濡らし、その手にはあの大斧は既に無く、代わりにもっと貴重なものを、濡れて振るえる早桃の身を抱え上げていた。


 しっかりとした足取りで砂浜踏みしめる一頭、その胸の中でそっとその頬に己の頬を擦りつける一人、互いに身を寄せ合うその姿は、後光もあいまって神々しささえも醸し出していた。


 これだけでも、甲斐はあった。


 そう思うは人が良すぎると自分でも思う鴨兵衛、満足感と疲労感から、おネギの手足投げだし寝そべる横へと腰を下ろす。


「…………今回は、お役にたてませんでした」


 そのおネギ、らしくなく、今にも泣き出しそうな情けない声で呟く。


 それでも動かない体、帯びのない着物を体に張り付かせ、髪が砂にまみれるのも気にできず、手足投げだしている姿は、明らかに本調子ではなかった。


 それでもなお、役立とうとするおネギに、鴨兵衛は不器用に笑いかけた。


「たまには、そう言う日もある」


 諭しながら鴨兵衛、おネギがその身を僅かに振るわせてるのに気が付く。


 思えばもう暑さは遠のいた季節、冷える夜の海風に濡れた体ではいずれ風邪をひく。そうなる前に移動しようと声をかけるため、傍らの早桃と大鉄へ振り返る。


 ……一目で思考が凍り付いた。


 立って歩かなければ届かぬ距離ながら、物を投げれば確実に届く距離にて、一人と一頭、熱い口づけを交わしていた。


 今更ながら男女の仲云々、自由を手にして感極まって、との行動、察せないほど愚鈍ではない鴨兵衛ではあったが、しかしこの状況、いきなりの事に、どうすればいいか、その頭の中には何も浮かばなかった。


 が、だからと言ってほっておいて立ち去っていいものかもわからず、ならば声をかけるかともなればうんぬんかんぬん、辛うじてできることと言えばその両者の様子を察知して、様子を伺おうと身を起すおネギの目に入らぬよう、その手で遮ることだけであった、


 それとも、いっそのこと見せつけてどうしたらよいか伺うべきかとの迷い、寒い海岸で鴨兵衛の体は勝手に火照っていた。


 と、その念か熱か、伝わったのか唇放した大鉄、静かな眼差しを向けてくる。


「ウホ」


 一鳴きは短い一言、礼を言われたと鴨兵衛には伝わった。


 そこへ玉が、大鉄の背にめり込んだ。


「ウホァ!」


 悲鳴に重ねて骨の軋む音、まだ終わりではないと知らしめた玉には紐のように細い鎖、引っ張られて向かう先は海であった。


「大鉄!」


 海岸に響く悲鳴、無粋に邪魔するその玉に、鴨兵衛は見覚えがあった。


「よくも、やってくれたな」


 吐き捨てる声の主は玉の戻る先、波打ち際に乗り上げた小舟の上にデップリと立つ鰹であった。


 その手には見覚えのある太い杖、その先端より玉へと繋がる鎖が伸びていた。


 暗器、どこかの留め金外せば先端の玉が外れ、内に仕込んだ鎖で伸びて振り回せるようにと工夫した、護身か暗殺に用いられる隠し武器だと鴨兵衛は見切る。


 そしてそれを操る鰹の目は、夜の闇に逆光に、見えぬはずなのに怒りでぎらついているのだとも感じることができた。


「見ろ! 貴様のせいで俺の全てが燃えて沈む! 金も! 船も! 部下も! 何もかもだ!」


 怒り、叫び、地団駄、その重さに耐えきれずにここまで運んで来たであろう小舟がぐしゃりと潰れて広がった。


「俺にそんなことしてまでして欲しかったのが何か? その猿か? まさか獣風情に、本気で惚れたか? 普通の男に飽きたとでも抜かすのか? この色狂いが!」


 感情のまま喚き散らす鰹、しかしその一切、声も動作も怒りさえも、早桃には届いていなかった。


「大鉄! 大鉄! 大鉄ってば!」


 半狂乱、触れればなお痛みに振るえる大鉄になすすべなく、ただ泣き叫ぶことしかできないでいた。


 その悲痛な姿に一瞬だけ満足の笑みを浮かべた鰹であったがしかし、自分が無視されていると気が付くやまた憤怒に戻った。


 そして再びの玉、打ち付けるため杖を振り上げるも、振り下ろすのを異音が邪魔をした。


 ギギギギギ、軋む音は巻き付いた木の板の隙間より鉄の刀を力任せに引き抜く音、すくりと立ち上がっていた。


 その身に宿すは憤怒、鰹のものをはるかに凌駕する怒りを蓄えて、静かに前へと歩を進めていった。


 これに一瞬臆する鰹であったがしかし、更なる怒りがそれを上回った。


「貴様も同罪だ貧乏侍め!」


 怒声と共に頭上に手振り回してた鎖玉を、まるで一本釣りの釣り竿が如く、鰹は鴨兵衛目掛けて投げつけた。


 これに対する鴨兵衛、逃げずに足を止め、下へと向けていた鉄刀を両手で持ち直すと真上へ、上段へと構え直した。


 ギャン!


 激突、火花、振り下ろされた鴨兵衛の鉄刀が、迫る玉を真下へ、砂の中へと撃ち落としていた。


 見事な早業、けれども見せつけられた鰹は笑っていた。


「餌に、食いついたな」


 ニチャリ、振るえる笑み浮かべるや鰹、鎖の先の杖を下へ向けて円を描く。


 それだけの動作、けれど繋がる鎖は跳ねて踊り、玉の根元で踊るや今しがた叩き落した鴨兵衛の鉄刀に纏わりついた。


「釣れたぞ田舎侍!」


 ギュン!


 悲鳴のような音を鳴らしたのは鰹に踏まれた鎖、そのデップリの体重にて砂浜に押し付けられる。


 そして足を挟んで反対側、杖の方を鰹が真上に引き上げると逆さになった滑車の姿、テコの原理が働いて鴨兵衛の持つ鉄刀が斜め前下へと引っ張られた。


 つんのめり、それでも何とか踏ん張る鴨兵衛、力比べでこそ負けてはいないが相手はテコに自重、引き戻せるものではなく、かといって逆らわずに前へと進めば砂に引きずられていずれは手放すことになる。


 動きを封じられた鴨兵衛に対し、余裕を見せるかのように左手を放して見せる鰹、その手が腰の後ろに伸びたかと思えば、引っ張り出したのは部下の海賊たちが腰に差していた小型の鉞であった。


 それを高くふり上げる構えは投擲を意味していた。鎖で相手を封じて飛び道具で仕留めるはなかなかに考えられている戦術、だがこの程度なら素手ても容易い、そう思う鴨兵衛に、しかし鉞は向けられなかった。


「死ね!」


 放つ先、鰹の狙いは大鉄と早桃であった。


 未だ動けぬ両者への卑劣な攻撃、更なる怒りが燃え足される鴨兵衛、けれどもその頭は冷静に、間に合わないと悟っていた。


 それでもと一歩踏み出そうとする足はしかし、鰹が鎖を引くだけで容易に封じた。


 そして、鉞は横を通り過ぎ、そして刺さった。


 ストン。


 軽い音、たてて鉞が突き刺さったのは、大鉄でも早桃でもなく、飛び出したおネギが抱えた木の板にであった。


「グェ」


 本調子でないところに無理を重ねたのであろう、酷い声上げておネギ、板抱えたままほぼ背中より落ちる。


 その横を全力で駆けて行くは早桃であった。


「うおぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 尻やら乳やらをバルンバルン弾ませて突っ込む早桃、これを前にして鰹は始めこそ驚きに目を見開いていたがしかし、次には下種な顔で迎え撃った。


 元より男と女、あんな体系をしておきながら腐っても海賊、鰹から見れば早桃相手に勝算大いにありであった。


 返り討ち、そしてそのまままた人質に取ればとの算段は鴨兵衛にもできることであった。


 そこまでわかっていて届かぬ鴨兵衛にできることはただ一つ、己の鉄刀を全力を持って引っ張ることだけであった。


 結果は不意を突く形、ズギャと音立てて鎖の先、太い杖が鰹の手よりスポ抜けた。


 忘れていた引っ張り合い、その敗北、これに驚き、けれど持ち直して、構え直した鰹、その眼前で放たれたのは、鴨兵衛が遠き日に読んだあの本の、一場面であった。


 ……書かれていたことが真実であるならば、始まりは胸を叩く動作、それを打ちより外へと転化し、威嚇から攻撃へと昇華したもの、と説明されていた。


 その拳、例え一撃で倒せなくとも、次の一撃で、それがだめならばその次をと、相手が倒れるまでに殴り続ける。その数、多ければ多いほど強力、けれども拳と拳との間に間隔が空いてしまっては意味がなく、一呼吸の間に出し切るのが最善とされた。


 舞い散る羽を、七枚、刹那に手に納める拳、故に名を『羽七那納拳ばななななけん』と呼んだ。


 在りし日の夢物語、憧れても届かない奥義、しかして早桃が放った拳は、七を優に超えていた。


 「ウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホアァシャアアアアア!!!」


 感情の発露、思うがままに、ありったけの拳をぶっ放した早桃の前に、鰹の体は確かに吹き飛ばされ、波打ち際に仰向けに倒れていた。


 そして拳を力強く空へ突き上げる姿は、見事な決着、絵物語の最後を現世に再現したようなこの光景に、鎖解くのも忘れて鴨兵衛、見惚れていた。


「おぇ」


 ……しかしそれも一時のこと、限界迎えて戻すおネギの前に全て消え去り、不器用なりにも介抱へと向かったのであった。

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