これが大の男が語る怪談であった。

 ここまで来てしまったならば最後までと、おネギにも水を渡して参加を認め、気を取り直して百物語は始まった。


 最初のこの悲鳴を怪談と呼ぶかで少し揉めはしたが、だとするならば誰が語り手なのかが決められず、保留となった。


 こんな始まりでも、始まれば空気は締まるものであった。


 ろうそく一本の灯りを中心に、息を潜ませ神妙な顔突合せ、自然と決まった一人目から順に、ゆっくりと、各々持ち寄った怪談を語っていく。


 ……しかし、盛り上がりに欠けていた。


 何度も繰り返す通り、ここは何もない田舎、他所とは違い、ろうそくとこの屋敷があることはあすがそれだけで、他に無いことには違いがなかった。


 そして何度も散々繰り返す通り、怪談話の種は党の昔に尽きていた。


「……そして草むらから飛び出してきたのはなんと! 鶴! それも真っ黒! ばっさばっさ!」


 声の抑揚と音量で差別化を図ってはいるものの、語られる話はみな似たようなものであった。


 今の話でさえ、途中まで同じ話が五つ、違いも最後に出てくるのが蛇か、得体のしれない影か、桶か、正体不明の人物か、後は気が付いたら倒れていて朝になっていた、と違いと言ってよいかも分からなぬ違いであった。


 そんな怪談話でも、声に抑揚を付けたり、いきなり大声を出したり、身振り手振りを交えることで『怖い話』にしようと努め、それを男らは汲んで大きく驚き怯えて見せるのだが、それができない男が一人混じっていた。


「……ほぉ」


 わかってないと言ってる間抜け面、薄い反応、隣のおネギでさえ震えたり目をつぶったりと一生懸命だというのに、この鴨兵衛という男は、演じる素振りすら見せなかった。


 だからというわけではないのだろうが、今宵の百物語は恐怖も緊張もなく、かといって希望も面白みもない、ただただ冷めた集まりとなっていた。


「おい加減にしろ!」


 語り終わった一人がろうそくを消しに行く間、終に一人がキレた。


「こっちは真剣に! 命を賭けてやってんだ! それをなんだその気の抜けた、ほぉ、は! さてはお前百物語の話信じてないな!」


「いやそのようなことは」


「じゃあ何だ? 信じた上でそれってのは俺たちがどうなろうって知ったこっちゃないってか? 田舎者なんか何人消えても構わないって言ってんのか?」


 水しか飲んでないのに酔ってるかのような言動、これは恐怖と緊張の裏返し、それだけ追い詰められて張り詰めて、できた抜け穴に手頃な相手がいただけ、そこまで理解できる鴨兵衛であったが、そこから何もできないのも鴨兵衛であった。


「お前らいい加減にしろよ。あの角まで話が届いてたぞ」


 ろうそく消し終わった一人がガラリと戻り、元の席へと座る。


 安堵、安心、余裕を見せるはやり遂げて無事に戻れたからだろう。


 だからだろうか、この男だけは頭が冴えていた。


「じゃあ次は、お侍様の番だ」


 ガフリ、吹き出したのは等の鴨兵衛であった。


 これまでみな顔見知り同士、順番も自然と決まっており、あいつの次は俺だと勝手に怪談は巡っていた。


 故にただこうしていればよいのかと考えていた鴨兵衛であったが、そうではなかったようであった。


「何ぁにを驚いてやがる。当たり前だろお侍様ぁ、百物語に参加するってことは、怪談を語ってこそ。むしろ逆に話さない方が理から外れて良くないことになるかもなぁ」


 そう言われれば筋の通った話、ではあるがしかし、昨日の今夜でいきなり怪談話など用意できるものでもないし、その必要性など思いもしていなかった。しかも元より口下手、不器用、話して聞かせることなど何もない鴨兵衛は困り果ててしまった。


 その様子を意趣返しが如く、男たちはニヤニヤ笑う。


「もちろん、都会からでてきやすったお侍様の事、俺たちが今話したようなありきたりで面白みもねぇ、気の抜けた、ほぉ、しか出てこねぇような、そんな怪談話をするわけねぇよなぁ?」


 更に逃げ道を塞がれ、いよいよ追い詰められた鴨兵衛は、すがる思いでおネギを見るも、おネギもまた、困る様子を楽しんでいるようであった。


「……少し、時間をくれ」


 何とかそれだけ絞り出せた鴨兵衛は、腕を組んで考え込む。


 ……怪談とは恐ろしい話、しかし鴨兵衛の人生において幽霊妖怪の類と出くわしたことも、そうした話を聞くことも、そもそも『怖い話』を聞く機会がなかった。


 熊や蛇、川の流れや大火事、敵襲に刀の扱い、怖いものの話は幾度も聞かされてきたが、しかしそれらはその恐怖を克服するためのもの、こうなれば恐ろしいがこうすれば恐ろしくなくなるというものばかりであった。


 そもそも武士とは恐れを知らぬもの、恐れを克服してなお戦うものこそ武士なのだと教わってきた。


 それではだめだと更に考え込む。


 思い出すのは直近、おネギとの旅、その間に危ない目にも合ってきたが、怖いとは違っていた。


 ……道中、悲惨なものも見てきたが、それも怖い話とは、怪談とは違うものであった。


 ならばならばと考え込んで、ふと思い出したのは子供のころの思い出、悲鳴を上げるほどの恐怖体験であった。


 鴨兵衛の変化、一瞬見せた恐怖の表情、不器用な鴨兵衛だからこそ、それが演技ではないと見てとれた。


「……おう、なんかあったか」


 顔色の変化に、男の言葉、反射で頷き返す鴨兵衛、それから頭の中で話を整理して、呼吸を整えた。


 ゴクリ、唾を飲むのはいつ以来か、この百物語で一番の緊張が走る。


「……これは、俺がまだ幼かったころ、おネギがまだいなかった頃の話だ」


 語り出した鴨兵衛の声は自然と押さえられ、怪談に相応しいものになっていた。


「俺は剣術の道場に通っていた。防具を付けて、竹刀を持って素振りしたり、打ち合ったりする」


「道場ならわかる。続けろ」


「そうした道場の稽古も同じ顔ぶれだと同じことの繰り返し、惰性が産まれて独創性が失われる。そこで出稽古、同じ流派の道場へ出向いて練習試合を行うことがある」


「俺らの百物語みたいにか?」


 皮肉を返す言葉、しかしすぐに沈黙に沈み、話の続きを待つ。


「その時は俺たちの道場が出向く番だった。場所は隣町、早朝に出発し、思ったよりすぐ到着できて、出稽古もつつがなく終わらせることができた。そして相手の道場を出たのが昼過ぎたあたり、俺たちは腹が減っていた」


「なんだよそれ」


 合いの手の言葉を、他の男らが睨んで潰す。


「動けば腹も減る。相手の道場のものはそのまま家に戻ればよいが、出てきた俺らには家は遠すぎた。ならばどこか飯屋に入ろうとなったのだが、その町は小さくはないが民家ばかりで一向に飯屋がない。やっと見つけたと思っても、八百屋や豆腐屋といった食材を売る店ばかり、そのまま食えるものは売ってはなかった」


「都会はなんだ、飯とか食材とか銭で買うのか?」


「前年貢おさめに行ったとき見たろ? そん時お前はせんべい食ったはずだ。忘れたか?」


「あぁだったな。思い出した。続けてくれ」


「それで、少々歩き回って、それでやっと見つけたのが蕎麦屋だった」


「蕎麦なら俺らの村でも団子にして食ってる」


 隣が肘をついて黙らせる。


「はっきりと覚えてる。入る前から嫌な感じがしていた。足がすくみ、今でも言葉にできないが入りたくないと強く感じていた。だが子供の自分、それも兄弟子が揃う中、この店はと言えるはずもなく、連れられるまま中へと入った」


 鴨兵衛、静かに自分の椀を手に取り、水を一口、飲んで続ける。


「昼だというのに中は暗くて、それで変わった内装をしていた。先ず醤油樽を逆さにおいて腰掛にして、それに高さを合わせた台が並んであった。これは草鞋を脱がぬまま座って食えるようにとの工夫だった。珍しがる俺を他所に、兄弟子たちは勝手知ったかのように座っていき、俺もそれに習った。台の上には箸立てと、それと小さなひょうたん、中には煎りゴマが入っていると教えられた」


 大きく深呼吸、続ける。


「店主は、薄気味悪い男だった。痩せてて、生気が無くて、俺らを歓迎してたかどうかは定かではないが、暗かった。だがそれを気にする兄弟子はいなかった。ともかく、腹の空いていた俺たちはすぐに食えるようにと、切り蕎麦を人数分頼んだのだ」


「切り?」


「蕎麦粉を水で練って平たく伸ばし、紐の細さに切り揃え、茹でたものだ。それを皿に盛り、味噌を湯で伸ばしたつゆにつけて食す、向こうでは一般的な飯で、安くて手軽、何よりすぐに出てくるから人気なのだが、これがなかなか来ないのだ。昼飯時過ぎた後に大人数で押しかけては仕方ないことなのだが、それを差し引いても一向に出てこず、その弁明の言葉もなかった。これでは日が暮れてしまうと苛立ったころにようやく人数分、まとめて運ばれてきたのだが、これが、不味いのだ」


「……不味いって、味か?」


 鴨兵衛、頷く。


「つゆは湯が多すぎて薄く、だというのに温く。肝心の味噌の香りもしないのに心持ちカビ臭かった。蕎麦も切り方が下手で、不揃いで短く、箸で手繰るだけでブツリと切れた。口に入れてもロクに味も香りもせず酷い舌触り、だが噛むとジャリと硬いものがあって、今思えばあれは砕けた石臼だったのだろう」


「おい」


 言葉に返事するように鴨兵衛、再びの深呼吸、いつの間にかその顔色は悪く、脂汗も垂らす顔から恐怖が読み取れた。


「そんな蕎麦でも兄弟子のおごり、しかも兄弟子たちは無言で啜る中、子供の俺に文句を述べることなどできない。無礼にならぬよう、無理に口の中へねじ込むのだが、流石に辛くてな。それで少しでもマシになるかと台の上のひょうたん、煎りゴマを手に取り、栓を抜いてつゆの上に振りかけたのだ。それが、過ちであった」


 ゴクリ。


「ゴマが、動いたのだ」


「…………ん?」


「蕎麦も酷ければ、ゴマも酷かった。いつ買って置いたのか、最後に使ったのはいつだったのか、ひょうたんの中に虫が湧いていたのだ。小さなダニ、それがうじゃうじゃと、味噌つゆの上を、その脚広げて泳いでいたのだ」


 ……これが大の男が語る怪談であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る