決着であった。



 野牛流、この島国にて刀を振るうものであれば必ず一度は耳にするであろう、現在剣術における最大流派であった。


 その実力は統一幕府も認めるもの、軍の要職に就くものはみな例外なく野牛の剣を学ぶものだし、分派や門下の道場は各地どこでも、大きな町ならば必ず看板を掲げていた。そしてどこぞで御膳試合でも開かれれようものなら、そこに参加するのは皆同門、違う流派が呼ばれるだけで大きな話題になるほどで、だけども優勝は必ず野牛のものであった。


 その頂点たる野牛宗法と言えば、今年の初めに亡くなるまで将軍家剣術指南役の大役を務め、若かりし頃より無敗を誇り、やれ山賊百人を一晩で屠ったやら、やれどこぞの山で竜を退治しただとか、岩を斬ったり斬撃飛んだりと嘘か真か数々の伝説を一代で重ねた、誰もが認める大剣豪であった。


 その門下生は数知れず、けれど直々に教えを貰えた弟子ともなればそれだけで実力者、ここにいる男ら全員相手にしても無傷で勝っても不思議ではない。


 もちろん、そこら一介の素浪人、体がでかくて大食いなだけの男なぞ相手になるとは誰も思えず、つまりは勝ちの目のない相手、応援はされても賭けられることのない噛ませ犬、精々何手まで生き残れるか、というのが周囲の共通する評価であった。


 そう思われているのを感じながらも鴨兵衛、それどころではなかった。


 これは、相手が悪すぎる。こればかりは、無理だ。


 これこそ、今度こそ、突破してでも逃げねばならない。


 止まらぬ動悸と溢れ出る脂汗と共に覚悟を決めた鴨兵衛に、また鬨の声が響き渡った。


「きたぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 そして割れる反対側、焚火の灯りに照らされた門衛門は鴨兵衛とは反対の色男であった。


 雪のような色白、鴨兵衛程ではないが長身、一見すれば女に見える滑らかさ、腰には大小帯刀と脇差、両手には木刀を一本ずつ、持って歩く姿にブレはなく、それだけでも相応の実力を醸し出していた。


 近くで見せるその顔はやはり色男、狐を思わせる顔立ちに、くっきりとした眉と糸のような細目、揺った髷も細かに手入れされ、浮かべる余裕の微笑さえもが絵になった。


 ……その名、その顔、その姿、覚えのない鴨兵衛、ならば大丈夫、あちらもこちらを知らぬはずと己をなだめる。


 その門衛門、輪に入ると周囲を一瞥、集まる視線を全身に浴び、満足したように頷くと改めて鴨兵衛の前に立つ。


 ……カランカラン、門衛門の手より木刀二本、が零れ落ちた。


 そしてガバリ、膝を折り立膝で頭を垂れる門衛門、その反応に、鴨兵衛は夜空を仰いだ。


「先生! 先生ではありませんか!」


 突如のこの態度をとる門衛門に、ざわつく周囲、何が何だかわからないが何となくわかることとして、どうやら二人は知り合い同士のようだ、とは伝聞で伝わっていった。


「違う」


 だがこれを、鴨兵衛は否定する。


「俺はそんな、先生など呼ばれるものではない!」


「そんな先生! 免許皆伝の鴨兵衛先生ほどのお方を先生と呼ばずに誰を先生と呼べとおっしゃるのですか!」


「違う! そもそもそこから人違いだ! 俺は鴨兵衛ではなくえーと、カンベエと」


「いーえ見間違えようがありましょうか! そのお姿そのいで立ち、何より腰の『鈍刀』刺してこうもしゃんと歩ける御仁、この島広しと言おうとも鴨兵衛先生以外に二人といるはずありません!」


 聞き分けのない門衛門、けれどその問答の中で鴨兵衛、気付く。


 この反応、この態度、正体はバレいるものの、どうやらここ最近の経緯を知らぬ様子、つまりはあの事をまだ知らぬのであろう鴨兵衛、思う。


 ならばまだ、誤魔化せる。


 一縷の望み、光る。


 が、どうやる?


 元より不器用な鴨兵衛、嘘を嫌う性分もあってかこのような誤魔化しはこの上なく不得手であった。


 それでも何とかなってたのはおネギのお陰、けれど今そのおネギはここにはいない。


 こういう時、おネギはどのように言いくるめていたのか、鴨兵衛必死に思い出いだし、絞り出した。


「……仮に、仮にだ。俺がその先生だとして、野牛では無暗に同門同士の試合を見せぬものと聞いている。それをこのような場所で、良いのか?」


 言ってて自分でもなんか違うと思う鴨兵衛、だが思いが伝わったのか門衛門はハタリと表情変える。


「……わかりました」


 静かな返事返して門衛門、静かに立ち上がる。


「先生がそうおっしゃるのなら、私に否定することはできません」


 思った形ではないが意図は伝わって鴨兵衛、息を吐く。強い反省滲ませる門衛門に若干の申し訳なさを感じるけれども良い方向に持って行っていると内心では安堵を取り戻していた。


「思えば先生を相手に、若輩な私が挑もうなどと十年は早い話、にもかかわらずさも対等かのように、試合など、身の程知らずでありました。この場での試合は、なかったことに」


 これにざわつく周囲、それが聞こえぬほどに鴨兵衛、焦りが吹き出る。


「おい」


「代わりに全力で、殺すつもりで参ります」


 細目、開眼、刹那に弾ける。


 門衛門、二足直立の姿勢より前へ踏み出すと左手を帯刀鞘において押さえ、同時に右手で柄を握り滑らせる。


 踏み込み、抜刀、斬撃、三動作を一度に行うが居合切り、この瞬殺の斬撃を前に、鴨兵衛が弾けるのもほぼ同時であった


 腰を落として踏ん張る姿勢、同時にその左手は知らせて、掴んだのは背後、腰に刺した黒鞘の中ほどであった。


 カッ!


 激突、居合の刃が打ち合ったのは鯉口、本来ならば刀を差すための鞘の穴、しかしその全てが鉄でできており、中に鉛を流し込んだ黒刀は、帯刀の刃よりも頑丈に作られていた。


 火花、それでも止まらぬは門衛門の早さ故、真っ二つに折れた刀の柄の方振り抜あれ、逆方刀身の方がくるくると飛んで行く。


「流石は先生お見事です」


 その間にて賛辞の言葉は門衛門、けれど殺気は治まらなかった。


「ならば!」


 と門衛門、動いたのは左手、いつの間にか帯刀の鞘から脇差の柄に持ち替えて、狙うは喉元、逆手の抜刀居合切りであった。


 ……しかし不発、脇差は鞘から抜かれることはなかった。


 止めたのは鴨兵衛、これ全てを読み切っての動作、ただ右手を差し出し、脇差の柄、柄頭を押さえてこれを封じて見せた。


 それは軽く、まるで子供の頭をなでるがごとく優しげでさえある一手は、それだけ実力の差が開けている証でもあった。


「まさか、ここまでとは」


 門衛門、更なる賛辞の言葉、しかし今度浮かべるは諦めに達した乾いた笑い、それでもと、最後のあがきに振り抜いた右手を返し、折れた帯刀切り返して鴨兵衛の頭目掛けて斬りかかる。


 その刃、届くより先、鴨兵衛前へと踏み込んでいた。


 腰のキレ、肩の駆動、伸びる肘、まっすぐり放ったのは左手張り手、ただ突き出すだけの動作に見えてその力は鴨兵衛のもの、優男に見えても大の男である門衛門、その体を軽々と吹き飛ばした。


 ドウゥン!


 轟く音にガランガラン、零れ落ちる脇差と帯刀の残り、その音が耳より離れるより先に門衛門の体はその背後にいた漁師四人巻き込みぶっ倒れ、そして気を失っていた。


 ……決着であった。


 そう誰もが認めながらも声出せず、しばし流れる静寂、けれどどこかの火がパチリとなるや、堰が切れたように絶叫が響き渡った。


「うおぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


「すげえすげえすげえ! まじかよまじかよまじかよ!」


「勝ちやがった! 負かしやがった! やりやがった!」


 当然の反応ではあった。


 並みのものならば生涯に一度見られるかどうかという真剣勝負、それも文句のつけようのない完全決着にての、大番狂わせ、賭けに勝った負けたなんて些細な事など忘れ去られ、漁師の男たちはただ純粋にこの勝負、見られたことに歓喜した。


 ……その中で一人、鴨兵衛は喜んでないなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る