だけがわかってなかった。

 ……剣術における奥義とは、即ち初見殺しであった。


 相手に存在も悟らせぬ搦手、知っていれば対応もできようものだが、知られていないので対応できず、結果が最強となる。


 故に門外不出、放つならば必ず相手の口を封じなければならない必殺、見物人がいる中で放つなどもっての外、必要とあらばそれで生きながらえるよりも抱えて死ぬ方が良いとまでされる技を指した。


 その中で『重ね落し』とは、おかしな話だが、野牛流に伝わる最も有名な奥義であった。


 天下に名を轟かせることは良いことばかりではない。嫌でも目立ち、嫉妬や妬みを買う、だけならばまだしも、剣とは別の意味で力を持つものが近寄ってくる。


 そしてあれこれ質問飛んでくる中で必ず紛れるが「奥義を見せよ」であった。


 本来ならばこの問いは相手への敬意を掻く失礼なもの、けれども問うものに限ってその敬意を軽く超える大物ばかりで、無下に扱えるものではなかった。


 だがそこは野牛、剣だけでなく政治にも長け、二つ返事で「お見せしよう」となる。


 そのための対戦相手と木刀とを用意させ、いざ試合、そこで披露するがこの重ね落しであった。


 ……このような船で、斬り合いを臨むものなれば、その内の幾人かはこの奥義を知ってはいた。


 しかし、それをまさか鴨兵衛が披露するとは、誰も夢にも思わなかった。


 だが事実は事実、大鉄が振り下ろした大斧の一撃を鴨兵衛、一歩引いて半身、紙一重でかわすと同時に上段より鉄刀振り下ろし、外しながらもまだ止まっていない大斧の刃、その峰を叩いて見せた。


 元よりの振り下ろす力に、鴨兵衛の振り下ろす力が加わりその刃、硬い船底に深く深く突き刺さっていた。


 正に、神業であった。


 相手が振り下ろしてくるとわかっていたのを加味しても、それを一歩でかわすは至難、それに合わせて鉄刀を振り下ろして払うのではなく追いつき、追い越し、叩きつける。相手の動きを見切った上で剣としての技量、速度が完全に上回ってなければ成しえない技であった。


 それと同時に、無駄でもあった。


 そもそも相手を倒すだけならば、避けるだけで事足りる。下がった得物のその上を突くなり斬るなりすればよい話、それ以前にそこまで腕の差があるならば斬りかかってくる前に斬り倒す方が容易く、安定していた。


 技としては素晴らしくとも、所詮は見せるだけの宴会芸、奥義を見せると言いつつも使えぬ技を教えながら、己の力量だけははっきりと示しておく、これが柳生の政治、剣に生きるに無用の技だ……そう鴨兵衛も長らく思っていた。


 しかし今宵は、知っていたこと、使えたこと、そして成功したことに大いに感謝していた。


 それは大鉄も同じらしく、船底より引き抜いた大斧担いで、満足げに頷いていた。


 一人と一頭、その間には、奥義によって加速された一撃により、穴が開き、海水が吹き入っていた。


 よほどこの船、重量あって深く沈んでいるのか、海水の入る勢いは逆さにした滝の如く、高さは鴨兵衛の背丈に迫る。それだけの水圧に船底の木板が負けて折れて剥がされ浮かび、広がって更なる海水が流れ込む。


 このような穴、鴨兵衛一人では開けられなかった。


 大鉄の協力があってこそ、それも長い長い時をかけた下準備があったからこそでたった。


 あの時目線で示した敷き藁の下、恐らくはこれまでの戦いの最中に打ち込んできたであろう深くない傷が、踏んだ鴨兵衛の足の裏には感じられた。


 そこへ穿ってこその穴、飢えに知られずに静かにこっそりと、切り付けてきたからこそ、それまでの苦労は容易に想像できる。


 殺し合いの中、あの手話にて伝わらないことも多かっただろう。伝わったところで従うとも限らず、従ったところでバレぬように切り込むのは難しく、結果穴空く前に殺し合いに戻ったことも多かったであろう。


 それらが実を結んでの大穴に、船がギギギと傾いた。


「おい、これ、沈むんじゃないか」


 壁の上で誰かが呟いたのは、見ればわかることでであった。


 そして混乱、ハチの巣つついたかのように壁の上は騒然となった。


 逃げるならば千載一遇、けれども一人と一頭、出られぬ穴の中であった。


「ウホ」


 これに大鉄、胸を叩く。


 そして鴨兵衛へ「自分が下で鴨兵衛を上に」との手話を披露する。


 長らくここにいたならばこの後の事も当然考えてあるだろうがしかし、壁の高さは鴨兵衛四人分、一人と一頭が重なったところで届きようもない、とまで考えてた鴨兵衛、足首を掴まれる。


 べシャ、と溜まってきた海水に背中を打ち付けたかと思えば足が挙げられ、次には世界が回った。


 否、回っているのは鴨兵衛、大鉄が足首持ってブルンブルン振り回しているのだと気が付いたころにはぶん投げられ、ぶっ飛んでいた。


 回る景色、わけわからぬうちにゴ! ゴ! ゴ! 体を三か所、三回ぶつけて落ちた先は壁の上であった。


 全身打撲の痛みに加えて目の回る鴨兵衛、何とか立ち上がり今しがたまでいた穴の中を覗き込めば、何の意味があるのか親指を真っすぐ立てた拳を突き上げる大鉄の姿が見えた。


 ……悪気があったわけではあるまい。


 色々腑に落ちない鴨兵衛であったが、今は逃げるのが先決であった。


 壁の上、下から見た通りの混乱、人が集まるのは二か所であった。


 近い方は出入口、殺到し押し合いへし合いで互いが互いを邪魔してつっかえて、出たくても出られないでいるのが見えた。その中で別種の悲鳴、ワチャワチャしてる人込みの向こうで煌く銀、誰かが匕首でも抜いたか刃傷沙汰、これを相手に回りも抜いて、けれど斬り合いに行けぬままにらみ合い、無意味に時間を浪費しているのが見て取れた。


 遠い方は賭け札を打っていた台、こちらの方が人数倍は多く、それまで握りしめてた己の賭け札を投げ捨て踏みつけ争いながら、山と積まれてる小判に手を伸ばすや懐に詰め込みわが物としていた。これに海賊、競うものはあれど止めるものはなく、我先にと金を盗み取っていた。


 このような中、今更人質を見張るものなど誰一人としていなかった。


 揺れて傾く船意外に邪魔もなく鴨兵衛、鉄の檻の前に立つ。


 暗い中、ぐったりと横になってるおネギ、それでも鴨兵衛見上げて、弱弱しくもまっすぐにその手を向けた。


 これに応える鴨兵衛、鉄刀を振り上げると一撃で鍵を打ち壊し、ギギギと戸を開けはなった。


 これで自由、けれど這うことしかできないおネギに、鴨兵衛は膝を折って迎えに行き、その首に手を回させ捕まらせて抱き上げた。


 その体、思いのほか軽く、小さくて、そう言えばおネギはまだ幼女であったと思い出していると、鴨兵衛視線を感じる。


 早桃であった。


 隣の檻、同様に囚われて、そして出られぬ身、ここからでは穴の中が見えとはいえこの騒ぎで察しがつきそうなものを、けれど慌てる様子もなく、ただ格子を掴んでじっと、二人の事を碧い瞳で見つめていた。


 その目の先に鴨兵衛、鉄刀の切っ先を向ける。


「離れろ」


 鋭い言葉に、けれど早桃は離れず、言葉もなくてただ唾を呑むだけ、その意味を鴨兵衛、おネギに背中をつねられようやっと思い至る。


「……今更騙したなんだというつもりはない。それよりも大鉄が待っている。戸を開けるからそこから離れろ」


 鋭さ取っ払っての言葉に、早桃はそれでも渋々との感じで離れる。


 十分な距離を見てとって鴨兵衛、こちらの錠も叩き壊した。


「後は大鉄をあそこから上げてやらなければ」


 言葉を遮ったのはギギギと軋んで空いた檻の戸、それが鳴りやむより先に早桃駆け出した。


 まっすぐ穴の方へ、尻と乳を揺らしての全力疾走、止まらず穴の中へと飛び込んだ。


「大鉄!」


 声、響かせて消えるその身に慌てて追いかける鴨兵衛、ガバリ覗き込めば、二人は無事、穴の底で抱き合っていた。


 感動の再開、だが穴から出すのに二度手間、無粋なことを考えてる鴨兵衛の着物をおネギが引っ張る。


 そして指さした先は、丸めて置かれていた縄橋子であった。


 これを蹴落とすと更に引くおネギ、指さす先は穴の中、早桃を抱きしめながら空いてる右手で手招きしてる大鉄であった。


 ……出口には人が殺到し、出るのは困難、ならば三人、そろってゆこうというあちらの方がまだましか。


 己の賢さに自身のない鴨兵衛、従い、背中におネギを張り付けながら再び穴の底へと戻った。


「ウホ」


「この穴を通って外へ出るって」


 大鉄の言葉を早桃が訳す。


「ウホ」


「けど水の勢いが強いからこの斧に捕まって沈んで、底で放して、後は泳ぎだって。二人とも泳げる?」


 コクリコクリ、おネギと鴨兵衛、頷く。


 ならばさっそくと大鉄の斧に手を伸ばす鴨兵衛を、しかしその大鉄の手が遮った。


 これに「なんだ?」と鴨兵衛問う前に、おネギがシュルリと着物の帯を解いた。


 それと早桃、穴が広がり浮かんで来た木の板を拾い集める。


「ウホ」


「その腰の鉄刀、そのまま、なら、沈んでしまう。だから木の板、括り付けて、沈めない、でしょ?」


 おネギの切れ切れの言葉に大鉄、大きく頷いた。


 この場で、鴨兵衛だけがわかってなかった。

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