とてもやばかった。

 迎えて四日目、一晩ぐっすりで酒の抜けたおネギと、元より酔ってもない鴨兵衛、二人を早桃が迎えに来たのは夕暮れ間近、案内した先は港の船着き場、そこに停泊してあった荷船の一隻にであった。


「いや~鴨さん三連勝とか強すぎでしょ。お陰でそこらの身内でちまちまやってる大会ぜ~んぶ出禁になっちゃってるよ」


 荷を下ろした帰りなのか、ガランとした船内には三人だけ、けれども早桃一人がしゃべり続けるのでかなり賑やかではあった。


「でもさ。その代わりに飛び切り大きな大会からお声がかかったわけよ。ただそこ大きい分、扱う額も人数も多すぎるからって港じゃ無理なわけで、こうして開催地の島まで船でってわけなのよ」


「そうか」


 返事する鴨兵衛、説明に幾分か訊ねたいこともあるのだが、今はそれどころではなかった。


 ……人には多かれ少なかれ得手不得手がある。


 鴨兵衛の場合は不得手ばかりで得手を探すのが難しいとの思い、その一方でおネギはというと得手ばかりで不得手が見つからぬ、できた幼子であった。


 しかしそれでも不得手はあるもので、それを知った鴨兵衛は大喪驚くと同時に、目の前の乳に目が行かぬほど心配をしていた。


「すみま、せん」


 切れ切れで弱弱しい声は座する鴨兵衛の正面、胡坐で組んだ足の脛の交差を枕とし、残る手足をだらりと広げて船の床へと寝そべるその姿に覇気はない。顔色も悪く、冷や汗をかきながら時折生唾を飲み、また時折欠伸をしていた。


 船酔いであった。


 船に乗った当初は初めての経験と静かにはしゃいでいたおネギであったがしかし、陸より離れる前の揺れで既に具合悪く、離れた後はみるみるしおれ、今やこの有様であった。


 その姿、出会った頃を思い出させる不調を前にして、あの時同様何もできない鴨兵衛、それでも絞り出した唯一有益そうな知識も「酔って吐き戻したとき、それを飲みなおせば酔いは治る」という乱暴なもの、実践したこともなければ効果があるかもわからぬ療法を、まだ吐き戻してもないおネギに伝えることはできないでいた。


「……仲、良いんだね」


 そんな二人の様子をぼんやり見ていた早桃、呟く。


「旅の途中なんでしょ? どれぐらい? 何処向かってるの?」


「そうだな。旅立ったのが今年の春の前だから半年を過ぎた頃か。だが宛のない旅だ。いずれは何処かに根を下ろそうとは、思ってるがな」


 あまり深入りして欲しくはない話題、このような時は逆に質問して主導権を握るのだと鴨兵衛はおネギに習っていた。


「そちらはどうなのだ? この大食いの仲介はこの季節の間だけと聞いている。それ以外の時は何を」


 問いに、鴨兵衛は深い考えを持っていなかった。


 ただ問われたことをそのまま問い返しているだけ、それだけのこと、けれどもそれが失礼に当たると、おネギが足を抓って教えてくれていた。


「ん? 今とおんなじ感じだよ?」


 それこそが深く考えすぎだと言わんばかりに早桃はあっけらかんと応える。


「いやさ。確かに大食いとかは今だけだけど、賭けはそれだけじゃないでしょ? あんまり大きな声で出せないようなのもやってるわけよ。ほら、港って長い船旅で鬱憤溜まってる人が集まるから、その遊び場所を提供するってわけ。だから一年中変わらないかな〜」


 合点の行く応え、けれどそこにはそこはかとなく寂しさというか、諦めが含まれているように感じられた。


「あたしもいつかどこかと〜〜くに旅に出てみたいけどさ。ちょっと今は無理かな。そこは何? 人には言えない女の事情ってわけで、さ」


 明るく応えてそれでもどこか影ある早桃、これ以上足を抓られなくともわかる闇、その真意は遮光板に隠されてか、鴨兵衛にはわからなかった。


 ……そうこうしてる間に夜、船は目的の島へと到着した。


 だからといって、おネギが回復するわけでもなく、無理して立ち上がろうとする姿は痛々しいものであった。


「あ~だったら、あたし、おネギちゃんと待ってようか?」


 提案は早桃からであった。


「説明した通り、この先人がいっぱいいるんだよね~。そんなところにこんなおネギちゃん連れてったらほら? 何? 人酔い? また気持ち悪くなっちゃうかもだし、それに戻しちゃって人に迷惑かけるわけにもいかないでしょ? あたしもはっきり言ってこの船乗せた段階で仕事も終わってるようなもんだし、どう?」


 この提案、鴨兵衛に断れるはずもなかった。


「すまないが、よろしく頼む」


 これに一人、抵抗の意思示すおネギであったがしかし、それさえもあっさりと丸め込まれるほどに酔いは深かった。


「大会は降りてすぐのところでやるから。すぐにわかると思うよ~」


 言われた通りに船を降りる鴨兵衛、ここは漁船が止まる港のようであったがしかし、夜の今は海中の魚を呼び寄せる漁火いざりびが如くあちらこちらに大きな焚火が燃え盛り、昼間の如く明るかった。


 そこにごった返す人と人、みな鍛えられた体に日に焼けた肌、ふんどしにハチマキとその姿から漁師ばかりであった。


 魚相手とはいえ殺生を生業にする身、だからなのか、その眼光鋭く、どことなく殺気立っていた。


 その漁師たち、鴨兵衛が降り立つと一瞥、そして鬨の声が上がった。


「きたぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 夜の港に響く声、これへの返事は獣の合唱と踏み馴らされる足音であった。


 そして漁師たち、道を開け、大会会場を指し示す。


 その間を通る巨体へ、合唱に混じって飛び交う言葉、その中の一つに思わず鴨兵衛足を止めた。


「おいおいこいつ、鞘だけだぜ? これで斬り合えんのかよ?」


「いやちょっと待て! 俺は大食いだと、剣の試合だなどとは聞いてないぞ!」


 聞き間違いかとの意味を含めた大声に明確な返事はなく、代わりに止まった背をグイグイ押す力強い手と手、船に荷物を詰め込むがごとく鴨兵衛は前へ前へ、試合会場へと運ばれていった。


 そして開けた場所へと押し出される。


 地面はジャリ、周囲は漁師、その間ところどころに灯りの焚火、見るからに試合会場の輪の中で、満は血を求める獣の息吹であった。


「なぁに、負けても参加料は出してやるよ」


 誰からかの声に続くギャハハの笑い声、それらに囲まれ鴨兵衛は混乱した。


 先ず頭に浮かんだのは早桃への非難、けれどそれどころではない。


 彼らを突破し逃げる、となってもこの場にいないおネギの身柄が危うくなる。それがなくともここは島、陸地に逃げる足がない。


 このような時、おネギがいればと思う鴨兵衛、しかしいない今、不器用で無力な己を呪うことしかできなかった。


「安心しな」


 そこへどこからか、比較的まともそうな声が聞こえてくる。


「隠れての賭けとはいえおのご時世、流石に死人は出せねぇ。やるのは木刀での殴り合いだ。打ち所が悪けりゃ死ぬかもしれねぇが、その前に少しでも良い一撃喰らって参ったすりゃあ負けにしといてやるよ」


 その言葉に、鴨兵衛やや安堵する。


「それに悪いが、誰もあんたにゃあ賭けてねぇんだ。なんせ相手はあの天下に名だたる『野牛流』その総師範だった野牛やぎゅう宗法むねのりが最後の弟子、荒木門衛門師範だってんだ。まぁ勉強代だと思って叩きのめされな」


 とてもやばかった。

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