これが小さな幼女が語る怪談であった。

 何を聞いてたんだ。


 散々あの態度でこれか?


 こんなの怪談話ではない。


 散々な評論、ぼろくそに言われて鴨兵衛は、逃げるようにろうそくを消しに向かった。


 納得しているわけではなかった。


 清潔を当然とする食の場、それも金をとる店での事、なのにまさか虫をわかせるなどという悪夢は、大人になった今でも出くわせば声を上げて震えるほどに恐ろしいことだと、鴨兵衛は思うのだが、他のものは思わないようだった。


 価値感覚の違い、文化知識の違い、生まれ育ちの違い、恐怖の違い、ならばと鴨兵衛、考える。


 この流れでまた次に話せとなった時、次に何を話せばいいのか、考えなければならない。


 そこまでは考え至るも、けれども何も思いつかぬままろうそく広がる大部屋にたどり着いた。


 広々とした室内を一目見れば、火の消えた左半分、まだ燃える右半分、部屋を両断するように別れる影と光、知らぬ間に百物語の半分が過ぎたとわかった。


 怪異はまだ無く、人も消えていない。


 このまま何事もなければとその明るい方、右側の壁沿いに進んで端のろうそくへ、屈んで吹き消そうと口をすぼめて吐き出すも、勢い強すぎて二本まとめて消してしまった。


 これは不味いと慌てて消えた一本に火を戻そうと隣のまだ燃えるろうそく立て一本手に取るもの、握ったところがボギリと折れた。


 火事、怪異より具体的な恐怖に、更に慌ててろうそく掴み、熱さに耐えつつ消えたろうそく引き抜き入れ替えた。


 折れたろうそく立てに消えたろうそく指し直し、ソッと火が消えてる闇の方へと投げ転がして、鴨兵衛誤魔化した。


 普段の不器用さを鑑みれば、これは神業と呼べた。


 しかし他言は自白、次百物語を行う時に知れることだろが、今宵で終わらせれば次は無い話だと自分を騙しつつ部屋を出る寸前、鴨兵衛不意に立ち止まり振り返る。


 ……何かに呼ばれた気がした。


 しかしそこに人も声も無く、ただ揺らめく闇と、誤魔化した後ろめたさだけがあった。


 百物語、もし何か起こればこれのせいにされかねない。


 不要に重い秘密が足を止めたのだと、重い気持ちで納得しつつ鴨兵衛は部屋に戻ると、男らの視線は一点に、おネギに向いていた。


「次はこの娘が話すとよ」


 どれかの男の言葉に、おネギはすまし顔で胸を張る。


「あたしにも話せそうな話がありましたので、せっかくですから。それに参加したからには何か語らなければならないのでしょ?」


「それは、そうだが」


「大丈夫ですよ。兄上より上手に話せますから」


 クスリと笑うおネギに場が和む。


「それでは、語らせていただきます」


 隣に鴨兵衛が座るのを横目で見届けてから、おネギはコホンと喉を鳴らした。


「これは、どこかの町で噂で聞いた話です。そこは大きなお城が近くに合って、そこで家老という、中で二番目か三番目に偉い人がお歳からご隠居なさることになったそうなんです。それで次に誰が家老になるか、候補がお二人上がったそうなんです。その人たちを、仮に凸様と凹様とでも呼びましょうか」


「二人合わせて凸凹って、そりゃあなぁ」


「まぁ仮の名前ですから」


 おネギが笑うと誰もが許した。


「それで、当初家老になると言われていたのは凸様の方だったんです。でも凹様も家老になりたい。だから凹様は、忍びを雇うことにしたんです」


 この一言に大きく動揺を示したのは鴨兵衛だけであった。


 しかし男らは気が付きもせず、おネギもチラリと見ただけで話をつづけた。


「なんでぇその忍びってぇのは?」


「忍びは、よくわからないですけど、何でもすごいことができる泥棒みたいな人たちで、お金さえもらえればどんな酷いことでもこっそりとやるんだそうです」


 説明するおネギ、その表情がほんの少しだけ揺らいだことに気が付けたのは、今度は鴨兵衛だけであった。


「そんな忍びに凹様が依頼したのが凸様の失脚、ただし怪我をさせたり毒を飲ませたりしてはいけないとされました。そうすると真っ先に得をする凹様が疑われるから、ごくごく自然に、失脚させるようにとの命令でした。そこで忍びたちはまず、仲間の女忍びを一人、女中として凸様の元に働かせに行かせました」


「わかった。色仕掛けだ。色目使ってあれやこれや引っ張り出したんだろ?」


 これに、おネギは首を横に振る。


「凸様ももうすぐ家老になれるという立場、なった後ならば女中の一人や二人、好きにできます。その前に隙を晒すようでしたら、そもそもそこまで出世できてないかと」


「だったら何だってんだよ」


 おネギ、小さく笑い、そして続ける。


「ある夜の事です。みなさん寝静まってるころ、凸様一人が起きてきました。よいお歳なので夜中にこっそりと用を足しに起きたんです。偉い方なので寝ずの番も居られたのですが、流石に便所の中まではついては来ません。一人、入ろうと戸を開けると何と、中で女中が死んでいたのです」


 一言、場が凍る。


「青白い肌、見開いた目、口の端より血を滴らせ、何よりもそのお腹にぶすりと、脇差が深々と刺さっていて、着物は赤く染まっていました」


 タン、との手を叩く音にびくりと跳ねる男たち、おネギは続ける。


「大変だぁっ、凸様はびっくり仰天、外に飛び出しました。おもらししながら人を呼び集めて便所を指差します。何事か出会え出会え、家臣たちが跳び起きて集まって、そして凸様が指さす便所の中を覗き込むと……そこには何もありませんでした」


「へ?」


「訳が分からないのは家臣たちも同じです。それでも騒ぎ続ける凸様に次々と人が起きてきて集まって、その中には、あの忍び込んでいた女中もおりました」


「いや待て、ちょっと待て、その女中が中で死んでたんだろ?」


 男の反応におネギはニヤリとしながら頷く。


「ですがそれは二つの意味で間違いでした。一つは便所にいたのが女中ではなく、そっくりな双子の姉だったこと、それからもう一つは、それは死体ではなかったことです」


 訳が分からないという男らの顔に、おネギは続ける。


「忍びの妹は女中になった後、まず凸様の一日の行動を調べました。どこに出かけ、何を食し、いつ寝て、そしていつ頃便所に向かうのか。それを外の姉に伝え、その姉は準備しました。青白く見える化粧、先の欠けた脇差、本物そっくりな血糊、それらを持ち込み忍び込んで、頃合いが来るまでひたすら待ちました。凸様が一人で、便所に入るその時を。そして頃合い、先回りして死体のフリ、見て信じて慌てて飛び出た凸様を囮に、こっそりと姉は抜け出たんです」


「いや、それは、わかったが、だから何なんだ? 死体はないんだろ?」


「そうです。そして死体を見たのは凸様だけでした。そして存在しない死体を、死んでもない女中を指差して大騒ぎするのです」


 ……田舎者で処世に疎い男らであっても、おネギが言わんとすること、忍びの狙いがおぼろげながら見えてきた。


「それからも忍び達は似たようなことを続けました。ある時は庭先で男が喉に短剣を突き刺して見せたり、お城で廊下を歩いてると顔が潰れた男とすれ違ったり、ある時など幼女が川に落ちたの見せられて、助けねばと大騒ぎして、日が暮れるまでさらったのにひょっこりその幼女が出てきた、なんてこともありました」


 複雑な表情見せる鴨兵衛の顔を、わざとなのか、おネギはチラリとも見ずに続ける。


「そうこうしている間に、凸様から、家老の話はなくなりました。それどころか誰もその言葉を真に受けなくなって、若いのに呆けてしまったと、早々に隠居をさせられたのです。こうして晴れて凹様が家老になられ、凸様は真実を語っても、誰にも信じてもらえなくなりましたとさ、というお話でした」


 ……おネギが語り終えても、誰も感想を口に出さなかった。


 この世のものざる怪異とは程遠い、俗世に属した話でありながら、人の底知れぬ悪意を表して、今宵に限らず、この場の百物語で最も恐ろしい話であった。


 だがそれ以上に恐ろしいことが一つ、これが小さな幼女が語る怪談であったことが、何よりも恐怖を呼んだ。


 何処かで聞いたのか、あるいは自力で思いついたのかは知る由もないが、これほどまでに恐ろしく、そして残忍な話を、幼さゆえに知らぬのか、あるいは知っててなのか、平然と語ったおネギという存在に、男らはこれまでとは打って変わって、薄気味悪いもの感じるようになっていた。


 小さな幼女、賢く、愛らしく、無害に見えてその実違う。例えるならばうまそうに見えて実は危険な毒キノコに似た、迂闊に手を出してはならない禁忌の恐怖、田舎者には言葉にできない不気味さを感じるようになっていた。


 この、これまでとは別の、冷めた空気、凍てつく視線、それら一身に受けながらも、おネギは平然と立ち上がった。


 その表情に変化はなく、優し気にさえ見える、それ故に恐ろしく感じられる微笑みのまま、静かに一礼すると、静かな足取りでろうそくを消しにと部屋を出て行った。


 退出後も言葉なく、男らがただ顔を見合わせ合うだけの中、沈黙を打ち破ったのはズズズという、鴨兵衛が水を啜る音であった。


「……まだまだ幼いと思っても女子は女子、口達者で耳ざとい。そして俺が思うよりもずっと育つのが早い。俺が追い抜かれるのもすぐだろう」


「何言ってやがる。もうとっくに追い抜かれてらぁ」


 男の返事に小さく笑う男ら、ほんの少しだが場が温まる。


 鴨兵衛の助け舟、実に珍しいことだが、上手く行ったのであった。


 だが………………おネギは戻ってこなかった。

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